こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。先月から始まった秋ドラマは、目玉となるような大作はないけど、地味ながらキャスティングがうまくハマってる良作が多いので楽しみです。
ですが今日は、アニメにあまり関心のない私が珍しく長年観続けた『進撃の巨人』がついに完結したので、最後の感想を書きとめておきたいと思います。
私はアニメに偏見も思い入れもないので特別扱いはしません。一般的な劇映画やドラマと同じようにストーリーや人物像を中心に評価します。アニメの作画技術の良し悪しのような点は評価していないとおことわりした上で、アニメ『進撃の巨人』の最終的な総合評価をするならば、星5つ。満点です。
評価を上げるポイントは多々あれど、ここだけは納得できないといった、大きなマイナス要素はありません。減点する理由がない以上は、満点の評価をつけてもべつに甘くはないでしょう。
以下、詳しく説明したいのですが、どうしても終盤の内容を話すことになるので、ネタバレが避けられません。てか、ほぼネタバレ全開なので、ネタバレがイヤな人は作品を観てから以下の文章をお読みください。
よろしいですか? では続けます。
完結編で最高の名場面を選べといわれたら、私は前編でハンジが凄絶な最期を遂げるシーンを推します。仲間たちが脱出する時間を稼ぐために、単身、超大型巨人の群れに突っ込んで進行を押しとどめようとするのですが、いま最高にカッコつけたい気分なんだよ、などと軽口を叩きながら死地へと向かう姿がいかにもハンジらしいし、ついに力尽きて、火だるまになりながら落下していく姿は涙なしには観られませんでした。
このくだりは単に自己犠牲のヒロイズムを描いてるだけではなく、調査兵団の成長もわかる重要なシーンです。当初は一体の巨人を倒すだけでも四苦八苦してた調査兵団が、たったひとりで超大型巨人の群れと渡り合えるまでに進化してるわけで、このシーンによって、圧倒的なまでの戦力差がある最終決戦にまだ一縷の希望が残されていると示せるのが、うまい筋立てだなと思います。
とはいえ長年観てきた者としては、主要メンバーのひとりであるハンジですら前編で斃れたのはちょっとショックで、後編はどんな死屍累々たる展開になるだろうかと暗澹たる気分で半年間、後編を待ちましたよ。
ところが意外なことに、エレン討伐チームの面々はこれ以降、誰も死なないんですね。最後の戦いのあと、地面にへたり込んだリヴァイが、死んだ仲間たちの幻影のようなものを見ていたので、彼はてっきり死んだものと思ってました。でもエピローグに車椅子姿のリヴァイが登場することで、あ、生きてたんだ、と。
私がこの作品に満点をつけたのは、戦後を描くエピローグの部分を高く評価したからです。
もし、戦いが終わり悪が滅びて平和が訪れました、みたいな、陳腐な昔話のような終わりかただったら、私は大きく減点してたでしょう。
余談ですけど、私は『エヴァンゲリオン』の最後の劇場版の終わりかたには全然納得してません。0点です。これもネタバレになっちゃうから詳しくいわないけど、あれって結局、すべてを最初からなかったことにすればみんなハッピーになれるよ、っていうエンディングでしょ。
それじゃ夢オチと一緒じゃないですか。すべては夢でした。あるいは歴史修正主義みたいな感じもします。戦争はなかった。虐殺はなかった。と都合よく過去の事実を改変すればそれで済むという考えかた。
なかったことにはできないんですよ。たとえば、あなたがたわむれに残虐な方法で大量殺人をして、そのあとで特殊能力を使って人を殺さなかった世界に戻せばそれであなたの罪は消えるのですか。消えませんよ。時間を巻き戻そうが、殺人のなかった並行世界に移動しようが、あなたが殺人を犯した事実は消えません。
この世界で起きた問題は、この世界の人間がこの世界で解決しなければなりません。それ以外はすべてまやかしです。現実であってもフィクションのなかであっても、そこは一緒です。
『進撃の巨人』のエピローグでは、この物語の世界で起きた災厄の後始末をその世界の人々が責任を持ってやろうとしています。
人類の大半が死ぬというとてつもない災厄を経験したというのに、まだ人類は懲りません。憎しみと不信の火種はくすぶり続け、早くも世界中に再軍備の動きが出てきます。そんななか、アルミンを代表とする元調査兵団、元巨人化能力者たちは国際間の和平交渉に臨みます。
彼らは、武力を駆使していた自分たちにその資格があるのかと疑問を抱きながらも、巨人化能力も立体機動装置も武器も持たない丸腰の人間として、外交という非暴力の手段で世界平和のために尽力すべく動き始めます。
こんな戦後の活動まで描いたアクションSFファンタジーが他にあったかな? アニメに限らず、少なくとも私はちょっと思い出せません。
先ほど言及したリヴァイも、エピローグでは車椅子姿で難民キャンプみたいなところでこどもたちにお菓子を配る手伝いをしています。戦うことだけに生きて最強の戦士となった彼が、片眼と片脚を失ったあとも自分にできる小さな仕事で復興に尽くそうとしてる姿には、胸が熱くなります。
以前にも書きましたけど、原作者の諫山さんは戦闘はかっこよく描くけど、戦争は美化しないんです。戦争をかっこよく描くなら、戦いが終わったところまでとミカサのその後を見せるだけでいいはずですし、むしろアタマの悪い人たちはそういう痛快で感動的なエンディングを望むでしょう。
でもこの作品では、死闘を終えた戦士たちが戦後に和平や復興の活動に従事しているところをあえて描きます。戦争は最終的な解決手段ではないという想いを伝えようとしているようで、そこに私は作者の理性と誠実さを感じました。
ただ、誠実であろうとするがゆえに、ここで話を終わらせることができなかったんでしょうね。エンドロールではおそらくアルミンたちが生きた時代の数百年後、戦争によってまた都市が廃墟に戻ってしまうのです。
友を殺す苦渋の選択をしてまで戦争を終わらせた彼らの努力が無に帰してしまうのを目にするのは、何ともむなしいかぎりです。
ファイナルシーズンが始まったとき、急に戦争の話になってよくわからないという意見がネット上にけっこうあってビックリしました。
民族差別、愛国少年少女、使い捨てにされる兵士たちなど、これらすべてが現実の世界史をモチーフにした戯画であることは、わかりすぎるくらいに明白なのに、それがわからないって、日本の歴史教育は大丈夫かと心配になったくらい。
そしてこのラストもまた、まさにいま現実の世界で起きつつあることの戯画になってます。第二次世界大戦では全世界で5000万人以上ともいわれる死者を出したことで、さすがに懲りた人々が世界中で反戦平和を支持するようになりました。でも、のどもと過ぎればなんとやら、いままた力による支配を支持する安易な風潮が高まりつつあります。
いつまでたっても人類は歴史に学ばないというむなしい現実と、平和の実現に尽力する人々の理想の姿、その両方をエピローグで描いているこの作品の誠実さは、満点の評価に値すると私は確信しています。
[ 2023/11/21 17:25 ]
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