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被害者の存在を消すな

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。先日、パソコンのマウスが壊れたので買いに出たら、平日の昼間なのにやけに街なかに人が多い……そうか、世間はいま春休みなのでした。

●最大多数の最大幸福

 1月末にアップして反響を呼んだ記事「松本人志さんの罪についての考察と提案」のなかで私は、大衆なんてのは薄情なものだから、1年も経たずに松本さん不在のテレビにみんな慣れてしまうだろうと予告しました。
 1年どころか、騒動勃発から2か月も経たぬうちに、早くもそれが現実になってしまいました。テレビ界もお笑い界も何事もなかったかのように通常営業を続けてます。私はもともと松本さんの出演番組をほとんど見てなかったので、テレビが急につまらなくなったとは全然思いません。実際、松本さんが出なくなって視聴率が下がった番組はほとんどないそうです。
 松本さんがいなくても何も変わらないことが証明されてしまったし、多くの視聴者はそれをすんなり受け入れているのです。
 そもそも、松本さん見たさにテレビを見ていた人がどれだけいたのか、疑問です。松本さんがカリスマだったというのは30年くらい前の話であって、現在の大多数のテレビ視聴者にとって松本さんは、好きでも嫌いでもない、いてもいなくてもどっちでもかまわない存在でしかないはずです。

 ていうか、私も含めてですが、お笑い好きの人たちが最初にこの件を知ったときの感想は、「やっぱりな」だったんじゃないですか。というのは、吉本芸人は以前から、みんなで部屋に女連れ込んだけど、やろうとしたら逃げ出したから冷凍肉投げつけてやった、みたいなゲスな逸話を笑い話として何度も披露してたんです。そういうのはお笑い好きの間ではわりとおなじみの話だったので、今回の告発を知っても「やっぱりああいう話は実話だったんだな」と受け止めるだけで、べつに驚きはしなかったはずです。
 吉本芸人だけではありません。東国原さんは芸人だった1990年に雑誌『微笑』でタレントの千堂あきほさんと対談し、「オレなんかも、やむにやまれないって感じで、痴漢しちゃうことあるもんね」といってます。痴漢やのぞきを何度もした経験をおもしろおかしく自慢しているのです。
 これも雑誌の捏造だと東国原さんは批判するのでしょうか。あるいは場を盛り上げるためのウソだったと釈明するかもしれませんが、だとしても、このときの東国原さんに、痴漢被害者がどんなツラい思いをしているかという想像力が欠けていたことは間違いないし、30年以上経ったいまも、松本さんを告発した女性の存在を完全に無視してます。

 ともあれ、テレビが通常営業を続けている現実によって、松本さんの復帰を強く願ってるのは少数の人たちにすぎないことがはっきりしました。彼らは執拗に大声で叫び続けてるから目立つだけです。
 カリスマなんてものは、しょせん虚像にすぎません。表舞台に立ってるときは、この人がいなければ業界は成り立たない、などとちやほやされますが、いなくなっても、どうということはありません。昔、カリスマ美容師なるものが流行りましたけどすぐにブームは去り、そのあと大衆の支持を得たのは、無名の理美容師が働く1000円カットでした。松本さんが去ったいまは、まだ無名だけど実力のある芸人にとってはまたとないチャンスです。私は松本さんよりもそういう人たちを見たいです。

 松本さんが数年後にテレビに復帰しても、松本さんではもう笑えないでしょ。たとえ裁判で勝ったとしても、妻子のある身でありながら、性犯罪と紙一重の下劣なやり口で女漁りを執拗に繰り返していた人という事実は消えません。そんな初老の男性がテレビでがんばっておちゃらけたり、愉しそうに他人をイジったりしても、それ自体が地獄絵図です。松本さんの復帰を望む人たちはそれを見て無邪気に笑い転げるのでしょうか。だとしたら相当悪趣味です。
 松本さんはもうこれまでと同じように他人をイジることができないし、松本さんをシモネタでイジってもヘンな空気になるだけです。つまり、もう松本さんの笑いはテレビでは成立しないんです。
 なので、こころあるテレビ業界人のみなさんは、松本さんをこのままひっそりとフェードアウトしてあげてください。それが本人のためでもあるし、ご家族のためでもあるし、性被害を告発した女性たちのためでもあります。
 松本さんがまだお笑い芸人でいたいのなら、舞台もしくはネット動画に活動の場を移し、テレビとは違う新しい笑いを存分に追求してください。コアなファンは喜んでついていくだろうし、見たくない人は一生見なくて済みます。いうなればそれが、最大多数の最大幸福となる解決法です。

●常識的な倫理観に自信を持ってください

 私は1月末にブログ記事を公表したあと、補足をしただけで、あとは何も書かずに放置してました。主要な論点についてはだいたい書いたつもりだったので、もうじゅうぶんだろうと判断したからです。
 自分のブログにはカウンターみたいなものをつけてないので、どれだけの人が読んでくれたのか不明ですが、ダイヤモンドオンラインに転載された記事は、公開翌々日の時点で200万PVを越えていたそうです。もちろん私に批判的な人が読んだぶんも含まれてますけど、ツイッターに寄せられた反響や、ツイッター上の声は圧倒的に私への賛意が多かったので、まともな倫理観を持つ日本人がまだまだ多いことに、ちょっと安心しました。

 1月の時点では、ネット上でもテレビでも、松本さんを擁護する人たちの声ばかりが目立ったので、
「あれ、松本さんに不快感をおぼえる私の倫理観が間違っているのだろうか……?」
「被害を告発した女性たちの苦しみに共感する自分は間違っているのだろうか……?」
 と少なからぬ人たちが、自信をなくしかけていたはずです。
 そこへ、正面切って松本さんらとその擁護者を批判する私のブログ記事が出ました。それを読んだ人たちが「やっぱりそうだよね、私の常識や倫理観は間違ってなかったよね」とうなずき、自信を取り戻してくれたのなら、なによりです。

 ぐうの音も出ない批判などと持ち上げられましたけど、私は常識的なオトナの倫理観と知性・理性にもとづいた正論を述べただけです。私と同主旨の意見をブログなどで述べてる人は大勢います。私だけが奇をてらった独自の正義や倫理を主張したのではありません。人間としてまっとうな正論だからこそ反論できないのです。
 人間としてまっとうな正論にムリやり反論するとなれば、極論や詭弁を弄して揚げ足を取るか、呪詛や邪言を投げつけるしかありません。実際、私に寄せられた反論のほとんどがその類だったのですが、そんな反論をすればするほど、自分たちの非人間性を世間に晒すだけなのに。
 まともに反論できないのに間違いを認めたくない意地っ張りは、開き直って非人間的で非情なワルを気取ったり、すべてを冷笑して善悪の価値判断を避けようとします。
 そういう態度は20代くらいまでなら若気の至りで済みますが、50すぎたおっさんがワルを気取ってても痛いだけでしょ。私はまっとうな正義を主張することを恥ずかしいと思わない歳になりましたし、それを偽善だとも思いません。偽善の効用については『偽善のトリセツ』(河出文庫)で詳しく解説してるので、偽善アレルギーのかたに一読をおすすめします。

 それと余談ですが、突然ブログ記事に注目が集まったことで、初めて私の名前を知った人たちが、パオロ・マッツァリーノって何者だろうと、いろいろ調べたようですね。
 とりあえず、私が内藤朝雄さんでないことだけはきっぱり宣言したのですが、それでも信じてくれない人がいるのが不思議です。
 AIにたずねたら、パオロ・マッツァリーノの正体は山本七平の息子の山本弘であると答えた、というのには笑いました。山本弘さんって、SF作家のかたですよね? だとしたら山本七平の息子ではないですよ。もちろん私と山本弘さんも別人です。
 匿名の是非については『思考の憑きもの』(二見書房)収録の「匿名が諸悪の根源なのですか?」で徹底検証してますので、匿名に批判的なかたは、こちらを参考にしてください。戦前日本の新聞雑誌の投書欄がほぼすべて匿名での掲載だったことは、あまり知られてません。

●被害者の存在を消すな

 そんな私が頼まれもしないのに、また松本さんの件についてこうして長文を書く気になったのは、どうしても見過ごせないことがあるからです。それは、被害者の存在を消そうとする動きです。
 松本さんを擁護する人たちの世界には、自分と松本さんしか存在しないのです。擁護派が見ている世界には、被害を告発した女性はそもそも存在しないことになってます。
 擁護派には告発者の家族の怒りや苦しみも見えてません。なのに彼らは松本さんの家族を心配する。ゲスな不貞行為で家族を裏切ったのは、他ならぬ松本さんなんですよ。家族に償う責任があるのは松本さんです。被害を告発した女性たちや文春に責任転嫁するのはお門違いです。
 本来は、被害を告発した女性たち対松本さんという構図で、どちらのいいぶんに正当性があるかを議論しなければいけないはずですが、擁護派はその議論になると分が悪いので、被害者の存在を徹底的に無視する戦法をとってます。被害者対松本さんでなく、文春対松本さんという構図を強調した上で、過去の誤報例を持ち出して文春は信用できないとのイメージを作り上げ、さあみなさん、文春と松本さん、どちらが信用できますか? と世間に問いかける。
 こういう目くらましに乗らないでくださいね。松本さんは具体的な証言を何一つしていないのだから、松本さんの信用度はいまだにゼロのままです。女性側は具体的な証言をしています。それがすべてウソだとする証明はないのだから、女性側の信用度は現時点ではプラスです。
 この件の主役はあくまで、被害の告発者たちと松本さんなのです。文春は、性被害という性質上おもてに出にくい人たちの代理をつとめてる立場です。
 だから、被害者抜きで議論を進めてはいけません。被害の告発者たちは存在するという前提で証言を扱い、それを崩せるか崩せないかという順序で議論を進めなければ、まともな議論になりません。
 被害の告発を黙殺したり、最初からウソ、捏造と決めつけてかかったり、被害者の存在そのものを否定したりすることは、人権無視の悪質な行為ですし、法の理念に反します。
 冤罪だったらどうするんだ、という反論がすぐに出てくるでしょうけど、冤罪は捜査と裁判が正しく行われれば晴らせます。濡れ衣をかけられて失った名誉は回復可能です。でも、被害者の告発が黙殺された場合、捜査も裁判も行われず、事件の真相は闇に葬られ、被害者は永遠に救われません。冤罪をなくしたいのなら司法制度の欠陥を批判すべきです。冤罪の可能性を理由に被害の告発を黙殺することは許されません。

●週刊文春の記事を再読する

 裁判が始まったタイミングに合わせて、昨年末発売の『週刊文春』1月4・11日号に載った第一報記事が、文春オンラインで公開されました。これまでは有料会員しか読めなかったものを誰でも読めるようにしたようです。細かく分割されて順序がちょっとわかりづらくなってしまってますが、雑誌を未読だったかたは読んでみてください。というのは、この記事を読まずに、ネットやテレビからのあいまいな伝聞情報だけをもとに意見を述べてると思われる人が非常に多かったからです。
 ただし、先に警告しておきます。感受性の強いかたは、心してお読みください。私でさえ最初読んだとき、松本さんらの行為が想像を上回るグロテスクなものであることに驚いたくらいです。
 その不快感の正体については『サンデー毎日』2月18・25日号の記事が参考になります。松本さんらの行為では、人間心理を悪用して相手を罠にはめ、抵抗できぬようにするためのテクニックが多用されていると、性加害者の治療に携わっている斉藤章佳さんと、性暴力被害者の支援をしてきた臨床心理士の岡本かおりさんが解説しています。
 私はそれに加えて、松本さんの強烈すぎる支配欲も不気味に感じました。すでに誰もが認めるほどの、金も地位も名誉も手に入れた成功者であるにもかかわらず、素人女性や後輩芸人という、あきらかに自分より格下の人間を意のままに支配しなければ満足できないのでしょうか。

 この第一報記事を読んで、A子、B子さんの告発はウソだ、これは文春の捏造で、そんな女性たちは存在しない、と主張する人がいたら、その人の読解力と人間性を疑います。
 私は先日、週刊文春などの続報をまとめて読み直しました。それでも、私の基本的な意見は揺らぎません。文春の記事に登場した告発者は、被害を受けた当事者と被害を目撃した人をあわせて、少なくとも十数人はいます。実名で告発した人もいます。告発者たちの証言には一定のパターンが存在しますし、問題となるほどの破綻や矛盾はありません。面識のない複数の女性たちが口裏を合わせて同じことをいうのは、常識的に考えて不可能です。裁判官もおそらくそう判断するでしょう。
 それらすべての証言を文春の捏造だと決めつける主張のほうが陰謀論的でムリがあります。私は記事のすべてが事実だといってるわけじゃないですよ。常識的な読解力と倫理観をお持ちのかたが読めば、大筋で事実だと考えるのが自然だといってるんです。
 今回の件のように、大勢の記者や編集者が関わっている件で組織的に捏造するというのはちょっと考えにくい。それがバレたら致命的なダメージを負いますから。もしも捏造だったら、とっくのむかしに文春の社員から内部告発が出ていてもおかしくありません。
 被害者の告発証言を文春が勝手に書きかえたり、大げさに話を盛っているのなら、告発者の中からも、文春の対応を批判する声が出てるはずです。でもそういう人が現れてないってことは、告発者たちと文春の間に信頼関係があるということです。

 私は記事内容の正しさを論じてるだけなのですが、お前は文春の味方か、と的外れなケチをつけてくる人がいます。だったら松本さんはむかし週刊朝日に連載していたのだから朝日新聞社の味方ですか。
 敵か味方かという発想でしかものごとをとらえられない人は、容易に陰謀論的イデオロギーに陥ります。そうなってしまった人は、敵の言葉をすべてウソと決めつけて全否定し、反論には一切耳を貸さないので、取りつく島がありません。

 時効で罪を問えないから調べる必要はないというのは形式的な法律論です。ジャーナリズムや歴史学や社会学に時効はありません。法律ができない過去の疑惑検証は、ジャーナリズムや歴史学、社会学の守備範囲であるともいえます。

●中立・公平・不偏はありえない理想論

 擁護派は松本さんに批判的な人たちに対し、「文春の報道を事実だとした上での発言は公平性に欠ける」みたいな決まり文句で攻撃してくるのですが、それをいうならあなたがたも、何の根拠もなく松本さんが無実だと決めつけて擁護してるのだから、公平性に欠ける点では一緒です。
 また、松本さんへの批判的報道を「私刑」という強い言葉でなじる人もいますが、それも一方的です。被害を告発した女性たちがネットで受けた大量かつ悪質な誹謗中傷も、間違いなく私刑です。被害者への誹謗中傷は棚に上げて、松本さんへの批判のみをおおげさに私刑となじるのは、それこそ公平性に欠けた主張です。自分が偏向してることは無視して、他人にだけ厳正な中立公平を求めるのも詭弁術のひとつなので、知っておいたほうがいいでしょう。
 公平性、中立性、不遍性は、重要で有用な概念です。目標とすることは間違ってませんが、それらは重要な目標でありながら実現不可能という矛盾した性質を持つのです。人間にはそれぞれ異なる主義主張があるのだから、完璧な公平・中立・不偏なんてものはありえません。事実の追及よりも公平・中立・不偏を重視してしまうと、事実や現実を見る目が歪み、公正な判断ができなくなってしまいます。
 公平性、中立性、偏向という言葉で報道機関を批判してる人にうかがいます。
「完全に公平中立で偏向のない報道機関は、世界中のどこに存在するのですか?」
 ありませんよね。報道機関がよのなかのすべての事件、事象、情報を報じることは不可能だからです。すべてを報じようとしたら、万引きや自転車盗の記事ばかりになってしまいます。
 なので報道では必ずなんらかの基準による取捨選択が行われます。何を報じ、何を報じないか、それによってメディアの個性、方向性が決まるのです。公平中立で偏向のない報道が不可能だからこそ、さまざまな報道メディアが存在する理由になります。我々は複数のメディアの報道を比べて何が真実かを判断するしかありません。
 偏向のない報道という実現不可能な理想を掲げ、文春はそうなってないから偏向報道だ、などと批判するのは愚論です。そんな批判を真に受けたら、すべての報道は偏向だから誰も何も報道できないことになってしまいます。

●記事内容を否定する証言について

 霜月さんという女性がツイッターで、文春でJ子さんが証言した会に自分も参加していて、J子さんの証言はウソだと主張しています。彼女の証言をテレビが取りあげないのは偏向報道だと主張する人がいますけど、私は偏向だとは思いません。
 彼女の主張は決定的な反論になってないし、肝心な点への言及を避けてるフシがあることは、ネット上でも多くの人が指摘しているとおりです。週刊文春も3月21号で反論してます。そこでは彼女に乗っかって文春を叩いてるたむらけんじさんのウソが、逆にJ子さんによって暴かれてます。
 しかも霜月さんは、テレビで松本さんを見たい、松ちゃん早く帰ってきてー! みたいな絶叫コメントを何度も書くほど偏った立ち位置の人なので、松本さんに有利になるよう、自分の過去の記憶を(悪意でなく無意識に)修正してしまってる可能性は否めません。そこんところを確かめようにも、取材には一切応じないと宣言しています。テレビ局がそういう人の主張を取りあげるのを見送ったとしても、それは妥当な判断であり、偏向ではありません。

 またジャニーさんを引き合いに出しますが、仮に、「ジャニーさんと一晩同じ部屋で過ごしたけど何もなかった」と証言する男性が現れたとしても、他の多数の告発がすべてウソだということにはなりません。たったひとつの反証例でジャニーさんの潔白が証明されるわけではないのです。その日はたまたま何もなかったというだけのこと。犯罪者はつねに犯罪者なのではありません。犯罪をしない日だって、普通にあるんです。
 少年時代にテレビで見たコントレオナルドのコントでは、レオナルド熊さんが演じる父親に、息子役の石倉三郎さんが「父ちゃん、授業参観には来ないでくれよ」と頼みます。すると父親は、「なんでだ。オレが泥棒だからか」。
 私は爆笑すると同時に、人間観が変わるほどの衝撃を受けました。そうか、泥棒はつねに悪人ではないのだ。泥棒を生業としてる犯罪者にも家族がいて、盗みを休んでこどもの授業参観に行って善人の顔をしてる日もあるのだ。

 霜月さんはその場で起こったことのすべてを目撃できたわけではなく、自分が見た範囲のことを自分の解釈で語ってるだけです。松本さんについてもごく限られた面しか見ていないのに、それだけで善人かどうか、無実かどうかを判断できるわけがない。
 彼女が見ていなかったところで何が起きていたかは知るよしもないし、J子さんは霜月さんが見ていなかったものを見たのでしょう。たとえば、J子さんは同席していた素人女性を銀行員だったといってますが、霜月さんはそれをご存じなかったようです。
 霜月さんの主張をウソだと決めつけてるのではありません。じゃあ、100%正しいことにしましょうか。それでも数ある告発のうちのひとつを否定しただけにすぎないので、それによって松本さんが潔白になることはありません。他の告発はすべて生きてます。
 松本さんらが普通に飲み会だけで終わらせた日があったとしても不思議ではないのです。霜月さんが参加しなかった日に性加害が行われていた可能性を、霜月さんは否定できません。その日たまたま、たむけんタイムがなかったとしても、他の日にあったという複数の告発と矛盾はしないのです。
 そもそも不思議だと思いませんか。告発者は少なくとも十数人いるのに、なぜ記事内容を否定する証言者は霜月さんひとりだけしかいないのですか?

●紹介しそびれていた良書

 さて最後に、今回の問題を考える際に参考になる本を紹介しておきます。

『痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学』牧野雅子 エトセトラブックス

 この本で扱ってるのは痴漢だけですが、軽いものとはいえ、痴漢はまぎれもなく性犯罪ですし、痴漢に関する言説や態度の多くは他の性犯罪にもあてはまります。なので性犯罪について考えるための入門書としても本書は優れていると思います。
 薄めで読みやすい本ですが、実証的な研究書なので、読んで得られるものが非常に多いのです。警察に開示請求して引き出した資料や、統計、新聞雑誌記事による検証であきらかにされる痴漢の実像が、世間の人たちの思いこみとかなり異なることに驚くでしょう。
 最初に読んだとき、私はほぼ一気読みしてしまいました。今回読み直して、これまで紹介しそびれていたのを申し訳ないと反省したほどの、社会学の良書です。

 著者の牧野さんは、警察官から犯罪学の研究者になったかたです。なので、痴漢に関する統計と警察の捜査実態の説明でも、実際の被害届がどう受理されるか、調書がどう取られるかなど、説明が非常に具体的です。
 しかも牧野さん自身が新人警察官だったとき(たぶん80年代)に電車で痴漢被害に遭っているのです。警察官・被害者双方の視点から語られる事の顛末はとても興味深い。犯人がつかまったものの、署内では奇異の目で見られるし、調書を作る過程で捜査員がそれとなく、加害者を訴えて事を荒立てなくてもいいんじゃないかと圧力をかけてきて、結局訴えるのをあきらめたそうです。
 私がブログ記事で、性被害の届け出はほとんど受理されないし、裁判まで行き着くのは被害全体の2%という試算データを紹介したところ、そんなことはないと、やっきになって否定しようとする人たちがいました。でも元警察官の牧野さんが、性被害を警察に届け出ても、内部で握りつぶされてしまうことがあるという実態を暴露してるんです。痴漢の被害届が出されるのは全体の1%程度だとする鉄道警察の試算もありますし、性被害が裁判で裁かれるのは2%とした試算も現実味のある数字だと思われます。

●性犯罪に寛容なところを見せるのが男らしさというカン違い

 さらに興味深いのが、この本の第2部です。
 戦後から現在まで、痴漢が新聞雑誌でどのように語られてきたかが検証されてます。ちなみに、先ほど引用した東国原さんの例もここで取りあげられているものです。
 他のことではまともな発言をしている1960年代の作家や評論家でも、痴漢に関しては堂々と擁護・容認発言をしてることに驚き、がっかりしました。女は痴漢されることを待ち望んでいるのだから、やってやるのがサービスなのだみたいな暴言を、知的水準が高いはずの人たちが平気で口にしてしまうあたりが逆に怖い。
 ただ、それがどこまで本心だったのかは、疑問です。多くの男性にとって、痴漢擁護発言は、同じ男性たちに向けた見栄、虚勢ではなかったか。
 これは痴漢ばかりでなく、性犯罪全般にあてはまります。性犯罪に目くじらを立てる男はヤボなヤツ、カタブツ、フェミニストぶっているヤツ、であり、強いオトナの男なら、性犯罪に寛容な態度を示すのが当然だ。そういう共同幻想による文化的圧力を、古来、多くの男性が受けてきたのではなかろうかと。
 むかしから、英雄色を好む、などといわれます。金や地位を手にした成功者たる男は、複数の女たちを支配する性豪でもあるのだ、という常識が、まことしやかに言い伝えられてきました。
 飲む打つ買うが男の甲斐性、妾を持てて一人前、みたいな無頼イメージがまかり通ってたことで、昔の男はみんなそうだったと思ってるかたも多いかもしれませんが、実際には、性的にマジメな男性や、それほど性欲の強くない男性、女郎買いをしたことのない草食系みたいな男性は戦前から普通にいたのです。
 でも、性犯罪の被害者女性に同情的な発言をしたら、お堅いヤツ、女々しいヤツとバカにされかねません。そう思われたくないために、性犯罪に寛容なところをアピールして強い男、無頼のふりをして、虚勢を張っていた人が多かったのではないでしょうか。
 今回、松本さんを擁護する男性の意見を読んでいて、私は同じ印象を受けたんです。彼らは、松本さんらの行為は性犯罪ではなく、一般社会の男なら誰もがやってる普通の女遊びだ、みたいに矮小化して、それに対する寛容さをアピールすることで強がっているだけではないか。

 なかでも違和感をおぼえたのは、男の生きづらさみたいなことを主張してる人たちのなかに、松本さんを擁護してる人がいたことです。それは完全に誤爆というか自爆、もしくは自縛です。
 松本さんみたいな人が、成功者は強い男、性豪、男のあこがれという古いイメージをいまだに世間にまき散らし、崇拝の対象になってることで、その風潮に逆らう意見をいえない優しい男が生きづらさを感じるわけですよね。
 そんななか、今回の松本さんの行為についても、容認しないと弱い男とか、フェミニストの味方と思われて軽蔑されてしまうのではないかと脅えた人たちが、虚勢を張って擁護派への同調論を唱えてるだけではないか、って思えてしかたがないんですけどねえ。
 若いころの松本さんは、どちらかというと細身でやさ男っぽいイメージでした。カツアゲの被害者になりそうな弱い人がお笑い界の権威をなぎ倒して天下を取ったから、カリスマになれたのです。
 それがいつのまにかマッチョになったとき、三島由紀夫かよ、と私は危ういものを感じましたけどね。三島ももともとは男臭さの薄い人だったのに、なぜか強さにあこがれて自分を鍛え、とんでもない結末へ突き進んでしまったわけで。
 松本さんもマッチョになる頃からおかしくなったのではないですか。自分に逆らえない後輩に命じて集めさせた素人女性を支配して喜ぶマッチョを男らしさだと思っていたのなら、とんでもないカン違いです。
 極めつきが先日のツイッターコメント。被害者のことも後輩のことも、なんだか他人事です。「後輩たちが巻き込まれ」って、巻き込んだのは松本さんですよ。せめて、全責任は自分にあるから後輩のことは責めないでくれ、くらいの男気を見せれば世間の評価も変わったんじゃないですか。そういうふうにあえて責任を引き受ける覚悟を持たねばならないから、男はつらいよ、となるはずなのですが。(もちろんこれも、男だけが責任を負うべきという思いこみだけど。)
 しかしいまの松本さんは、自分の保身しか頭にない無責任男です。擁護派が見ている世界には自分と松本さんしかいないといいましたけど、松本さんが見ている世界にはもはや松本さんしかいないようです。松本さんのカリスマメッキは、無惨に剥がれ落ちるばかりです。

 まあ、私が何をいっても、意固地になってしまった松本擁護派が耳を貸すことはないでしょう。
 なので私は、迷っている人たちに向けてアドバイスします。「松本さんにあこがれるのをやめましょう」。
 自分の弱さにコンプレックスを持つ人たちがどんなにがんばっても、松本さんにはなれません。松本さんのような強者にあこがれて、松本さんを擁護しても、あなたがたが救われることはないし、柄にもない虚勢を張ることで、かえってつらくなるだけです。もちろん、性被害を告発した女性たちを敵視したり、存在を否定したりして溜飲を下げるのは人間として最低の行為です。大切なのは男らしさでも女らしさでもなく、人間らしさです。
[ 2024/03/31 20:30 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

松本さんについての記事への反響など

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。松本さんの件に関するブログ記事へのご意見、ざっとですがひととおり目を通しました。ダイヤモンドオンラインに記事が転載されたこともあり、反響が膨大な量になってしまったので読みこぼしてしまったご意見も多いと思います。私はツイッターを熱心にチェックしてないので。
 松本さんには「信者」といわれるくらいに熱狂的なファンがいることは以前から知ってました。批判的なことを書けば叩かれるのは承知の上で、ブログに記事を公開したんです。
 でもフタを開けたら、私に賛意を表してくれるかたが圧倒的に多かったので、安心したというか、意外だったというか。私と同じようなモヤモヤを抱えつつも、言葉にできず口をつぐんでいた人が大勢いたのでしょう。
 なお、私はツイッター上で何かに答えることはしてません。これまでも寄せられたご意見にはときどきブログで回答してきました。今回も反響に対する私の考えなどをここで述べておきます。

 私は2016年発売の著書『日本人のための怒りかた講座』の冒頭で、松本人志さんがラーメン屋で居合わせた迷惑客を冷静な態度で注意したというツイートを絶賛しました。私が考える理想的な怒りかたを、松本さんが実践していたからです。
 でも今回、テレビ報道で松本さんの疑惑を見聞きするにつけ、性加害という犯罪が疑われる事例でもあるし、逆らえない後輩に女性を用意させる行為は不快なパワハラです。私は今回の一連の松本さんの言動や行為を、とうてい正しいとは思えなかったのです。
 相手が一般人だろうと、総理大臣だろうと、カリスマ芸人だろうと、正しいことをすれば賞賛し、間違ったことをすれば批判する。あたりまえのことをしてるだけです。

 とはいえ根拠なしの先入観で批判するのはよくないので、すべての発端となった『週刊文春』の記事を読んでみることにしたのです。
 私は普段、週刊誌をまったく読みません。調べなければならないことがあるときだけ該当記事を読み、記事内容の信憑性はその都度検討します。私を文春の回し者呼ばわりしてる人もいますけど、私にとって文春は敵でも味方でもありません――と書いてて思い出しました。20数年前に一度だけ文藝春秋の本社で、ある編集者とお話ししたことがありました。そのときに同席してたベテランの編集者が、自分は菊池寛の孫だといったのでビックリしたんです。その際は話をしただけで終わり、結局それ以来、文春で仕事をしたことはありません。文春オンラインに『サラリーマン生態100年史』の抜粋記事がありますが、あれは書籍発売時のプロモーション用に担当者がまとめた記事なので、私は許可をしただけで報酬などはもらってません。

 すいません、おじさんはすぐ話が脱線して昔話になってしまいます。

 第一報が載った『週刊文春』を読む時点ではまだ、女性側の主張があまりにうさん臭いものだったら、松本さんの味方をするつもりでいました。
 しかし、女性たちの主張、なかでも裁判で証言するといってるA子さんの主張は予想以上にスジが通ったもので、あきらかな虚偽や矛盾を私は汲み取ることができませんでした。
 私は女性側の主張を正しいとはいってません。否定できない以上は、とりあえず正しいものと仮定するしかないのです。これは思考や議論をする上で、正当なやりかたです。
 女性側の主張を事実と仮定すれば、松本さん側の事実無根という主張はかぎりなく怪しくなります。実際その後、無根ではないと吉本側も認めたし、おそらく裁判でも個々の事例について真偽が争われるはずです。

 それを踏まえて、ブログ記事では松本擁護派のみなさんに、フェアな提案をしたのです。私は否定できなかったけど、あなたがたが記事内容を検討して女性側の主張を突き崩すことができれば、松本さんの潔白が証明されたとみなされるのですよ、と。その検証がまともなものなら、マスコミも取りあげざるをえなくなりますよ、と正当な反論の方法、攻略法をわざわざ教えて差し上げたのです。なんて親切なんでしょう。私は世話になってない人たちにも親切にするのが本物の人情だと思ってるので。

 ところがそんな簡単な知的作業すら、やろうとした人はほとんどいません。
 私、難しい宿題を出しましたかね? 近所の図書館やネットカフェや喫茶店などで週刊文春のバックナンバーを読んで考えるだけなのだから、ある程度の規模の町に住んでれば、誰でもできる知的作業です。
 女性側の主張を崩せたという具体的な報告は、いまのところまだひとつもありません。
 私がブログに書いた論説は、女性側の主張にかなりの真実性があるという前提からすべてを積み上げてます。だから、松本擁護派のみなさんが(ヘリクツや詭弁でなく)正しい論理で女性の主張をウソだと論破できれば、私の論を全否定できるのです。
 なのに、私への反論と称するものはどれも、女性側の主張の検討というもっとも重要な点をスルーして、枝葉末節をちまちまと引っ掻いてばかりだから、反論と呼べるレベルに達してないし、松本さんの擁護にも1ミリも貢献できてません。

 実際ツイッターに投げつけられた批判のほとんどは反論どころか、捨てゼリフと邪言ばかりです。
 私は長年物書きをやっていて、批判のパターンをだいたい知ってるから、いまさら驚きはしません。『「昔はよかった」病』では大正時代のクレーマーについて調べましたけど、批判のパターンって、100年前からあまり変わってないんです。
 そんなわけで私はあまり気にしませんが、とばっちりでご迷惑がかかるといけないので、この際、私は内藤朝雄さんではないといっておきます。お会いしたこともありません。同一人物だからお会いできないんだろ、とかそういうトンチではないので。

 出典についてですが、坂東三津五郎のエッセイは「〝河原乞食〟のつぶやき」(『潮』1972年3月号)です。
 性犯罪が裁判になるのは2%くらいしかないとする説は、こちらのネット記事で読めます。
「法廷で裁かれる性犯罪はごくわずか......法治国家とは思えない日本の実態」
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/02/post-92497_1.php

 これは試算なので絶対正しいわけじゃなく、誤差はあるかもしれません。でも私は決して荒唐無稽な数字とは思えないんですよね。事なかれ主義と泣き寝入りの伝統があり、世間を騒がすことが大罪とされる日本では、じゅうぶん現実味のある数字です。

 こういう説が気に食わないと、「社会学者なんて信用できないんだよ」と全否定する人が出てきます。「週刊誌は全部ウソ」みたいなのと同じで、思考力のない人は個々の事例について考えるのが面倒だから全肯定か全否定をしがちです。
 かく申す私も、社会学を全否定してるとカン違いされてるみたいなんです。
 エゴサーチをすると、「パオロ・マッツァリーノは反社会学講座のころはよかったのに、東日本大震災以降、ダメになった」みたいな定型文で批判してるものをよく目にします。
 最初、意味不明でした。私の主張と震災にはなんの関係もないのに、こいつらは何をいっとるのだ?
 しばらくして、だいたいのところがわかりました。

 私のデビュー作は『反社会学講座』という本で、これがかなり評判が良く、売れました。
 この本は本職の社会学者からも評価されることがある一方で、誤読されてることも非常に多いのです。私は社会学もフェミニズムも全否定などしていないのですが、それについては以前のブログ記事で説明しています。

『読むワイドショー』のレビューについて思うところをお話しします 《前半》
https://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-438.html

 女性蔑視や差別思想を持つ人たちは、性犯罪はすべて女性に落ち度があると決めつける傾向が強いのですが、そんな彼らにとって、フェミニズム社会学者は不倶戴天の敵なのです。彼らは『反社会学講座』をフェミニズムと社会学者を全否定した本だと誤読し、私のことを勝手に味方だとカン違いしたようです。
 東日本大震災後に出版した『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』(現在は『誰も調べなかった日本文化史』と改題し、ちくま文庫に収録)では、亡国論を取りあげました。
 明治以降、○○亡国論や、○○で日本が滅ぶという言説が大量に出現しましたが、いまだに日本は滅んでません。亡国論や滅亡論は、自分が嫌いなものにおおげさなレッテルを貼ってるだけにすぎないとした上で、滅亡論をたくさん雑誌に寄稿してる悲観論者として、櫻井よしこ、中西輝政、渡部昇一などの名前をあげたところ、自分たちのアイドルをイジられたことに怒った女性蔑視論者たちが、手のひら返してパオロ・マッツァリーノを敵視するようになった――とまあ、こんなところでしょうか。

 そういえば、先日始まったドラマ『不適切にもほどがある!』はおもしろいけど、初回はうっすらとフェミニズム社会学者への偏見がにじんでました。まあ、それがテーマではないから、さほど気になりませんが。
 あのドラマでは、昭和から来た主人公が路線バスの車内でタバコを吸うシーンがありましたけど、路線バスは昭和でも禁煙でしたよ。
 車内でタバコが吸えたのは長距離列車、長距離バスだけです。通勤通学に使う都市部の電車・バスは戦前から禁煙です。
 昭和30年代の新聞では、路線バスの車内でタバコを吸ってるヤツを車掌が注意したら、逆ギレした相手に突き飛ばされた、殴られた、なんて事件がしばしば報じられてます。
 当時のバスの車掌は、ほとんどが10代後半から20歳くらいの女性だったんです。若い女性に平気で暴力をふるうって、女性軽視にもほどがあるでしょ。昭和にはいい面もあったけど、暗黒面もあったという、おじさんの昔話でございます。
[ 2024/02/07 19:46 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

松本人志さんの罪についての考察と提案

●まつもtoジャニー

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 ジャニー喜多川さんは、いい人でした。多くの芸能人を育て、テレビ界に貢献した功労者であり、育てられた芸能人にとっては恩人です。
 でも、ジャニーさんは犯罪者だったのです。
 24時間、つねに犯罪者でいる人などいません。犯罪者としての顔は、個人が持つ多くの顔のうちのひとつにすぎないのです。犯罪をしてるとき以外は、何食わぬ顔で暮らしてます。それはマジメな職業人の顔であったり、優しい父親・母親の顔だったり、情にあつい先輩の顔だったりします。
 でも、そういう「いい人」が、犯罪者の顔も持ってたりするんです。

 ジャニーズ問題から我々が学ばねばならないもっとも重要な教訓、それは、予断をもって犯罪告発の声を封じてはならない、ということです。
 いい人は犯罪をするわけがない。社会的地位の高い人が犯罪者であるはずがない。無名の人間が犯罪を告発するのは売名行為に決まってる。週刊誌なんてウソばかり書いてるのだから、どうせ今度もウソだろ。
 これらすべてが、根拠のない予断です。こうした予断によってジャニーさんを信じ、犯罪の告発を黙殺したことで、テレビ局はジャニーさんがシロであるという既成事実を作ってしまい、自分らがそれに縛られることになりました。ジャニーさん、あんた間違ってるよ、あんた頭おかしいよ、といえる人がテレビ界に誰もいなくなってしまったこと、それが問題をこじらせてしまったのです。

 犯罪の告発は、明らかな虚偽が認められないかぎりはいったん信用して受理しなければなりません。その上で、双方の主張内容を比較検討し、どちらが正しいのかを考える。これが法治国家における正しい手順です。
 たとえ99回虚偽の訴えが続いたとしても、100回目の訴えが虚偽であるとはかぎりません。毎回、訴えは公正に検討され続けなければなりません。
 どうせまたウソだろ、なんて予断をもって正当な告発を却下してしまったらどうなりますか。犯罪者が野放しになるんです。
 冤罪がなぜ重大な問題なのかというと、真犯人が野放しにされ、犯行を繰り返すおそれがあるからです。犯罪被害の告発が事実なのに黙殺してしまった場合も、真犯人が野放しになり、犯行を繰り返すかもしれないという、冤罪とまったく同じ状況が作られます。
 だから犯罪被害の告発を軽々しく否定してはいけないのです。その失敗を教えてくれたのがジャニーズ問題であり、テレビ局はそれを学んだとばかり思っていたのですが……。
 最近の松本人志さん性加害疑惑の報じかたを見てると、テレビ局がまた同じ間違いを繰り返そうとしてるように見えるんです。

 もちろんすべてのワイドショーを見たわけじゃありませんが、いくつか見たかぎりでは、とりわけお笑い芸人のなかに、まだ事実はわからないと前置きして中立を装いながら、それに続く主張が暗に松本さんをかばうような流れのコメントをいう人が何人もいました。
 そもそも松本さんにどんな疑惑がかけられているのか、その詳細にはほとんど触れず、松本さんを心配してはいけないのか、仕事のなかった頃に松本さんの番組に呼ばれた恩があるから信じたい、などと人情論だけで松本さんを擁護する芸人、タレントのコメントばかりが目立つ『ワイドナショー』が一番偏ってました。
 女性側をむやみに疑うべきでないとはっきり主張してた人はごくわずか。大半のタレントは、あたりさわりのない言葉を注意深く選んで、どちらにも取れる発言しかしていないように見えました。
 松本さんにかけられている疑惑について詳しく報じずに、擁護する仲間や後輩の人情論ばかりを流すのは、公平とはいえません。番組制作者が、松本さんが犯罪者のわけがないという予断にひきずられて出演者を選んだり、番組を構成してるのではないかとすら疑ってしまいます。


●的外れな人情論と損失論

 人情論がなぜいけないのか。立川志らくさんは、自分は人情を大事にするから世話になった松本さんを支持するといってますが、もし被害者が自分の娘だったとしても同じことをいうのでしょうか。
 もしも、被害を訴える女性たちの親が逆上して松本さんを殺すなんてことが起きたとしても、それもまた人情の成せる業です。人情は人を助けることもできるし、人を殺すこともできます。加害者にも被害者にも人情はあります。どちらの家族にも人情はあります。
 去年読んだ本のなかで、ある心理学者が「共感」の危険性を指摘してました。共感はスポットライトである。対象者だけを明るく照らし出すが、その周囲は暗闇で、何があるのかまったく見えないのだ。
 人情もスポットライトです。だから人情で物事の正誤を公平に判定することはできませんし、してはいけないのです。女性の訴えに耳を貸さず、世話になった松本さんを一方的に信じる志らくさんは非情です。

 松本さんがいなくなったらテレビ界、お笑い界の損失は計り知れない、なんて声も多いのですが、それは告発の真偽とは無関係だし、単なる論点ずらしです。
 犯罪がらみの理由以外でも、過去に人気芸能人が急に引退した例はあります。事故や病気で急逝した人も大勢います。その直後には惜しむ声がたくさん上がりますが、しばらくすればみんな忘れます。大衆なんて薄情なもんですよ。次から次へと新たなスターが登場し、芸能界もテレビも何事もなかったかのように続いてきました。1年も経てば(もっと早いかな?)、松本さん不在のテレビにみんな慣れてしまうでしょう。仮に、このまま引退したとしてもなんの問題もありません。
 この世に替えの効かない人なんてひとりもいないんです。もしもそんな人が歴史上ひとりでもいたのなら、その人の死とともに人類の歴史は終わってたはずです。
 これは冷酷な事実ではなく、救いです。替えが効くからこそ、ある人の不在をべつの人が補える。人類は助けあって生きていけるんです。


●性犯罪に無関心なテレビ局

 一般視聴者に基礎知識がないため判断しづらい問題を取りあげるときは、問題に詳しい専門家を呼んで解説してもらう。これが一般的な手法です。コロナ禍では朝から晩まで感染症の専門家たちがテレビに呼ばれて解説してましたよね。地震の後には地震学者が出演して解説してます。
 だったら今回の件でもすべてのワイドショーなどが、性犯罪を学問的に研究している学者や、性犯罪被害の弁護に詳しい弁護士といった専門家を呼んで解説してもらうべきです。私もそういう人たちが今回の件をどう見てるのか、とても興味があります。
 でも、そういう専門家がテレビに出まくってる様子はないんです。出演した番組があったとしても、その回数も出演時間もごくわずかでしょう。性犯罪被害者の弁護をしたことのない弁護士に一般論を述べられても、参考にはならないんですよ。
 私も全然詳しくありません。性犯罪の学問的な研究書を2冊ほど読んだことがあるだけですが、それだけでも、性犯罪について抱いてた自分のイメージに「事実無根」の思いこみが多数あることを思い知らされました。
 日本の性犯罪認知件数が欧米に比べて少ないのは、犯罪が起きてないからではなく、そもそも警察が性犯罪被害の訴えを門前払いしてしまうからであり、裁判にまでこぎつけるのは被害全体の2%くらいしかないなどといった、法治国家とは思えない実態があります。こんな現状を知ったら、なぜすぐに警察に被害届けを出さなかったんだ、なんて気安くいえませんよね。そういったことも含め、単なる芸能スキャンダルではなく、社会問題として扱おうとする姿勢がテレビから全然伝わってこないのは非常に残念です。


●週刊誌という入れ物を叩く人たち

 というわけで、私も『週刊文春』の記事を読んでみました。
 週刊誌が完売して儲けてるだけだ、なんてつまらない皮肉をいってる芸人もいましたけど、主張の中身にきちんと反論してください。週刊誌という入れ物にケチつけてすべてウソだとなじるのは、芸人は全員バカだからヤツらのいうことは全部ウソ、と決めつけるのと同じです。ちなみに私は図書館で読みましたので、売り上げには貢献してません。
 過去に文春にスクープされたことを恨んでいて、ここぞとばかりに文春叩きをしてる人たちもいます。ホントに誤報で被害を受けた人ならともかく、自分の悪行を暴露された人までが便乗して叩いてるのは笑うしかありません。
 過去の文春の誤報記事を並べて、いかにも週刊誌は信用できないという空気を作りたがってる芸能ライターもいますが、これはインチキに近いやりかたです。
 週刊誌に誤報があるのは事実なので、鵜呑みにするのは禁物です。とはいえ、数件の誤報だけを抽出して週刊誌全体が信用できないと断じるのは、間違った論証です。ある一定期間のすべての記事のうちで誤報がどの程度あったのか、それを数字であきらかにしなければ意味を成しません。ジャニーさんを告発した記事は事実だったわけですし。
 私は著書の執筆のために、明治時代から現在までのさまざまな新聞雑誌記事を大量に読んできました。ある事件を各雑誌がどう報じているかを比べる作業を何度もやってれば、どの雑誌に取材力があるか、信用できるかはなんとなくわかってきます。
 『週刊文春』に関していえば、誤報もあるけど、雑誌そのものの存在意義が疑われるほどの量ではないと思います。なので鵜呑みにはせず、記事ごとに信憑性を判定すればそれでいい。
 繰り返しになりますが、大事なことなのでいっておきます。犯罪の告発に関しては、これまでウソだったから今度もウソだという予断をもってはいけません。


●女性側の主張の信憑性は?

 ネット上には、松本さんがやってないことを証明するのは不可能だ、ないことを証明するのは悪魔の証明だ、なんて意見もありました。
 どこでそんな愉快な考えを聞きかじってきたのか知りませんけど、今回の場合、犯罪被害を告発した女性側の主張にあきらかな矛盾や虚偽が認められれば、松本さんの潔白が証明されたとみなしてもいいので、悪魔の証明を心配する必要はありません。
 いまのところ松本さんはほぼ何も主張しておらず、女性側の主張のみが公開されてます。なので現時点では、女性の主張を一方的に検証して攻撃できる松本擁護派が圧倒的に有利なんです。
 にもかかわらず、松本擁護派のあいだから、女性の主張内容の信憑性を崩す決定的な論は出てません。傾聴に値する決定的な反論があるなら、とっくのむかしにマスコミでも大きく取りあげられてるはずですが、そうなってないのは、松本擁護派が女性側の主張を突き崩せていないからです。
 念のためにいっておきますが、あとからリークされた女性からのお礼メッセージが合意の証拠にはならないことは、すでに専門家が指摘してます。

 さて、記事内容ですが、一読したかぎりでは、被害を主張する女性たちの主張内容にあきらかな虚偽や矛盾は見当たりません。先ほどもいったように、私だけが矛盾に気づかなかったわけではなく、松本擁護派の人たちからもまともな反論は出てないんです。なので女性側の証言を積極的に疑う理由・材料はないと判断します。

 かたや、松本さんらの主張内容は、検討したくてもほぼないも同然です。その少ない主張内容のなかで、事実無根といったのに無根でないことが判明したり、会見はせず裁判で戦うといいながら、とうとう出たね、などと自分に都合のいい「キリトリ」のようなあいまいな言葉だけをSNSで流して相手を貶めたりと、法廷外での不誠実かつ疑わしい言動が目立ちます。
 現状では、松本さん側の潔白を信じるに足る決定的な要素が何もないんですよ。一方で、被害を主張する女性のいいぶんはそれなりの量もあるし、否定する要素もありません。
 ですから現時点では、女性側の告発を事実と仮定して、その真偽を検討していくしかありません。私は松本さんの記者会見をいまでも望んでますが、それについては最後に述べます。


●携帯を取りあげる異常性

 記事内容には、重要な点がふたつと、笑ってしまった個所がひとつありました。まずは重要な点から。
 ホテルの部屋に入るなり、女性たちが携帯(スマホ)を没収されたという証言です。
 ああいうのは普通の飲み会だと主張してる芸人がいますが、普通の飲み会で参加者のスマホを没収するなんてのはありえない行為です。スマホには個人情報が多数記録されてますし、金銭の支払い手段でもある、重要な個人の財産です。それを正当な理由もなく没収、取りあげる、あずかるという行為自体がすでに犯罪です。
 芸能人の飲み会ではスマホを没収するのが普通なのですか? そんなことはないですよね。芸能人同士の楽しい飲み会の様子をスマホで写真に撮ってネットで公開してる例はたくさんあるじゃないですか。8年前であっても、むしろ楽しい飲み会だからこそ、みんなで写真や動画を撮って共有するのが常識になってたはずです。
 万が一、隠し撮りされた画像や映像、音声が流出したとしても、恥じるところのない飲み会だったら、たいしたダメージを受けるはずがないんです。
 つまりスマホを没収したのは、恥じるところがあったからです。証拠となる画像映像などを記録されたくないから。もしくは、警察に通報されるのを防ぐため。さらには、女性にすぐに逃げられないようにするため。犯罪を想起させる悪い理由しか思いつきません。
 通常の飲み会で不愉快な行為を求められたら、怒ってすぐに帰ることができます。参加者にはその自由があります。でも密室に呼び入れられてスマホを没収されてる場合、帰る際にそれを返してもらわねばならず、すぐに帰れません。これだけでもかなり計算された悪意を感じます。
 スマホを没収したのが事実なら、松本さんの側に、これからやろうとしてることが犯罪に該当するという自覚、悪意があったことになります。女性を密室に呼び入れ、スマホを没収した状態で、それを普通の楽しい飲み会だと主張するのは、一般常識としてムリがあります。
 逆にスマホ没収が事実でなかったら、女性側の主張の信憑性はガタ落ちします。この点はぜひ裁判でもあきらかにしてほしいところです。


●もうひとつの罪・松本さんのパワハラ

 『ワイドナショー』では今田耕司さんが、松本さんに女性を用意した小沢さんらを文春が女衒と書いてるのはヒドいといってました。
 まあ、正確には女衒は女を女郎屋などに売り飛ばす商売のことなのですが、性行為目的で女性をあっせんする者を指す慣用表現としても使われてきたので、松本さんに女性をあっせんしていた後輩芸人を女衒と呼んだ文春の言葉づかいは間違いとまではいえません。

 注目すべきは、今田さんが、こうした行為が日常的に行われていたこと自体は否定しなかったこと。つまりその点に関しては、文春の記事は事実であると認めたも同然です。
 後輩芸人の小沢さん、黒瀬さん、たむらさんは、自ら進んでそんな役目を買って出たのでしょうか。それで自分もおこぼれにあずかっていたのなら、女衒どころか腐れ外道の称号を差し上げますけど、彼らの他にも、松本さんという絶対君主の意向に逆らえず、仕方なくやってた後輩が多いんじゃないかって気もします。
 今田さんが文春をヒドいと批判するのは筋違いです。自分の絶対的な地位を利用して後輩に女衒めいた役目を強要していた松本さんこそがもっともヒドい人であり、今田さんが批判すべき対象は、松本さんなんですよ。
 ジャニーさんを批判できる人がいなかったのと同じ間違いが起きてたんです。芸人の世界はタテ社会だから後輩は何もいえない? だったら先輩はいえるはずでしょう。彼らは何をしてたんですか。

 そんな怪しげな密室飲み会を何十回、何百回とやっていて、性行為は一切なかったと主張するのは不自然です。仮にそのすべてが合意の上だったとしても、自分に逆らえない後輩にそのための女性を用意させていたなら、松本さんのやったことは完全にパワハラです。その事実だけでもテレビ局のコンプライアンス的にはアウトです。
 一般企業の社長が社員に、性行為要員の女性(もしくは男性)を用意するよう命じてた事実が判明したら、その社長は社会的信用を失い、辞任するしかないでしょう。
 パワハラの加害者という事実だけで、テレビ局が松本さんを出演禁止にする十分な理由になります。それをやらずに、何のためのコンプライアンスなんですか。


●芸人のみなさんは河原者に戻りたいのですか?

 芸人の世界は特殊だから何をしてもいい、といういいわけは、もういまの時代には通用しません。芸能人が女遊びや薬物をやるのはしょうがないね、と大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。江戸時代に芸人が河原者(河原乞食)だった時代の名残りです。
 ビートたけしさんが芸人になったのは1970年頃のようですが、家族には猛反対され、家に帰ってくるときは近所のひとに見られるなとお母さんにいわれてたそうですね。そのころでもまだご近所の庶民のあいだに、芸人を蔑む差別意識が強く残っていたことの現れです。

 江戸時代には、歌舞伎役者まで含めた芸人すべてが一般庶民よりも下の河原者、被差別階級でした。一流の歌舞伎役者は大金持ちなのに、人間とはみなされなかったんです。おまえらが何をしようと勝手だが、お前らは人間以下の存在だ、と。
 明治になって公式にはその地位は回復しても、差別意識は庶民の間に根強く残り続けます。歌舞伎役者の八代目・坂東三津五郎は、こどもの頃からお屋敷に住んで坊ちゃんと呼ばれてたのに、大正2年、小学校に入学したら河原乞食と呼ばれたとエッセイに書いてます。翌年に引っ越した家も15部屋もあるお屋敷だったけど、転校先の学校は河原者の子だけが通うぼろぼろの学校でした。
 芸人のみなさんは、その時代に戻りたいのですか。セクハラもパワハラも見逃してもらえる代わりに、あなたの家族も差別されます。金があっても、自分のこどもを有名私立学校に通わせることなどできません。
 私はそうなってほしくはない。すべての人が平等であるべきです。そのためには、芸人とて一般社会と同じルール、同じ常識に従わなければなりません。芸人の世界は特別だなんて思い上がりは、いますぐ捨てていただきたい。


●合意の有無でなく、合意の中身こそが重要

 記事で笑ってしまったところ。文春側は、記事掲載の前に松本さん本人を直撃し、事の真偽について確認を取ってます。いきなり不意打ちでスクープ記事を載せたのではないので、これはフェアなやりかたです。
 で、その際に松本さんは「もう好きに書いてくださいよ」と記者にいってるんです。
 松本さん、あなた合意してるじゃないですか(笑)。
 松本さんは当初、事実無根だから戦うと宣言しましたが、その主張を繰り返してないところを見ると、いくつか性行為があったことは認めるが、合意の上だから問題ないとする戦法に切り替えたのだと思われます。
 でも、合意があれば何をしてもいいのなら、「好きに書いて」と松本さんの合意を得た文春は、何を書いてもいいはずですよね。合意しておいて、あとから名誉毀損で訴えるなんて、ズルいよ~松ちゃん。

 というのはもちろん冗談です。私のホンネは逆で、合意・同意を絶対視する考えかたに賛同できません。
 合意があれば許されるというのなら、すべての詐欺事件は無罪になってしまいます。ダマされた時点では、被害者はみんな合意してるんですから。詐欺師が「えー、契約したときは、あんた合意してたじゃん」といえば、詐欺師は無罪ですか? そんなわけない。あとからでもダマす意図があったことを証明できれば、罪を問えるんです。
 重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。本当に双方がすべて納得した上での合意だったのか。虚偽や脅迫、社会における力関係を利用した威圧などによる合意だったら、それは詐欺と同じです。あとから取り消せるのが当然です。
 松本さんが文春を訴えたのは、好きに書いていいというのは本当にすべて合意したわけじゃないからですよね。性加害を主張する女性も、本当にすべてを合意したのではなかったのではないですか。記事で証言されている、力関係による威圧や、外部との連絡手段を取りあげられるといった要素が事実なら、合意の上だから問題はないと主張するのは、やはり相当ムリがあります。

 じゃあ合意の下で行われた一夜かぎりの性行為でも、あとから合意はなかったとして訴えられてしまう可能性もあるのか? と心配する人もいます。もちろんそうなる可能性はあるでしょうね。あなたが合意してたと思っていても、相手はそうじゃなかったかもしれないのだから。もし訴えられたら、弁護士立てて話しあえばいいだけのことじゃないですか。それを恐れるくらいなら、最初から危険な遊びはしないことです。
 一夜限りの性行為が好きな人たちは、リスクも込みで冒険を楽しんでるんでしょ。よく知らない相手との一夜限りの性行為には、性病をうつされるリスク、美人局に引っかかるリスク、その行為が配偶者にバレるリスク、性犯罪として訴えられるリスクなど、さまざまなリスクがあります。ヘタしたら仕事や家族をすべて失う、リアル罰ゲームつきの大冒険。リスクとスリルに興奮する性癖をお持ちだから、そういうエッチにわくわくして、冒険を求めるのでござんしょ?
 松本さんはそんなリスクの高い遊びを何十回、何百回と繰り返していたのだから、そりゃあ、いつかはバレて問題になりますよ。人間には口があるのだから、関わる人間が増えれば増えるほど、秘密が漏れる確率も上がります。すべてはリスクにまつわる単純な確率論の問題です。
 そんなこともわからず、ずっと秘密にできると、浅はかな考えを持ってたのでしょうか。だとしたらそんな松本さんに同情する余地はないですね。長年のお楽しみのツケを払うときが来ましたよ、としかいえません。
 やはり周りの誰かが、松本さん、あんた頭おかしいよ、と10年、20年前にいってあげるべきだったんです。


●記者会見の提案

 最後に私から松本さんに提案があります。本当に自分の潔白に自信があるのなら、いまからでも遅くないから記者会見をやってください。私は法律の専門家ではないけど、調べたかぎりでは、係争中にコメントや記者会見をすることを禁じる法律はないようです。
 私が薦めたいのは、外国特派員協会で会見を開くことです。そう、ジャニーさんの被害者が会見したことで長年黙殺してきた日本のマスコミをようやく動かした、あの場をあえて使うのです。
 外国人記者は、日本のマスコミのように忖度しませんよ。およそ50年前、『文藝春秋』に田中角栄の不正金脈を暴く記事が載ったとき、テレビも新聞も記事を無視しました。そんななか、外国特派員協会だけが田中角栄を呼んで話を聞く場を設けました。外国人記者からの忖度なしの追及に耐えかねた田中角栄は、会見を打ち切って逃げました。翌日から欧米の新聞で田中の金脈問題が報道され始めたのを見て、弱腰だった日本のマスコミも、ようやく田中を追及し始めたのです。
 外国人記者は松本さんをカリスマとも神とも思ってませんから、手加減なしにキビシい質問を浴びせてくるでしょう。ヘリクツや詭弁やギャグでごまかさず、正々堂々とそれを乗り切れたら、私も少しは松本さんを見直すかもしれません。
[ 2024/01/28 18:13 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

災害時でも理性を失わぬために

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。今年の日本は年明け早々から大地震やら飛行機事故やらと、エラいことになってます。
 災害が発生するとすぐさまツイッターに悪意のあるデマが流れだすのが、もはや恒例になってしまいました。ニセの救助要請を書きこむなんて悪質なことがよくできるもんです。芯から性根が腐ってるヤツなのでしょうか。救助をする側の人員は限られているのだから、もしもデマに振り回されたら、本当に救助を求めてる人が救われる確率が下がるかもしれないのに。

 あと、被災地での犯罪に関するデマ情報にも注意が必要です。以前に当ブログでは『災害ユートピア』という本をおすすめしました。(災害関連で必読のおすすめ本

 著者のレベッカ・ソルニットさんは災害後の被災者たちの実態について、世界中の事例を検証しています。それによると、災害発生後に被災地で起きた犯罪は、多くの人たちが思っているよりもかなり少ないのだそうです。日本よりも遙かに犯罪発生率が高い国でもそうなんです。
 大きな災害が起きた直後には、レイプや略奪が多発していると警告する情報が流れるのですが、その多くが実際には起きておらず、デマだった可能性が高いんです。
 ニセの犯罪情報でも警戒を呼びかける効果があるからいいじゃないか、などと好意的に解釈する人もいますけど、それは違います。正しい情報だけが、価値ある情報なのです。ニセの情報に価値はありません。ニセの情報でいいことが起きたとしてもそれは幸運な偶然にすぎません。ニセの情報は人に誤った行動をとらせるので、ほとんどの場合、悪い結果をもたらします。
 もちろん犯罪に警戒することは必要ですが、過度に恐れると疑心暗鬼や人間不信が高まる副作用もあるので、警察やマスコミは事実をきちんと伝えるべきです。

 助け合いといえば、義援金。その善意をだまし取ろうとするヤカラもあとを絶ちません。ただし、近頃は道徳心が失われた、なんて思わないように。義援金詐欺や義援金横領は、むかしからある定番の犯罪なんです。拙著『偽善のトリセツ』に書きましたけど、明治時代の新聞を見ても、災害時には必ずといっていいほど義援金詐欺が起きてます。
 明治大正のころから、新聞社と役所が義援金受付の窓口となってました。新聞記者や市の職員などが義援金を横領していたことが発覚し逮捕される事件もまた、戦前から多数報じられてます。

 義援金詐欺や横領が発覚したからといって、慈善は偽善だ! 寄付や募金は無意味だ! などと極論に走るのは愚かです。
 去年、地方のテレビ局の職員が24時間テレビの募金を着服していたことが発覚しました。その際にも、24時間テレビはもうやめろと騒いでる人たちがいましたけど、やめる必要なんてありません。
 必要なのは、募金や義援金がちゃんと使われているかを、チェックすることなのですから。
 これに関してはウィリアム・マッカスキルさんが『〈効果的な利他主義〉宣言! 』でクギを刺してます。(おすすめ本『〈効果的な利他主義〉宣言! 』
 マッカスキルさんは、寄付や募金が自己満足で終わってはダメだとクギを刺します。寄付金の管理団体がきちんと寄付金を届けているのか。その寄付に本当に効果があったのか。寄付をするだけで満足せず、きちんと検証まですることで、意味のある利他主義になるのだと。

 たしかにそうなんです。善意は相手に届いて、相手の役に立たなければ無意味です。本気で困ってる人の役に立とうとするのなら、途中で中抜きや横流しがされてないかどうかを検証する作業が不可欠です。寄付金や義援金がちゃんと届いたかどうか、寄付した人たちもそこまで関心を持たなきゃいけないってことです。
 寄付をする人は、寄付の主旨に賛同し、誰かを助けるために善意で寄付しますけど、寄付金や義援金の管理をしてるのは企業や団体の職員です。そのほとんどは業務命令でやらされてるだけなのだから、善意の人だとはかぎりません。寄付の主旨に賛同も関心もない人に大金の管理を任せたら、横領する誘惑に負けることもあるでしょう。てか実際、誘惑に負けた人たちが戦前からたくさんいたわけでね。
[ 2024/01/08 22:23 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

山田太一の『岸辺のアルバム』は、やはりドラマ史上に残る名作でした

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。先月ひと月だけ、U-NEXTを観てました。調べもののためだったのですが、それとはべつに、どんな作品があるかと探していたら、『岸辺のアルバム』が配信されてることに驚きました。
 1977年に放送され、テレビドラマ史上に残る名作として語り継がれている作品です。私がもっとも敬愛する脚本家、山田太一さんの作品だけにぜひ観たいと思ってたけど、観る機会がまったくなかったんです。放送局はTBSですが、地上波・BSともに私の知るかぎりではここ20年くらいのあいだに再放送されたことはないはずです。
 山田太一作品で名作とされる『男たちの旅路』はNHKBSで何度か再放送されてます。ただしこちらも放送されるのは第1部から第3部まで。なぜか第4部だけは放送も配信もされません。第4部には、障害者の生活と苦悩をテーマにした『車輪の一歩』という傑作があって、これだけはだいぶ前にBSで再放送されて私も観たのですが、近年はこれすら放送されなくなりました。障害者に関する描写がいまのコンプライアンスにひっかかるのか、たびたび刑事事件を起こした清水健太郎さんが出演してるからなのか……。

 そんなことより、『岸辺のアルバム』です。私、2、3年前にもU-NEXTに加入したことがあって、U-NEXTポイントを使うとNHKオンデマンドで配信されてる山田脚本、笠智衆主演の3部作『ながらえば』『冬構え』『今朝の秋』が観られることに感激したのですが、そのときは『岸辺のアルバム』はまだ配信されてなかったんです。
 笠智衆3部作も老人の悲哀をユーモアをまじえて描いた珠玉の作品です。でも『岸辺のアルバム』を観られたのは、それを上回る感激でした。
 いまだにその余韻に浸っていたところだったので、金曜日のニュースで山田太一さんが亡くなったと知ったときには、絶句してしまいました。

 しばらく前からかなり重い病気にかかってるらしいというウワサは流れてました。
 数年前、NHKBSの『アナザーストーリーズ』で多摩川水害を取りあげた回がありました。台風の豪雨によって堤防が決壊し、川沿いに建っていた民家が十数軒流されてしまうという、ショッキングな災害だったんです。このニュース映像はその後も繰り返し放送されてるので、50代以上の人ならみんな知ってるというくらいに有名な災害で、『岸辺のアルバム』はそれをモチーフにした作品なんです。
 『アナザーストーリーズ』では実際に流された家に住んでいた、当時中学生だった男性も証言してました。彼の家族のところに山田太一さんが取材に来たそうで、そのときに話したエピソードが実際にドラマでも使われたと話してたように記憶してます。
 その取材については、プロデューサーだった堀川とんこうさんが番組内で証言してました。山田太一さんご本人が話してくれれば貴重なインタビューになったはずですが、そのときには、すでにテレビ出演ができない病状だったのでしょう。

 最終回でマイホームが流されるというのは事実にもとづいてますが、それ以外のドラマ内容はすべて創作で、実際に家が流された家族とはなんの関係もありません。
 ドラマでは家族それぞれが抱える問題と秘密を丁寧に描いていき、終盤ではそれらが一気に発覚したことで家族に亀裂が生じ、最終的には家そのものが崩壊する象徴的な結末へ向かいます。
 70年代には一般的になっていた、いわゆる核家族。父(杉浦直樹)母(八千草薫)と大学生の娘(中田喜子)、受験生の息子(国広富之)の4人で暮らす、外から見る分には幸せな家族ですが、それぞれが重大な問題を抱えていて、そこに当時の世相、時代背景が巧みに盛り込まれてます。
 その世相の切り取りかたが、じつにうまい。人間と社会は不可分の関係にあり、誰もが社会からなんらかの影響を受けて生きてます。だから人間と社会をセットで描いてこそ、傑作ドラマになるのだと私は思ってます。社会性を無視して人間だけを描くこともできますが、それだと甘ったるい人情ものやロマンスで終わってしまいます。
 山田太一って人は、人間も社会も描ける点でずば抜けた才能を持った脚本家です。いま現役の脚本家でそれができるのは坂元裕二さんと野木亜紀子さんくらいじゃないでしょうか。

 八千草薫が演じた母親は、妻子のある男と不倫関係になります。でもそこに至るまでの過程がしっかりと描かれているので不快な印象は受けません。
 ドラマでは中盤に、母親の39歳の誕生日を祝うエピソードがあります。長女が20歳なので、母親は18、19歳で結婚して専業主婦になったわけですが、この時代にはそういう女性もけっこういたのです。
 夫は仕事漬けで家のことは妻に任せきり。20年間、子育てと家事に専念する機械のように生きてきたところに、「あなたは素敵だ」とイケメン(竹脇無我)からいい寄られ、ひとりの女性として扱ってもらえたら、よろめいてしまいますわな。

 夫が勤めるのが繊維機械の会社という設定もじつにうまい。繊維産業は戦後の日本経済を牽引した産業のひとつでした。だから若くしてマイホームを購入できるくらいの給料をもらえてたのですが、このころになると安い海外製品に押されて斜陽産業になってました。会社の業績不振をカバーするために武器を作ったり、あげくの果てには、工場労働者の名目で東南アジアから連れてきた女性たちを性風俗産業に売る裏社会の手助けまでするようになります。

 長女は交際していたアメリカ人に裏切られ、その友人にレイプされ妊娠してしまいます。親に隠れて堕胎手術をするために、弟の担任教師だった男性に相談するのですが、その教師役が津川雅彦。晩年の恰幅のいい老人イメージしか知らない若いかたは、凄くスリムな津川さんにビックリすると思います。古い映画などを観ればわかりますが、若いころの津川さんは痩せてたんですよね。

 がんばって働いたお父さんが郊外にマイホームを建てて一国一城の主になるというのは、当時からサラリーマンの夢でした。避難命令が出ていったんは学校に避難するものの、父親が家に戻って、オレはここに残る、この家を守るんだと沈みゆく船の船長みたいなことをいい出すのも説得力があります。
 家族みんなの思い出が詰まった家にさよならをいい、目の前で流されていくのを一家でぼう然と見守るシーンは衝撃的です。

 これだけの怒濤の展開が続くドラマなのに、不思議と全体のテンポはゆったりしてるんです。主題歌のジャニス・イアン「ウィル・ユー・ダンス」のゆったりした曲調がドラマの雰囲気にぴったりで、誰が選んだか知らないけど、この曲を主題歌に選んだ人のセンスも素晴らしい。
 全15話と長いからなのか、それともこれも時代性の反映なのでしょうか。むかしの人はしゃかりきに働き、生き急いでたイメージがありますが、いまから思うと、携帯電話もパソコンもなかった時代のほうが案外、ゆったりと生きてたのかもしれないなあ、なんて考えてしまいました。
[ 2023/12/03 20:35 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
つっこみ力

読むワイドショー

思考の憑きもの

サラリーマン生態100年史

偽善のトリセツ

歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告