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スポーツと国歌

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 アメリカではけっこう話題になってるのに、日本ではあまり報道されていない件があります。私が16日に朝日・読売・毎日・産経の四紙を確認したところ、報じていたのは読売だけでした。
 今月開幕したアメフトプロリーグNFLで、フォーティナイナーズのクォーターバック、キャパニック選手が、試合前に国歌を流すときに、起立しないのです。黒人・有色人種の人たちが警察に不当な暴力を受けて逮捕されたりする件が頻発する現状に抗議するというのが、彼の目的です。
 過激な保守派はすぐさま反応し、猛烈な批判を浴びせました。しかしその一方で、キャパニック選手の行動に賛意を表明する人たちもたくさん出てきました。彼に同調して起立しない選手も何人かあらわれました。キャパニック選手のジャージの売り上げもあがったそうです。まあ、ひょっとしたら、燃やすために買った人もいるのかもしれないけど。
 意外だったのは、現役や退役した軍人のなかからも、彼を支持する声が続々とあがってること。自分は国歌や国旗のために戦っているのではない、自由のために戦っているのだ。だからアメリカの言論の自由を守るため、キャパニックを応援する、といった論調です。

 その賛否以前の問題として、私はそもそも、なんでスポーツの試合の前に国歌を流したり歌ったりする必要があるのか、意味がわかりません。だれかに聞いたとしてもおそらくは、「むかしからやってるから」「そうするのが当然だ」みたいな回答ばかりで、まともに説明できる人はいないんじゃないかな。
 過去の新聞を調べてみても、その辺の理屈や起源についてはわかりませんでした。が、意外な事実に行き当たりました。
 1960年にIOC(国際オリンピック委員会)の総会でブランデージ会長が、将来的にオリンピックでの国旗掲揚と国歌斉唱はやめたいとあいさつしたのです。スポーツが政治的に利用されて紛争を巻き起こすタネになってしまっていることを憂えての発言でした。
 同年2月15日付読売新聞夕刊の「よみうり寸評」はこれを受けて「まことに適切な提案」と好評価。17日付の「編集手帳」でも会長の発言を、「長いあいだのモヤモヤをすっと割りきったこころよさを感じさせた」とあらためて絶賛しています。
 しかし翌年の総会で、この提案は否決され、国歌・国旗の扱いはこれまでどおりということになりました。
 ですが、このあとも1980年くらいまで、国歌・国旗廃止案はIOC総会で何度も何度も提案され続けるんです。
 1968年11月21日付朝日新聞では、日本オリンピック委員会委員長の竹田恒徳がオリンピックでの国歌・国旗廃止案に賛成する意見を述べてます。
 オリンピックは選手を生んだ国家を表彰するものではなく、選手個人を表彰するものだ。最近のオリンピックは、自国が金メダルを何個とるかということばかりに向いている。平和なオリンピックが国威発揚のために利用されているのは悲しいことだ、オリンピックでの国旗・国歌は廃止する時期に来ていると主張。IOCには廃止論者が多いから、近い将来必ず廃止されるだろう、とまでいいきってます。
 各スポーツの世界選手権の表彰式では国旗・国歌は使わないことが多いのに、オリンピックだけはどうしてだろう、と発言しているところを見ると、60年代ごろまでは、スポーツでの国旗・国歌はあたりまえではなかったようですね。

 こんなにリベラルで平和的だった竹田家なのに、孫の代になるとずいぶんと変わってしまうものです。読売新聞の論調も、いまとはまるでちがいます。いやあ、こんなことを私がいうのもなんだけど、むかしはよかったね(笑)
[ 2016/09/18 00:11 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

『ニッポンの出番!』にパクられた話

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 TBSの『所さんのニッポンの出番!』が最終回だったんですね。といっても一度しか見たことありませんが。
 じつは私、以前この番組にネタをパクられたことがあるんです。
 日本人はなぜ謝るのかみたいな回で、土下座についての内容があるとテレビ番組表で知ったので、土下座研究家としては新しい情報がないかチェックしました。
 VTRで、ある国語学者が登場しました(私はこの人のことを知りませんでした)。するとその学者さん、私の著書『誰も調べなかった日本文化史(パオロ・マッツァリーノの日本史漫談)』に書かれている土下座の歴史を、ほぼまるパクリで、いかにもご自分が調べたかのようにしゃべったのです。
 私が知らない情報は、ひとつを除いてなかったので、この学者さんは私の本以外の文献は何も参照していないと思われます。
 その知らない情報というのは、1960年代にTBSで『水戸黄門』が放送されたことで、日本人の間に土下座が広まり定着したというものでしたけど、これはまちがいです。私の研究では、土下座で謝罪する習慣が日本の庶民に広まったのは昭和初期のこと。テレビの『水戸黄門』が広めたわけではありません。
 おそらくこの学者は、さすがに私の本のまるパクリではマズいと考え、自分なりの仮説をつけ足すことで独自色を出そうとしたのでしょう。だけど、仮説を出すのならその裏付けをとらなければいけません。こういうふうにテレビで適当なことをしゃべる人が多いから、デタラメな文化史がはびこるんですよねえ。江戸しぐさとか銀ブラとか。

 べつに私は、私の本の内容を引用するときに許可を得ろとはいってませんよ。私に許可を取る必要はありません。ただし、ネタ元をあきらかにするのは、引用する際の最低限のルールです。「この本の記述によれば……」みたいにネタ元を示せば、内容をそのまま紹介してもかまわないんです。むしろ、根拠のない仮説をつけ足すくらいなら、ネタ元のまましゃべってくれたほうがいい。

 ただ、この学者さんだけを一方的に責めるのもどうかと思うんですよ。というのは、ひとつの可能性としてですが、もしかしたら学者さんは私の本がネタ元だと言及していたのに、テレビ局のディレクターが、書影などのインサートを撮るのが面倒だからそこをカットしたかもしれないんで。
 テレビって、先にシナリオが用意されていて、それに合うようにコメントなどを求めるんです。先方が用意したシナリオとちがうことをしゃべると、その発言はカットされる確率が高い。
 私は以前MXテレビから土下座についてのコメントを電話で求められたとき、やたらと「魏志倭人伝に土下座が出てるといってください」と要求されました。いや、あんな古代の文献は信憑性も薄いし現代の土下座とは似て非なるものだし、私は江戸時代以降の検証しかしてないから、といっても、「魏志倭人伝っていってください」としつこいんです。先にウィキペディアで魏志倭人伝に出てくるとあるのを調べてそういう台本ができていたから、それを私に裏付けしてほしかったのでしょう。
 あんまりうるさいから、魏志倭人伝にも出てますが、とひとことだけいって、あとは自由にしゃべりましたけど、私のコメントがどういうふうに編集されて使われたのかは、放送を見てないんでわかりません。

 テレビでのコメントは、発言者の意図と異なる編集がされてることがあるので、見る側も気をつけないとね。
[ 2016/09/13 23:02 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

日本語の問題 その2

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 高畑裕太さんが不起訴になり、担当した弁護士が経緯を説明する文書をマスコミに公表しました。あれ読んだかた、ヘンだと思いませんでした? そう、たしかにあの文書、かなりヘンな日本語を駆使してるんです。一部引用します。

しかしながら、知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような、電話で「部屋に歯ブラシを持ってきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております。



 モヤモヤしますよね。「事実はなかった」とはいってないんです。あくまでも、「事実はなかったと考えております」であるところに注意してください。
 じゃあ、「考えた」のは誰なのか。ところがこの文章、主語がありません。だから被害者女性をいきなり引きずり込んだという事実はなかったと考えているのが誰なのか、はっきりしないんです。
 この前の文章には「私どもは」という主語があるので、これが次の文にもかかっていると仮定すると「私どもは……考えております」となります。
 すると今度は、「私ども」とは誰と誰を指すのか、という疑問が生じます。
 高畑さん本人は含まれるのか。それとも弁護士のチームだけを指すのか。わからないんです。そこが重要なのに、主語を省略しがちな日本語の特性を利用してあいまいにボカしてます。
 なのでこの文章からは、高畑さん本人も「事実はなかった」と考えているのか、弁護士だけがそう考えているのか、判断できません。

 「知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く」ってところもヘンですね。
 もしも高畑さん本人が「合意があるものと思っていた」と弁護士にいったなら、本人がそういった、と弁護士は表記するはずです。
 ところが、「知り得た事実関係に照らせば……可能性が高い」などと、なんともまわりくどい日本語を駆使してごまかしてます。
 てことは、この弁護士は、高畑さん本人の口から「合意があるものと思っていた」という証言を得ていないんです。やはり「私ども」には高畑さん本人は含まれず、弁護士が考えているだけなんです。

 高畑さん本人がどう考えているのか、この文書からはまったく読み取れません。高畑さん本人の証言もあいまいな上に、「他の関係者の話を聞くことはできませんでした」とありますから、被害者の話はまったく聞いてないんです。
 つまりこの文書は、弁護士が頭のなかで描いたシナリオを説明してるだけなんです。最悪の可能性としては、高畑さん本人は罪を認めているのに、周囲の人間が何もいわせず事を勝手に進めてしまったことも考えられます。

 「○○と考えている」と発言したなら、なぜそう考えるのかを説明しなければいけません。それが論理的な説明、論理的な文章です。考えているだけなら発言者の意見にすぎず、説明にはなりません。
 前回のブログで私は、「おとっさん」は「おとっつぁん」と発音したのが正しいと考えていると書きました。そのあと、なぜそう考えたのかを説明しています。
 自分はこう考える、なぜならば……というのが常識的な論理的説明のやりかたです。
 弁護士の文書は、なぜそう考えるのか、その理由をろくに説明もせずあいまいな言葉でごまかしているくせに、「違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります」と結論だけは断定しています。
 結果的に、なんの根拠も示さずに、被害者に非があるかのように決めつけてます。おそらく、この文書を読んでそう解釈した人もいることでしょう。
 この弁護士の文書を読んで不快に感じるのは、不誠実な論理で組み立てられているからです。

 以前から私は警告してきました。ちかごろ日本のみなさんは、会見のお辞儀や態度や言葉づかいなど、表面的なところだけで誠実かどうかを決めてるけど、そんなことばかりに注目してると、ごまかしかたのうまいヤツだけがのさばるようになりますよ、と。
 誠実さの本質は、論理にあります。大事なのは、論理が誠実かどうかなんです。
[ 2016/09/11 23:20 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

日本語の問題 その1

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 アニメ映画『百日紅』を観ました。ストーリーや人物像にはとくに惹かれるところはないのだけど、つまらなくはないです。手堅い作りで好感が持てました。
 私は北斎についてはなんの知識もないので、どこまでが史実でどこからが創作なのかわかりませんが、江戸の街並みなど、相当丹念に時代考証を重ねた様子が伝わってきます。しょぼいセットで実写時代劇を撮るよりも、アニメでやったほうがリアルにできるんじゃないかって思っちゃいました。時代劇の場合、実写とアニメ、どちらが安あがりなんだろう?

 ひとつ、言葉の問題で気になったことがありました。
 北斎の娘たちが父親を呼ぶときに「おとっさん」といってるんです。でもこれ、私は「おとっつぁん」と発音するのが正しいと考えてます。
 たしかに江戸時代の文献での表記は「おとっさん」となってるのですが、それは当時の日本語表記に「つぁ」という表記法がなかったからです。口頭での実際の発音をそのまま記せなかったから、書き文字ではしかたなく「おとっさん」としてますが、実際の江戸っ子は「おとっつぁん」と発音していたはず。
 落語の登場人物でおなじみ、長屋の住人といえば「熊」と「八」。八の愛称は「はっつぁん」ですね。「はっさん」と呼ぶ人はいません。おとっつぁんもこれと同じでしょう。
[ 2016/09/11 21:44 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

高畑さんの件で気になったこと

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 高畑さんの事件のことで気になったことをまとめておきます。
 まずおことわりですが、私は○○容疑者という呼びかたが嫌いなので、高畑さんと表記します。
 だからといって、高畑さんをかばってるわけじゃありません。彼には情状酌量の余地はなく、芸能界からの永久追放も当然だし、手口の悪質さを考えると、カタギの世界で生きる資格を失ったと思われてもしかたないでしょう。

 まずなにより気になるのは、強姦に対して甘い考えの人が意外と多いことです。殺人・強盗・強姦・放火は凶悪犯罪です。強姦は、不倫だの覚醒剤使用だのとは比べものにならないくらいの悪行です。被害者に計り知れない身体的・精神的・社会的苦痛を与えるのですから、テロにも匹敵する重罪です。
 高畑さんは、相手が職務として絶対に断れない状況を作り出した上で、行為に及んだわけです。どす黒い悪意に基づいた卑劣な犯行としかいいようがない。
 事件が報道された当初、性行為そのものに関しては未遂だった可能性を指摘する人がいましたが、その可能性はほぼなくなったと見ていいでしょう。もし未遂だったら、本人がとっくにそう供述してるはずなので。
 それに万が一、未遂だったとして、あなたは許せますか? 被害者を呼び出して力づくで襲ったというところまで実行しちゃったら、もうその時点で人間としてアウトです。そこまでやった人間があなたの職場の同僚で、未遂で示談になり職場復帰したら、以前と同じように接することができますか。おそらくムリですよね。

 一方で、お母さんの淳子さんを責める気にはなれません。
 今回の件は、親の育てかたやしつけとは、まったく無関係です。親が甘やかしたからだ、などとデタラメな教育論を無責任に広めるのはやめてください。
 過去に大学生が集団レイプをして逮捕された事件では、主犯の学生が、とてもマジメな父親に厳格なしつけをされて育ったことが報じられました。つまり、こどもを甘やかそうがキビシくしようが、犯罪者になるヤツはなるし、ならない人はなりません。あなたのお子さんが犯罪者でないのは、たまたま運がいいだけです。自分の育てかたが正しかったのだ、なんてうぬぼれないように。
 もしも犯罪者にならない「正しい育てかた」があるのなら、とっくのむかしにこの世から犯罪はなくなっているはずです。そうなってないことが、教育に正解が存在しないこと、教育に限界があることの証拠です。こどもは親だけでなく仲間や社会からも影響を受けて育つのだから、親の教育にはおのずと限界があります。
 私の主張に反論するのなら、ヘリクツや精神論でなく、親の育てかたと犯罪歴の関係性を証明する統計データを見せてください。

 もうひとつは例によって例のごとく、新たな日本のお家芸となりつつある謝罪会見、その不毛さです。高畑淳子さんクラスの俳優ならば「誠実さ」を演技することが可能だからよけいに無意味なんです。一流の役者なら自在に涙を流せることくらい、みなさんご存じですよね。
 誤解しないでください。私は淳子さんが演技をしていたと批判してるのではありません。演技なのか本心の吐露なのかは、誰にもわからないといってるんです。だから謝罪会見にはそもそも意味がない。
 この手の謝罪会見があると必ず「誠実さが見られた」などと、くだらない論評をするコメンテーターが出てきますけど、誠実さをどうやって判定してるの? 自分には人を見る目があるのだ、と自慢したいわけですか。
 じつは誠実さを装うのがもっとも上手なのは、サイコパスと呼ばれる人たちだといわれてます。彼らは、本心を隠して自分を他人によく見せることに、なんの罪悪感も抱きません。他人の前で、いいひとの演技をし続けることができるので、ほとんどの人がダマされるのだそうです。
 たいていの人がうまくウソをつけないのは、ウソをつくことや自分を偽ることに罪悪感を持っていて演技を続けられないからです。罪悪感がない者は、完璧に誠実な演技ができるんです。
 つまり、あなたが「誠実」だと思っている人は、本当に誠実な人か、とても演技がうまい人か、サイコパスか、いずれの可能性もあります。そして、どれに該当するのかほとんどの人には見抜けないのです。
 根本的な疑問なんですが、誠実に謝れば強姦は許されるのですか? 先ほどもいったように、強姦は極めて悪質な犯罪です。誠実に謝れば許されるなんて生やさしいもんじゃない。なんか最近目立って不愉快なのは、上手に謝ればなんでも許してもらえるとカンちがいしてる日本人が増えてること。

 最後にもうひとつ。加害者は「いいひと」だったという他人の証言も要注意です。親兄弟がそういってかばう気持ちはわかります。でも他人は加害者の一面を見てるだけなんで、いいひとかどうかなんてわかるはずがありません。
 安易な性善説は、危険な三段論法を発動しがちです。

加害者はいいひとだ。
  ↓
だからあんな犯罪をやるはずがない。
  ↓
きっと被害者になんらかの落ち度があったのだ。
(被害者にはめられたのだ。)

 このように、被害者へのバッシングに転じやすいので、加害者を「いいひと」だと決めてかかるのは極めて危険です。
 たとえいいひとであっても、悪いことをすれば裁かれる、という原則がなければ、刑法は存在理由を失います。
 ていうか「いいひと」は強姦なんてしないけどね。
[ 2016/08/31 08:38 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告