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Web春秋連載更新のお知らせと2016年のよかった本

 こんにちは、ピコ太郎のどこがおもしろいのかわからぬまま年を越したパオロ・マッツァリーノです。
 年末年始を挟んだため、いつもよりちょっと遅くなりましたが、今月もWeb春秋連載「会社苦いかしょっぱいか」が更新されました。今回は出張がテーマです。戦前・戦後でサラリーマンの出張環境がどう変化したのか。ぜひご一読を。
 今回はこれといったこぼれ話はありません。代わりに、昨年末に書き切れなかった2016年のよかったものを補足しておきます。

2016年のよかったもの:本
ミル『自由論』(斉藤悦則訳・光文社古典新訳文庫)
 私は毎年つねに、自分の本こそがベストだと思ってますが、自分の本はさんざん紹介してきましたので他人の本から選びます。
 あまりにも有名なミルの『自由論』ですが、なんとなく食指がのびず、読んでなかったんです。数年前に光文社の文庫で新訳が出ていたことを知り、どんなもんかと斉藤悦則訳のを読んでみたら、複雑な気分になりました。
 これ、原書は日本でいえば幕末のころに書かれたものです。そのミルの指摘が、ことごとく現代社会にも当てはまってしまうんです。

 たまたまイギリスに生まれたからイギリス国教会の教義を信じてるのであって、北京に生まれてたら仏教か儒教を信じてたであろう。
 みたいなことをミルはいうのですが、要するに、常識はそれが正しいかどうか考え抜かれた上で支持されているのでなく、世間のみんなが支持してるからという理由でなんとなく選ばれているにすぎない。だからまちがってる可能性はつねにある。
 人は自分の好みをルールとして他人に押しつけようとする。不人気な反対意見を述べる人々は不道徳な悪者と決めつけられてしまいがち。だからこそ、言論の自由を保証することによって、反対意見の存在を認めなければならないのだ。
 現代では社会が個性を圧していて、社会の最上層から最下層まで、敵意に満ちた恐ろしい監視のもとで暮らしている。
 個性を押しつぶす画一化が現在も進行中である――

 ミルがあげた「現代」の問題点は、160年近く経った「現代」にもほぼそのまま、当てはまってしまいます。私は文化史の研究から、少なくともこの100年、人間は基本的に変わってないと主張してますが、もっと前から変わってないのかもしれません。
 自分の偏見や間違いを決して認めない強権的な人間が続々と世界中で指導者になってます。彼らはいずれ、自分を批判する意見を弾圧しはじめ、言論の自由が脅かされることでしょう。
 
[ 2017/01/06 22:28 ] おしらせ | TB(-) | CM(-)

2016年のよかったものども

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。この夏は、泡盛の「残波」を薄~いソーダ割りにして飲んでました。東京だと酒屋でもあまり見かけない残波が、なぜか近所のまいばすけっとで売ってるんです。

 2016年のよかったものどもを選出しました。

音楽編

Arkady Eskin『What's New』(ジャズアルバム・ピアノトリオ)
 今年のわけわからん大賞。東欧、ベラルーシという国のピアニスト。名前も、アーカディ・エスキンという英語風の発音で正しいのかすらわかりません。
 CDのジャケットも英語の曲名以外はすべてキリル文字で読解不能。現地では2005年くらいに発売されたものらしい。私は今年中古で入手しました。
 写真の印象では、50代か60代のおじさんです。ジャケットの下に着てるTシャツの文字が「deep purple」に見えるんですけど、ジャズを演奏するのになぜロックTシャツ?
 ジャズではウッドベースが普通ですが、このトリオのベースはエレキベース弾いてるのもロックっぽい。でも彼らがやってる音楽をジャンルわけするとフュージョンではなく、まちがいなく王道のジャズなんですよねえ。
 私のお気に入りは「ベサメムーチョ」。ラテンの名曲が、東欧のスパイスをたっぷりまぶされたアレンジで演奏されます。エフェクトかけまくりのクセが強いベースソロがフィーチャーされるのですが、途中からギターに持ち替えてない? もうなんでもありかよ。
 わけわからんといいつつ、何度も聴きたくなる妙な中毒性がある一枚。


JUJU『WHAT YOU WANT』(Jポップアルバム)
 近頃の日本のミュージシャンは、有名曲のカバーアルバムで稼がないとオリジナルアルバムを作らせてもらえないんですかね? カバー曲に興味が持てない私は、洋楽好きの30、40代がハマりそうな名曲揃いのこのオリジナルを推します。


映像編
『ファーゴ』(テレビドラマ・アメリカ)
 いまやアメリカは映画よりテレビドラマのほうがおもしろいというのが常識になりつつあります。これ、映画のリメイクだと思ってスルーしてる人が少なくないようですが、オリジナルストーリーです。有名俳優がほとんど出てないので、いつだれが死んでもおかしくない緊張感が最後まで持続します。有名俳優が出てると、どうせこの人、最後まで生き残るんでしょ、ってわかっちゃうから興醒め。

『真田丸』(テレビドラマ・日本)
 メジャーすぎる選択ですが、やっぱりこれを選んでおかないと。私が大河ドラマを最後まで観るなんてめったにないことなので。『清須会議』のつまらなさゆえに三谷さんの歴史ものを疑問視してましたけど、不安は初回で払拭されました。
 ウザいと批判されてたきりですが、私は好きでしたね。私は『真田丸』を幸村ときりの物語だと思って観てましたから。きりは実在したけど実像はまったくわかってません。きりという名前も三谷さんがつけたのだとか。史実に縛られないから、三谷さんは手駒として自由にきりを動かせるんです。たとえば幸村とガラシャはなんの接点もなかったはずですが、きりがミサに顔を出していたことにすれば、幸村と絡まずとも、自然なかたちでガラシャを登場させられます。コミックリリーフとしても活躍したし、物語全体を通して、きりは作劇上重要な役回りを果たしていたのです。
[ 2016/12/29 22:34 ] おすすめ | TB(-) | CM(-)

『逃げ恥』最終回

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。いやあ、ようやく観ましたよ、録画しておいた『逃げ恥』最終回。
 芸能ニュースで、田嶋陽子さんが最終回だけ観て酷評してたと聞きました。じつは私も、田嶋さんとは理由が違うと思いますが、最終回には不満です。私は初回からずっと楽しみに観てたので、最終回も許せるレベルではあるし、このドラマ自体が今年のベスト級の作品であることはゆるがないと思います。でも、もし私も最終回だけしか観なかったら、酷評してたかもしれません。
 夫婦にはいろんなカタチがあっていいよ、というメッセージには賛同します。でも現実の人生では、数ある選択肢のなかからどれかのカタチを選ばざるをえないわけです(むろん「逃げる」も選択肢のひとつです)。どれかを選ぶことで、ドラマがはじまるんです。選ばないと悲劇も喜劇もはじまりません。
 ドラマのみくりだって、最初、契約結婚をするという選択をしたからドラマがはじまったんじゃないですか。なのに最終回では、二人の今後の選択肢をいろいろ見せるだけで、結局どの道を選んだのかがボカされたまま終わってしまうんです。もしもそれが続編の展開の自由度を広げるための保険だとしたら、ズルいやりかたです。
 せっかく最終回の前の回のラストで「これは好きの搾取です!」とプロポーズを断る波乱の展開で大笑いして終わったのに、最終回はみくりたちだけでなく、他のカップルもみんな、なんとな~くしあわせになりましたとさ、みたいに無難な締めかたをしてしまったのは、やっぱり残念ですね。
 もしも続編の二時間スペシャルみたいなのを作るなら、まさしく必要なのは田嶋さんのようなキャラですよ。ひらまさが転職した会社で彼の価値観を全否定する女上司があらわれて迷いが生じ……くらいの波乱を期待しています。
[ 2016/12/23 16:08 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

死刑制度についての私見

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。『みんなの道徳解体新書』を読んでくれたみなさんから、おもしろい、笑えて考えさせられる、などおおむね好意的な感想をいただいてます。
 私自身が道徳の副読本を読んだり、道徳教育の歴史を調べる過程で感じた驚きや疑念、爆笑などをみなさんにお伝えできたのならうれしいかぎりです。

 おそらく読者から反感を買う可能性が高いのは、私が死刑制度に否定的な態度を表明しているところでしょう。なにしろ日本人の8割は死刑に賛成してるのですから。
 この問題に関して私は、アウェイでの圧倒的に不利な戦いを強いられることになります。でも大事なことなので、疎まれるのを承知で、死刑制度に関する私の考えをいっておきます。

 死刑の賛否がわかれるのは当然のこと。しかし、人のいのちに関わる矛盾だらけの問題を、多くの人がろくに考えも悩みもせず、感情論で賛成してしまってるのは不愉快ですし、理性や知性の軽視に危機感をおぼえます。
 自分の価値観や常識が傷つくのを恐れる人は、死刑の是非というテーマを振られるやいなや「被害者遺族の気持ちを考えろ!! いのちはいのちでしか償えないのだ!!」と顔を真っ赤にして紋切り型の怒声を浴びせ、議論を打ち切ってしまいます。
 「日本死ね」という言葉は不愉快だと批判してる善人たちの8割は死刑を支持して「罪人死ね」と思ってるわけです。殺せ殺せと善人が叫ぶ。なんだか矛盾してます。え? 人を殺した罪人はいのちで償うのが当然だから矛盾していない?
 なるほど。そういえば先日、87歳の老人が運転するクルマが小学生の集団登校の列につっこみ、こどものひとりが死亡する事件がありました。
 不思議なのは8割の人たちから、この老人を死刑にしろと叫ぶ声が聞こえてこないことです。おかしいじゃないですか。かけがえのないわが子のいのちを奪われた被害者遺族の気持ちを考えれば、運転してた老人はいのちで償うのが当然ではないのですか?
 なのに、ついさっきまで「被害者遺族の気持ちを考えろ!」と死刑を支持していた人たちがいきなり手のひらを返し、加害者の気持ちに全面的に寄り添っちゃってます。
 そして「あれは不幸な事故だ。悪意はなかったのだから加害者を恨んではいけないよ」と、冷たく被害者遺族を突き放すのです。なんという矛盾。

 被害者遺族の気持ちを考えたら、死刑ほど不公平な刑はありません。被害者遺族は、大切な家族を奪われたくやしさ、怒り、喪失感、苦しみを生涯抱えて生きるのです。なのに、加害者は死刑になった瞬間、すべての苦しみから解き放たれてしまいます。
 だから加害者は終身刑にして、被害者遺族と同様に生涯苦しみを背負わせることこそが真の「極刑」だと私は考えます。

 ありがちな反論。
「囚人を税金で養うのはムダだ! 年に300万円かかると聞いたぞ!」
「どうせ日本では20年も経たないうちに仮釈放されちゃうんだろ!」

 囚人1人あたり年間200~300万円もの費用がかかるという説はこれまで何度も耳にしましたけど、調べてみたらまったく根拠のない数字でした。
 『矯正統計年報』のデータをまとめた『統計で見る平成年間の矯正』によると、刑事施設の囚人ひとりにかかる予算は平成21年で1日あたり1453円、てことは年間約53万円。
 平成26年『法務年鑑』の平成27年度当初予算では、矯正収容費は約476億円。この金額は国家予算のなかでは微々たる額です。税金のムダづかいをなくしたいのなら、削るべきものは他にいくらでもあるはずです。

 仮釈放されるまでの期間については、じつは私も短いのだろうと誤解してました。だから終身刑の導入に賛成だったのですが、平成27年『矯正統計年報』によると、無期懲役の受刑者が仮釈放になるまでの平均期間は31年6月だそうです(近年、20年以下で釈放された例はないようです)
 つまり現在、日本の無期懲役刑は実質懲役30年と考えていいのです。仮に30歳で無期懲役になったら出られるのは60すぎ。人生を棒に振ったも同然です。もっと高齢で刑に服したら、文字通り終身刑になるかもしれません。
 この事実を知って以来、だったら終身刑を導入せずとも、いまのままでいいのかな……と私の考えは揺れてます。
 あるいは、このアイデアは以前にも著書に書いたのですが、仮釈放を認めるかどうかの決定権を被害者遺族に与えるという手もあります。これなら被害者遺族の気持ちに反して仮釈放されるおそれはありません。被害者遺族は許すこともできるし、望めば終身刑にもできます。

 重ねていいますが、賛否どちらを支持するにせよ、死刑がはらむ重大な矛盾から目をそらさず、考え、悩んでからにしてください。決めかねるなら、「わからない」「迷っている」と正直に答えてください。この問題に関しては、安易に極論に走るのは無責任。どっちつかずで悩むほうがずっと誠実な態度です。
[ 2016/12/07 21:59 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

Web春秋連載が更新、第9回は宴会芸です

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。今月もWeb春秋の連載『会社苦いかしょっぱいか』が更新されました。
 第9回は年末という時期にぴったりな、宴会芸の近現代史がテーマです。
 1970年代の宴会のオゲレツぶりは、セクハラなんてレベルを軽く凌駕してました。だからずっといってるでしょ、日本人の道徳心はむかしよりいまのほうがずっと強まっているのだと。それこそが、否定しようのない歴史の真実。
 一般人でも乱れてたんだから、お笑い芸人なんてもっと過激です。
 75年の『週刊現代』には、先代の柳家小さん一門が毎年恒例にしていた忘年会の様子をレポートしていますが、記事のタイトルで「警視庁には見せられない」とことわってるほど。
 以前は中華料理屋でやってたのですが、あまりの下品さにウエイトレスが耐えられず、店から断られたので小さんの家でやるようになったのだとか。それもそのはず、一門の落語家たちが次々に披露する宴会芸は、すべて基本フルチン。部屋の灯りが消えたかと思うと、全裸でケツに火のついたローソクを挟んだ前座が「ホ、ホ、ホータル来い」と歌いながら登場したり、先代の江戸家猫八が「粗チン大会を行う」と宣言してフルチンになると、あまりの小ささにだれもかなう者がいなかったり。
 同じく『週刊現代』84年の記事で赤塚不二夫さんが語るところでは、タモリさんは全裸オットセイという芸を、雪が積もった軽井沢の別荘の庭でやっていたそうです。
 ちかごろのお笑いは裸のヤツばかりで芸が無い、とか批判するかたがいますけど、お笑いはむかしから、裸が基本。裸にはじまり、裸に終わるのです。
[ 2016/12/01 22:15 ] おしらせ | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告