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コント『3人の霊と暮らす男』

コント『3人の霊と暮らす男』

 ボクはいま、3人のおっさんの霊と狭いアパートの部屋で同居している。
 きっかけはテレビCMだ。彼女いない歴20年の大学生であるボクはCMに影響され、うちにもどんぎつね出ないかなあと軽いキモチでどん兵衛を食べた……
 つもりだったのだが、まちがえて赤いきつねを食べていることに気づいた。
「はい、ちゅーもーく!」
「なんか違うの出た」

 それ以来、説教とウンチクをたれるのが好きな長髪中年男性の霊が部屋に居着いてしまった。
「人という字は」
「その話、もう聞き飽きました」
「ところでキミは、なぜ私を呼び出したのですか」
 経緯を説明した。
「キミは一度失敗しただけであきらめるのか、このバカチンがっ!」
「すいません。って、怒られたポイントがよくわからねえなあ。……待てよ? 赤いきつねを食べてあなたが出てきたということは、チキンラーメンを食べればガッキーが出てくるのでは?!」
「チャレンジしてみんしゃい!」
 とってつけたような博多弁にうながされ、ボクは速攻でチキンラーメンを作って食べた……
 つもりだったのだが、あわてていたせいで、まちがえてわかめラーメンを食べてしまった。
「わーかめ好き好きー!」
「また違うの出たっ」

 今度もおっさんの霊、しかもなぜか、もじゃもじゃヘアーとつんつんヘアーのコンビで登場。新旧どちらが呼ばれたか迷ったので両方来たという。知らねえよ。

 こうしてボクは、髪型が個性的な3人のおっさん霊と暮らすはめになった。
 その後、あらためてどん兵衛とチキンラーメンを食べてみたが、なにも出てこなかった。
[ 2017/05/21 21:26 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

『みんなの道徳解体新書』の評判に目を通してみました

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。ツイッターにも書きましたけど、14日の朝日新聞読書欄で『みんなの道徳解体新書』が紹介されました。
 てなことを宣伝すると、朝日を目の敵にしてる人たちがすぐにいきり立って批判してきたりしますけど、先日、その手のかたが喜びそうな『ニュース女子』というテレビ番組でも、私の『「昔はよかった」病』を紹介していたそうですよ。番組サイドからはなんの連絡もなかったんで、著者の私もネットの情報で知ったんですけども。
 右からも左からも一目置かれるのは、私の本がいつも、事実にもとづく貴重な情報をたくさん提供しているからです。

 発売から半年経ってますので、ネットにたまってた『みんなの道徳解体新書』の評にまとめて目を通してみました。おおむね好意的に受け取られていてうれしいのですが、もちろんなかには否定的な評もあります。
 とても残念だったのは、否定的な評のなかに、具体的に本の内容に反論しているものがひとつもなかったことです。
 この本を書くにあたって、私は時間をかけて日本の道徳教育の歴史を勉強し、明治以来の教科書、副読本も読みました。必要に応じてエピソードの背景や歴史まで調べました。
 本書で私は根拠と論理を明確に、ひとつ、またひとつと道徳テキストの内容を否定・批判していきます。
 自分が信じていた道徳観が次々と否定されていくことにショックを受けるも、なにひとつとして私に反論できない。そういう人たちは、くやしまぎれに、内容がスカスカだ、これまでの著書より内容が薄い、などとケチをつけるのが精一杯なのでしょう。
 内容が薄いのなら、反論するのも簡単なはずじゃないですか。だれひとりとしてそれができてないのは、文体の軽さに反して、内容が深いからなんですよ。
 本でも指摘したとおり、これが道徳のヘンなところなんです。みなさん、道徳のことなんてなにひとつ勉強していない、なんの知識もないくせに、あたかも自分は道徳をわかっている、自分の道徳観は正しいという前提のもとに他人の道徳観を否定・批判しています。その根拠のない自信はどこから来るの? オレは正しい、オマエはまちがってる、説明は不要だ、オレに従え、という俺様道徳がまかり通ってしまってます。

 「手品師」というエピソードに対する私の解釈に不満を表明してる教師のかたがいました。調べてみると、これに関しては、教師や教育学者のあいだでも否定と肯定で割れてるようなんです。知らないこどもとの気まぐれな約束を守るために、自分の大事なキャリアを捨てるなんて、現実には絶対ありえないと思いますけどね。いかなる事情があろうとも約束は絶対守らねばならない、って道徳律は人間を冷酷に縛りつけますが、それを望むの?

 教師のみなさんからは、現場感覚と異なるという批判もいくつか。その現場感覚とやらが具体的になにを示してるのかわかりませんので、それはおいときます。ただ、私は学校にはいませんが、みなさんとはちがう現場で道徳の実践をしてきました。近所の知らないよその子に注意したり、電車のなかでイヤホンの音漏れなどを注意したりといった活動を何十回もしています。その実践から学んだノウハウを、『日本人のための怒りかた講座』という著書にまとめてますので、こちらもご参照ください。
 私の場合、道徳の実践が先にあり、理論はあとから学んだことになります。実践してきたからこそ、私は口先だけの道徳論を信じないんです。道徳教育や愛国教育を強化しろと強気の発言をするくせに、目の前の他人のマナー違反をじかに注意することもできない腰抜け保守オヤジみたいな連中が大嫌いなんです。

 毎度のことで慣れっこですが、私に批判的な人の意見は具体性のない感情論ばかりでなんの参考にもなりません。私が反論するまでもなく、自爆してるようなのばっかり。
 私の本を好意的に評価してくれる人のほうが、批判するにしても論点が具体的だし、参考になる情報を教えてくれることが多いです。
 なぜ人を殺してはいけないのかという話に関して、あるレビュアーが指摘してました。これまで自分が人を殺してないのは偶然であって、いつかは殺すかもしれないという考えかたは、親鸞の教えにあるそうなんです。えーっ、そうなんですか。要は、おのれの正義を過信しておごり高ぶるなという教えなのでしょう。親鸞についてはだいぶ前に本で読んで、おもしろいけどよくわからんなと思ってそれきりだったのですが、案外、影響を受けてたのかもしれませんね。
[ 2017/05/18 09:45 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

最近のテレビドラマとアニメ映画

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。今期のテレビ連ドラは全滅。もちろん私の見込みがはずれただけで、スルーした作品のなかに傑作があるかもしれません。『ワカコ酒3』は安定の出来だけど、あれはドラマ仕立てのグルメ番組だし。
 そんななか1本だけあらわれた、まさかの大穴が、『サヨナラ、えなりくん』。きりたんぽだったヤツね。えなりくん、いつまでたっても出てこないなあ? とクビをひねっていたところへ、突然の企画変更で脚本家がヤケクソになったとしか思えない衝撃の展開。主人公とバーのマスターの会話シーンが多いんですが、やりとりに演劇的センスが感じられて、退屈しないんです。ひょっとしたら大化けするのか? とりあえず2話目もチェック。

 ここんとこ毎日、名探偵コナンの劇場版を観てます。WOWOWで劇場版全作放送をしてるんです。そもそもアニメをめったに観ないので、テレビシリーズはほとんど観たことがなく、劇場版は地上波で3本ほど。なので今回、ほとんどが初見です。
 いまのところおもしろかったのは、ラストが粋な『世紀末の魔術師』。それと、孤立無援のタワー屋上で、普段使ってる武器もすべて壊れる絶体絶命のピンチに追い込まれる『漆黒の追跡者』。
 どちらかというと、初期の作品のほうが出来がいいかな? それにしても、打率の高さに感心します。私は映画にしろ本にしろ、ミステリって序盤で提示される謎に魅力がないと続きを観る(読む)気になれずやめてしまうんですが、劇場版コナンのシリーズは、だいたいどれも合格点。
 ちょっとキビシめなこというと、シリーズを通じて、肝心の謎に関しては必然性の薄い連続殺人をムリヤリ仕立ててる感も否めません。でも、そんな些細な傷なんか、アニメならではの物理法則を無視したスケールのデカいアクションと、スリル満点の展開で吹き飛ばしちゃいますから。もう、犯人が誰かなんてどうでもいいやね。
[ 2017/05/07 21:07 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

犯罪者は見た目が100パーセントじゃない

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 千葉県での少女誘拐殺人の容疑者が、見守り活動や防犯パトロールを熱心にやってた保護者会長だったことで、日本中の善男善女がパニックに陥ってます。凶悪事件が起きるたびに、見守り活動を強化しなければならないと威勢よく唱えてきたのに、その活動の張本人が犯罪者だったわけですから、目も当てられません。
 私はかねがね忠告してきました。シロウトがやる見守りやパトロールには、気休め、おまじない程度の効果しかないですよ、だからやるのは個人の自由だけど、犯罪を抑止できるなどと効果を期待すると裏切られるし、逆効果になることもありえますよ、と。しかし、アタマの悪い善人たちは、なかなか耳を貸してくれません。

 効果がない理由、その1。犯罪統計と防犯活動になんの関連も見出せないから。こどもが被害者になる凶悪犯罪が起きた町では、防犯活動をやってなかったのですか? そんなことはありません。これまでの例を見ると、どこも他の町と同様にやってました。犯罪が起きた町と起きなかった町とで、防犯意識に差はないんです。どちらも普通の市民が普通に暮らしている町です。ただしみなさん、ひとつだけ忘れてます。犯罪者もまた、普通の市民のひとりだということを。犯罪者は異界から到来する魔物ではありません。みなさんと同じ人間なんです。
 それが理由その2。犯罪者は見た目ではわかりません。犯罪者はマスクとサングラスを付けて電柱のかげに隠れたりしません。普通の市民として普通に暮らし、防犯カメラが設置された道路を堂々と歩いて犯行に及びます。ですから、見守りやパトロールで犯罪者を発見できる確率はほぼゼロと考えていい。

 お年寄りはいいひとたちだから感謝しましょうと道徳の教科書は教えますが、70代の老人がわいせつ目的でこどもを誘拐した例もあります。
 動物をかわいがる人に悪い人はいない? かわいい子犬を散歩させていた男が、犬に興味を持って近寄ってきたこどもを誘拐した例もありますよ。
 今回の事件ではたまたま外国人が被害者でしたけど、なにか事件があったとき、まっ先に疑われるのは近所の外国人だったりします。とりわけ白人以外の、アフリカ系・アジア系・中東系の人たちは見た目だけで犯罪者扱いされがちです。
 地域を守る善意のボランティア活動をしている人はいいひとにちがいない、という思いこみすらも裏切られました。
 日本人は不思議です。これみよがしに寄付や慈善をやってる人を偽善者だと叩くのに、これみよがしに防犯ボランティアをやってる人は無条件に信じてしまうのだから。
 こどもの相対的貧困率が6人に1人だから対策が必要だ、なんて話が出ると、「貧困なこどもなんてうちの近所にはいないぞ。日本は豊かなのに甘やかすな、偽善者め」という批判の声が聞こえてきます。それをいうなら『「昔はよかった」病』に書いたように、こどもが連れ去られる確率は1500万分の30でしかないのですよ。防犯対策が必要だと叫ぶ人たちに、「連れ去られた子なんてうちの近所にはいないぞ。日本は安全なのに甘やかすな、偽善者め」となぜいわないのですか?
 前カゴにパトロール中という札を付けた自転車を、下半身丸出しで乗り回していた男が捕まった事件もありました。まあ、これくらい見た目でわかりやすい変態のほうが、かえって安全安心なのかもしれません。
 以前、放火の事例について調べていたときに、放火魔を捕まえたら消防団員だったという例がむちゃくちゃ多くてビックリしました。いや、ビックリしたのは、私も先入観で目が曇っていたからですね。放火魔の証言を読んでいるうちに、彼らにとっては消防団に入るのがもっとも合理的な行動なのだと納得できました。火事を間近で見られるチャンスが多いし、消防団の活動範囲や時間を知ることで、自分が放火しやすくなります。自分で火をつけて自分で消して、みんなから感謝されるのがやみつきになったと供述した放火魔もいました。
 同様に考えると、こどもに興味を抱く人間にとっては、こどもの見守り活動に参加することが、こどもに近づくためのもっとも合理的な選択になってしまうのです。参加すれば、見守りやパトロールの経路と時間を把握できるし、防犯カメラの位置もわかるから、裏をかこうと思えば簡単です。結果的に善意の防犯活動が裏目に出、犯罪者の悪意を増大させ、犯行の手助けをしてしまうことも。

「ああ、もう、だれも信用できないじゃない! 身内しか信用するなって、こどもに教えればいいのっ?!」
 寝ぼけたことをいっては困ります。こどもが殺される事件の犯人は多くの場合、じつの親ですよ。こどもを虐待してるのは誰ですか? じつの親でしょ。近年のこどもの誘拐事件では、離婚して親権を失ったほうの親や親族がこどもを連れ去ったというパターンが多いんです。
 こどもにとっては、身内がいちばん危険な存在なんです。わが子を虐待してる親も、なに食わぬ顔で見守り活動に参加しているはずです。

 家庭に次いで危険なのは、学校です。学校でたくさんのこどもが死んでる事実を忘れてはいけません。人間ピラミッドのような危険な組み体操で、こどもが何人も死んでる事実があきらかにされたのは記憶に新しいところですが、何十年も前から、体育や部活の練習中にこどもが死ぬ事件は数え切れないほど起きてます。
 通学路で不審者にこどもが殺されるのはごくまれな例でしかありませんが、その何十倍、何百倍ものこどもたちが、学校内で殺されてるんですよ。
 それは事故であって殺されたわけではない? そうですか? 危険な組み体操の練習には、こどもは強制的に参加させられるんです。ボクはいやだからやらない、なんてひとりだけ拒否したら、どんな仕打ちが待ってるか。
 こどもは不審者からは逃げられますけど、学校からは逃げられません。危険な行為を強制されて死んだのなら、それは殺されたも同然です。

 善良なる一般市民のみなさんは、犯罪統計などで実態を確認することもなく、ご自分のアタマのなかだけに存在する悪人・不審者のバーチャルイメージにもとづいて見守りや防犯活動をなさってます。
 何度同じことをいわなきゃならないのかと嘆きたくもなりますが、防犯活動をやるのなら、まずは、ご自分が住んでる町でどんな犯罪がどれだけ起きているか、過去10年くらいの増減がどうなっているのか、それをきちんと調べてからはじめてください。敵を知らずにどうやって戦うというのですか。
 私はむしろ、オトナたちが偏見に満ちたまなざしで他人を警戒する姿勢がこどもたちにも伝染することで、人間不信や偏見・差別の芽を育んでしまう弊害のほうが大きくなると思います。

 リスクの大きさを考慮した結論。あなたのこどもを守りたいのなら、まずは、あなたがこどもを殺さないまともな親になることです。次に、こどもを危険に晒すような脳みそ空っぽ教師がいる学校には通わせないことです。
 そして一番大事なのは、これも何度もいってますけど、普通に暮らす勇気を持ってください。
 さんざん脅すようなことばかりいいましたが、日本の犯罪発生率は世界的に見ても極めて低いし、いまだに犯罪は減り続けてます。だから、犯罪の危険をアタマの片隅に置きつつも、勇気を持って普通に暮らす。それだけでじゅうぶん。
 いま以上に防犯活動に力を入れるのは、効果を考えるとムダな努力でしかないし、疑心暗鬼がエスカレートすれば、住民全員をパトロールに強制参加させよう、参加しない者にはバツを与えよう、なんて異常な正義がまかり通るようになるんです。アタマの悪い善人は、善意で社会と人間を傷つけるのだから、テロリストよりコワい。どうかみなさん、賢い善人になってください。
[ 2017/04/23 17:51 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

文科省の検定方針に沿った道徳エピソードを考えてみました

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 文科省が道徳教科書に求める検定方針に沿って、あいさつをする、国や郷土を愛する、伝統を大切にする、いじめをなくす、高齢者に感謝する、をすべて含む道徳エピソードを考えたら、こうなりました。

※以下の文章はフィクションですが、とても不謹慎でブラックな笑いが含まれますので、そういうのが嫌いなかたは読まないでください。


 ケイタくんは学校で、同級生にいじめられてます。でも、いじめっこたちはオトナの前では明るいよい子を演じてるので、先生も親もいじめが行われている事実にまったく気づいてません。
 ケイタくんの学校では、毎朝、集団登校の列を作ってみんなで登校します。いじめっこたちは、ケイタくんの10メートルくらい先を歩いていて、こどもたちを見守るオトナに「おはようございます!」と笑顔で元気にあいさつし、愛想を振りまいてます。
 と、そのときです。うしろから走ってきた国産車が急にスピードをあげてケイタくんの横を通り過ぎたかと思うと、次の瞬間、登校児童の列に突っ込み、民家の塀に激突して止まりました。
 国産車を運転していた和菓子店のおじいさんは、前の晩、日本の伝統芸能のひとつである長唄の師匠をしているお妾さんの家に泊まり、朝帰りする途中だったのです。経済的に成功した男性がお妾さんを持つのは、教育勅語と同じくらいむかしから存在する日本の伝統文化です。
 おじいさんは夜遅くまで三味線や唄の練習、その他をしていて寝不足だったので意識がもうろうとして、ブレーキとアクセルを踏み間違え、事故を起こしたのでした。
 ケイタくんをいじめていた子たちは国産車に跳ねとばされ、病院へ搬送されていきました。
 ケイタくんは、高齢者に感謝しました。
[ 2017/04/01 17:21 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告