反社会学講座ブログ

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HBの鉛筆は使ってません

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。珍しく連日の投稿です。単なる気まぐれです。
 私は見なかったのですが先日テレビで、最近の小学生はHBの鉛筆を使わなくなったと報じていたそうです。学校からはBか2Bの鉛筆を使うよう指導されていて、その理由というのが、こどもたちの握る力が低下して筆圧が弱くなったのでHBの鉛筆だと文字が薄すぎて読めないからだとのこと。
 小学校でそんな現象が起きてるとは、全然知りませんでした。ただ、ひとついわせていただくと、握る力の低下というのは本質的な原因ではありません。本質的な原因は、べつなところにあります。

 じつは私もかれこれ10年以上、シャープペンでBの芯を使ってるんです。それ以前はHBを使っていたのですが、なんか文字が薄くて書きづらいような気がしてきました。
 でもそれは、筆圧が弱いからではありません。私の握力や筆圧は標準レベルのはず。少なくとも小学生よりは絶対強い。
 私がBの芯を使うようになった理由は、ノートなどの紙質がむかしに比べて良くなりすぎて、HBでは書きにくくなってしまったから。
 いまのノートやコピー用紙などの表面は、すごくつるつるしています。30年、40年前までは、学校で配られるプリントやテスト用紙にはおもに、ザラ紙、わら半紙といった安い紙が使われてました。再生紙なので茶色っぽく、表面もざらざらデコボコしてました。ときおり不純物が混じってて、そこに鉛筆の先がひっかかると、びりっと破けたりしたものです。ノートの紙も、いまよりもっとざらっとしてたはずです。
 表面に適度なひっかかりがあるむかしの紙に書くなら、HBの芯がベストマッチでした。ところがいまはむかしと比べて、紙の質が大幅に向上しました。
 ノートの紙も、こんなにつるつるしてる必要があるのかなと疑問に思うくらいにつるつるです。だからHBの芯だとすべってしまうような感じで、なんか薄い字になってしまいます。
 そんな不満が高まっていた10年くらい前。たしか画家だか美術家だかの人が、Bの鉛筆を普段から使っている、と話してるのを耳にしました。それで私も試してみたら、ホントだ、Bや2Bを使ったほうが、くっきりした字でらくにノートをとれるではありませんか。
 問題の主因は紙質の変化にあります。こどもの体力の低下は副次的な原因にすぎません。
 長年の習慣で、HBを使うのが当然と思ってるオトナのみなさん。その固定観念を一度捨てて、さまざまな硬さの芯を試してみてはいかがですか。本当に自分に合ったものを使うのがベストです。
[ 2015/05/19 20:32 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

外野から見た大阪都構想

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 そうですか、大阪都構想はダメでしたか。つまんないの。
 大阪の住民でもないし、なんの利害関係もない部外者の私が口を挟むことでもないんですが、それでも、やれば大阪がおもしろいことになるかもしれないと期待していただけにちょっとがっかりです。
 投票の数日前に放送された、橋下さんと反対派議員の討論をテレビで見たかぎりでは、反対派の主張は詭弁にしか聞こえませんでしたけどね。
 二重行政のムダな箱物にはすべて意味があったのだと力説するも説得力ゼロだったし、いまの組織のままでも、市長たちが集まって話し合う場を作れば問題は解決できます、などとフリップを出しながら語ってるのに到っては、新手のフリップ芸かと思えるほどに噴飯ものでした。そんな簡単に話し合いで改革ができるなら、とっくのむかしに大阪の問題はすべて解決していたはずじゃないですか。
 もちろん都構想をやったからといって、劇的な効果が期待できたという保障はありません。でも、既得権やしがらみをとっぱらえば、おもしろいことが起きる可能性もあったはずです。
 橋下さんがイラついてたのもわかります。こっちがなにかアイデアを出しても、否定ばかりして対案を考えない人が多いんですよ。じゃあどうすんの、もっといい案あるのと聞くと黙ってしまう。
 どっちに転ぶかわからないときは、「やってみなはれ」というのが大阪の気風だと聞いてましたけど、あれはやはり松下やサントリーだけのおとぎ話、特殊な例にすぎなかったってことでしょうか。
 結局、大阪の人たちは既得権と心中する道を選んだのだなあ……などというと、外野がやかましい、と怒鳴られるかもしれません。わかりました、黙りましょう。今後は、自分たちでも改革はできると豪語した反対派のみなさんのお手並みを、外野からとくと拝見いたします。
[ 2015/05/18 20:25 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

続・少年犯罪の実名報道は偽善である

 こんにちは。ゲスの極みおじさん、パオロ・マッツァリーノです。
 人は不愉快な真実よりも愉快なウソを信じたがります。だから、人が嫌がる真実を指摘する者は、往々にして憎まれるものです。
 少年犯罪の実名報道にはなんの効果もないという事実を指摘した私も例外ではありませんでした。実名報道が犯罪を抑止しているという考えは現代の迷信でしかないのですが、それを認めたくない人たちが激怒してわめき散らしていらっしゃる。

 Don't think, feel! というセリフで有名になったブルース・リーは、皮肉にも早死にしました。
 さらに皮肉なことには、彼が残した言葉がおバカな人たちに免罪符を与えてしまいました。考えなくてもいいんだよ、感じたままに行動すればいいんだよ、と。
 考えなければいけません。考えずに答えを得ようなんてのはずうずうしい了見です。
 ざっと見渡したかぎりでは、批判はすべて論破可能なものばかりでした。でも、個々の批判への反論はしません。正式に仕事として原稿を依頼されれば書くかもしれませんが。

 私だって、くだらないこととかおもしろいことを書きたいですよ。重いことばかり書きたかないですよ。だけど、世間のみなさんがあまりにも考えてないことに、私はムカツいてるんです。反知性主義がここまで蔓延していると、黙ってるわけにいきません。
 これまで雑誌などに載った、少年犯罪の実名報道を擁護する記事やコラムに目を通しましたけど、プロの書き手ですらなにも考えてない。思考停止していることに呆れました。実名報道は絶対的な正義であり善であり天誅であり抑止力であると決めつけるところから、みなさん議論をスタートしているんです。己の正義を疑うこともせず、異論を唱える者を罵倒して、正義のジャーナリズムを気取ってる。
「海外では実名報道はあたりまえだ!」
 じゃあ、なんで日本より海外のほうが圧倒的に少年犯罪が多いのですか?
「少年法は形骸化している!」
 じゃあ、なんで少年犯罪はむかしより大幅に減ったのですか?
 こんな初歩的な疑問にすら答えることができないでしょ。答えられるわけないですよね、シンクしないでフィールしてるだけだから。
 情けないのは、「数は減ったけど質が変化したのだ、凶悪化しているのだ」なんて寝言をいう人がいまだにいることです。高度成長期にも戦前にも、山ほど凶悪な事件は起きてます。過去を美化して現代をこきおろすあなたがたのほうが、よっぽど悪質です。

 犯人の実名を報じるだけでお手軽に悪に鉄槌をくだし犯罪を抑止できるのだ、と吹聴すれば大衆は安心します。喜びます。でも、そんな偽りの正義を広めるのがジャーナリズムなのですか? そんなのは安っぽいポピュリズムでしょう。
 私も以前は、実名報道には溜飲を下げる効果があると思ってましたけど、どうやらそれもアヤシくなってきました。だれも溜飲なんか下げてないじゃないですか。逆に怒りと憎しみを煽ってるようにも見えますが。

 世論の思いこみと現実との矛盾を伝え、人々に考えることをうながすのも、ジャーナリズムの大切な役割でしょう。実名報道の効果を検証することもなく、自己満足の正義に浸っているだけなら、形骸化しているのは、ジャーナリズムのほうです。
 正義や大義は必ず内に狂気をはらんでます。悪を憎むのならばなおさら、現実を正しくとらえないといけません。さもないと、正義と悪と狂気の区別さえつかなくなってしまいますよ。
[ 2015/05/09 20:18 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

日本の戸籍にもミドルネームを

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 日本の戸籍にも、ミドルネームを正式に導入することを検討してみてはいかがでしょう、というのが本日の提案です。
 そんなことして、なんの意味があるのか? おおいにあるんです。いわゆるキラキラネーム問題を解決できるかもしれません。
 こどもに読みにくい名前をつける習慣は、日本では鎌倉時代からあったわけで伝統といえなくもないのですが、近年、英語のような名前に漢字をムリヤリ当てるものなどが増えてきました。親はいいけど、学校の先生が読めなくて困るし、なによりこども本人がイヤな思いをすることもあるんじゃないか、などと世間の風当たりはかなり強い。
 こないだネットの芸能ニュースで読みました。お笑い芸人のゴージャスさんが、生まれた娘にエスメラルダという名前をつけたいけれどムリだろうなと悩んでるそうです。ほとんどの人にとってどうでもいいニュースですが、じつは、同じ悩みを持つ親御さんは、意外と多いんじゃないかと思うんですよ。本当は、こどもにちょっと変わった名前をつけてみたいけど、世間体を考えると、あたりさわりのない名前をつけるしかないか……。
 戸籍にミドルネームが使えるようになれば、その悩みは解消します。名前をふたつつけられるようになりますから、正式な名前は普通の読みかたをするオーソドックスなもの――たとえば花子とつけます。で、ミドルネームをエスメラルダにするんです。戸籍上の名前が「山田エスメラルダ花子」みたいになるわけです。
 学校では山田花子を使い、家ではエスメラルダと呼べばいい。先生も困らないし、親も満足です。もしもこどもが大きくなって、エスメラルダなんて名前は恥ずかしいと思ったら、花子だけを名乗ることができますから、ヘンな名前をつけられた、と親が恨まれることもありません。もちろん、本人が気に入れば、ミドルネームのほうを普段から通称として使ってもいいわけで。
 これは決して、日本文化の破壊でも侮辱でもありません。むかしの武士や武将は、「いみな」などのミドルネームを持ってたのですから。源九郎義経とか、大岡越前守忠相みたいなね。大岡忠相が本当の名前ですが、どちらかというとミドルネームの大岡越前のほうが有名でよく使われます。だからといって、日本文化を愚弄してる、と批判する人はいません。
 むしろミドルネームの導入こそが、日本の伝統文化の復権になりますし、こどもにヘンな名前をつけたがるむかしからの日本人の嗜好にも合致します。
 正式な名前を常識的なものにしておけば、誰にはばかることもなく、ミドルネームでおもいっきり趣味に走ることができるんです。こどもの名前を考える楽しみが2倍になりますね。
 なんだったら、これから生まれるこどもばかりでなく、オトナが自分で申請してミドルネームをつけられることにしてもいいかもしれません。
[ 2015/05/05 22:25 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告