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再読で気づいた『有閑階級の理論』のおもしろさ

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。

略奪行為が集団で行われる場合には、この傾向は軍国主義とか、最近では愛国心などと呼ばれている。


 なかなかエッジの効いた皮肉です。「最近では」となってますが、この「最近」とは1899年、日本でいえば明治32年のこと。
 これは2022年に読んだ本のなかでもっともおもしろかった本からの引用です。
 『有閑階級の理論[新版]』ソースタイン・ヴェブレン 村井章子訳 ちくま学芸文庫
 いわずと知れた、社会学の古典的名著です。私は20年以上前に読んだきりでしたけど、近年(といっても7年前だけど)新訳が出ていたことを知り、図書館でぱらぱらとページをめくっていたら、古臭さがまったく感じられないことに驚きました。
 愛国心などという美辞麗句を免罪符にして略奪行為を正当化する無法者どものやり口を、ヴェブレンは100年以上前に見抜いてました。その指摘がいまでも通用してしまうのはヴェブレンの眼力のすごさか、はたまた、人類がこの100年進歩していないってことなのか。

 この本で有名なのは前半部で論じられた理論「顕示的消費(衒示的消費)」です。貴族や大金持ちが必要以上に高価な家や服を消費する行動のことですが、要するに、人間は金持ちになるだけでは満足できないってことですね。自分が金持ちであることを見せびらかして、周囲の人間からうらやましがられることでようやくこころが満たされるという、人間の業というか、承認欲求というか、そんなような学説。

 今回の再読では、前半部は過去のおさらいみたいな感じで読み進めました。しかし後半に入ると、以前は気づかなかったおもしろさに引きこまれたんです。ヴェブレンの主張には、いまの自分と重なるものがかなりあります。
 ヴェブレンは知性と理性を重視しており、野蛮で略奪的な行為と不合理さを嫌ってます。それは戦争のみならず、経済活動においてもあてはまるとしていたようで、人類の知的水準が向上し、みんなが定量的な根拠にもとづいて因果関係を考えられるようになれば、経営者にとっても労働者にとっても望ましい経済環境が実現できるだろうし、略奪的で不公正な旧時代の習慣はなくなるだろうと希望を持ってたフシがうかがえます。
 でも残念ながら100年後のいまも戦争はなくならないし、不公正な経済格差は開くばかり。

 そんなヴェブレンが後半でディスりまくってるのが、スポーツとギャンブルと宗教。私もまさにその3つが好きじゃないので、若干の偏見とブラックユーモアを含ませながらそれらをこきおろすヴェブレン節を堪能しました。

 略奪的な競争に向かわせる気質が基本的には幼稚なものであることは、すでに言及した略奪行為よりも狩猟などのスポーツのほうによく当てはまるし、すくなくとも明確に表れている。だからスポーツへの熱中は、精神的発達が途中で止まってしまったことを如実に表していると言えよう。スポーツや賭け事を好む人に固有のこの幼稚な気質を見抜くには、あらゆるスポーツに見受けられるこけおどしの要素に注意するとよい。


 世間では、スポーツに打ち込む生活が育てる男らしさには褒めるべき点がたくさんあると評価されている。独立心や仲間意識があるというのだが、これはかなりいい加減な言葉の使い方である。これらは、見方を変えれば好戦的とか派閥意識と呼ぶこともできよう。


スポーツ好きや賭け事好きが、運や偶然、すなわち予期せぬ必然性を信じるのも、未分化で原始的なこのアニミズム感覚と言えよう。


 スポーツと賭け事を好む人間は幼稚だなんて、けっこうストレートな悪口ですよね。
 でもいわれてみれば、スポーツ選手とギャンブラーには、げん担ぎとか願掛けとかが好きな人がたしかに多い気がしませんか。
 本来、スポーツもギャンブルもデータに基づいて因果関係を導き出さねば勝てないはずです。そういった知的努力を忌避して、真逆ともいえる超自然的、宗教的な力、直感に頼り、勝つためには運気を上げよう、パワースポットに行こう、みたいな人たちに関しては、知性と精神のレベルを疑わざるをえません。
 怪しい宗教はまさにそういう人たちを食い物にしてカネをむしり取ってるわけです。そういえば旧統一教会の教祖夫妻はラスベガスのカジノで豪遊するのが好きだったと報道されてました。やはり、スポーツとギャンブルと宗教には、何か相通ずるものがあるのかもしれません。
[ 2023/01/28 17:40 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

倍速視聴と良いレビュアーの条件と2022年のベスト

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。ここ2年ほどでしょうか、映画などを倍速で観る人が増えたそうで、その是非が議論されるようになりました。
 私には、倍速で観る意味がよくわかりません。話題の作品を観てないといったらバカにされるから、ムリしてでも観たという実績だけは作っておきたい、みたいな心理なのかな?

 でもおもしろい作品なら当然普通の速度で観ますよね。つまり、あまりおもしろくない作品を時短、タイパを優先して観るための手段なのでしょうけど、だとしたら理にかなってないんです。
 たとえば2時間の映画は倍速で観ても1時間かかります。あまりおもしろくない作品を観る1時間は、やっぱりムダな時間でしかありません。
 私の場合、映画やドラマは冒頭の15~20分を観て、おもしろくなりそうな気配がないな、自分好みのジャンルではないな、などと感じたら、見切りをつけてそこでやめてしまい、他の作品を観ます。よのなかには、一生かかっても見尽くせないほどたくさんの映画があります。読み尽くせないほどたくさんの本があります。音楽でもゲームでもみんなそう。だからつまらないものは途中でやめて、べつのを観る(読む・聴く・遊ぶ)のが時間対効果を考えたらベストの方法です。

 この方法にはもうひとつ利点があります。つまらない作品、嫌いな作品の悪口をいわなくて済むこと。つまんない作品に最後までつきあうから、文句をいいたくなるんです。映画やドラマを冒頭15分でやめてしまえば腹も立たないし、その後の展開も結末も知らないのだから、悪口のいいようがありません。
 たとえば、評判になったドラマ『silent』を私は初回の冒頭15分で興味を持てずにやめました。だから批判できないし、するつもりもありません。
 以前からいってますが、私は片耳が聞こえません。なので聴力障害に興味・関心があります。だけど『silent』の恋愛要素が私には響かなかったというだけのこと。
 ちなみにですが『愛していると言ってくれ』は名作だと私は思ってます。最近の作品だと、『しずかちゃんとパパ』『コーダあいのうた』はどちらも聴力障害者と健常者とのかかわりを描いた傑作なのでおすすめです。

 たまに、映画などをけなしてばかりいるレビュアーがいるんだけど、そんなにつまらないなら、もう映画観るのやめればいいじゃん、他にもっとおもしろい趣味を見つけて人生の時間を有意義に使いなよ、と忠告したくなります。
 私が考える良いレビュアーの条件とは、批判と賞賛の熱量が同じくらい、理想をいえば賞賛の熱量が上回っていること。
 レビュアーの個性や本質は批判ではわかりません。作品の褒めかたに現れます。けなしてばかりいる人は、自分の本質をさらけ出すのがコワいんです。えー、おまえそんな映画が好きなの? ダサぁ! とかいわれて傷つくのがイヤなのです。けなしてばかりいれば自分は傷つきませんから。

 批判ばかりしてる人には、「じゃあ、あなたはどの作品が好きなの?」と質問し、推してる作品について語ってもらえば、その人の本質がわかります。エンタメ作品をけなしまくってる人が、芸術性の高い難解なフランス映画とかを激賞してたら、なるほどこの人の好みはこんな感じなのね、と腑に落ちます。
 私の本に批判的なレビューがネットにあったけど、奥歯にものが挟まったようなものいいで、何が気に食わないのか伝わってこなかったんです。そこで、そのレビュアーがどんな作品を褒めてるのかなぁと見ていったら、ケント・ギルバートさんの本に5つ星をつけてて、そっち方面の人か(笑)と納得がいきました。

 批判するのがダメというんじゃないですよ。批判的な批評も必要だし、批判が改善のきっかけになることもあります。だけど、批判だけの人も褒めるだけの人も偏っていて信用できないんですよね。批判もするけど、それ以上の熱量で、おもしろい作品をたくさんオススメしてくれるのが、良いレビュアーです。

 そんなわけで私も、2022年に観た作品でおすすめのものを列挙しておきます。

映画

『1秒先の彼女』
 台湾映画の名作『ラブゴーゴー』の監督は非常に寡作な人ですが、打率は極めて高い。
 郵便局の窓口係の女性がある朝起きるとなぜか日焼けしていて、昨日の記憶がまったくない。その謎が解けてきたところで主役が男性に交代。同じ状況を男性の視点から描いて真相があきらかになる構成が、なんかクドカンさんのドラマみたいだなあと思ったら、日本版リメイクがクドカンさんの脚本で制作中だそうです。

『ドライブ・マイ・カー』
 長尺の作品なのに最後までまったく飽きずに集中できたのは、ひとつひとつのシーンが考えて撮られていてムダがなく、さまざまな要素が絡み合ってるのにまったく破綻していないから。これぞ映画、といえる完成度。

『茜色に焼かれる』
 よのなかの半分はクソ人間だと、私は思ってます。まあ、むこうはむこうで私のような人間をクソ人間だと思ってるのだろうから、そこは、おあいこってことで。
 ただでさえクソ人間だらけのよのなかに、コロナ禍という閉塞状況が加わって翻弄される母子のキツすぎる日常。前半のフリが後半のアレにつながって、みたいに細部まで目が行き届いた脚本。イヤなことばかり起きるストーリーだけど、後味は不思議と悪くないのです。

ドラマ

 地上波・衛星テレビドラマのベスト作品は、すでにブログで紹介済みのものばかり。
『しずかちゃんとパパ』
『おい、ハンサム』
『ミステリと言う勿れ』
『エルピス』

 配信でおもしろかったのは、
『新聞記者』(ネットフリックス)
『The Boys』(アマゾンプライム)

 むかしの作品の再放送では、TVerで観た『ひとつ屋根の下』と、年末にNHKBSで放送された『阿修羅のごとく』。どちらも当時の世相がうかがえて懐かしかったし、いま観てもじゅうぶん愉しめました。
[ 2023/01/10 10:06 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

『エルピス』と「消されたテレビ番組の全記録」

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。最終回がちょっと駆け足だったけど、『エルピス』は見応えがありました。結局政治家という巨悪は野放しのまんまかい、とモヤモヤした人もいるかもしれませんが、土壇場の駆け引きで浅川は当初の目的だった冤罪事件の解決というカードを引き出したのだから、落としどころとしては最善の選択といえるでしょう。釈放された元死刑囚と冤罪を信じていた女性がしあわせそうにカレーとケーキをほおばるシーンで、浅川と岸本の苦闘が報われたんだなあと思いました。すべての悪が断罪されるなんて結末だったら、逆にリアリティのないおとぎ話になってしまいます。

 作品中の重要なテーマのひとつがマスコミ報道のありかただったわけで、このドラマに不満な人たちには逆に、じゃああなたは現実の報道に満足してるの? と問いかけたいですね。旧統一教会と政治の癒着も五輪汚職も、このままだとうやむやにされそうな気配が濃厚ですけど、それで満足ですか?
 私も今年、時事通信の連載を降板した者として、他人事とは思えません。私は嘘やデタラメはひとつも書いてません。いつもどおり、この人がこの本で、この記事で、過去にこんなことをいってましたよ、と根拠のある事実を書いたのですが、政治家や批評家を皮肉るような文章は掲載できないといわれました。ある程度の修正にも応じ、話しあいを重ねたのですが、折り合いがつかなかったので自分から降板を申し出たという次第でした。
 で、この連載企画ですが、某出版社から書き下ろし書籍として出版できる運びとなりました。まだ書き始めたばかりなので発売は1年くらい先になると思います。とりあえずは、2月発売の新書『読むワイドショー』をよろしくお願いします。

 今年もむかしの新聞雑誌資料を多数読みました。そのなかから、マスコミ報道関連で興味深かったものを紹介しましょう。
 「消されたテレビ番組の全記録」。1973年の雑誌特集記事です。北海道から沖縄まで、全国のテレビ関係者100人が実名で証言した、テレビ局の自主規制や外部からの圧力でお蔵入りになった番組の実例。民放だけでなくNHKの記者やスタッフも証言してるのがスゴい。この時代のNHKはいまとは比べものにならないくらい保守的・お役所的だったので、ヘタしたら局内で自分の立場が危うくなりかねないのに、よく企画に応じましたねえ。
 なにより意外だったのは、この70ページにもわたる過激な特集を掲載したのが『潮』1973年3月号だったということ。現在の『潮』は、だれに何を伝えたいのかよくわからない雑誌です。それでも休刊にならず長年続いてるのは、創価学会系の出版社なので学会員が買い支えているからですか?

 全般的に、70年代までの活字メディアはトガってます。以前から指摘してますけども70年代までの読売は、庶民目線で政治家や大企業を突き上げるリベラル色の強い新聞でした。いまや『アサヒ芸能』はエロとヤクザが好きなおじさんのための雑誌というイメージですけども、70年代までは独自の切り口からの社会派記事にも力を入れてました。
 73年の時点では『潮』にも、テレビの自主規制をテレビスタッフが内部告発するなんて大胆不敵な企画をやれる空気があったのだと思われます。
 もちろん宗教がらみの出版社であることは周知の事実だったので、証言を寄せた関係者のなかには、『潮』にだって書けないタブーはあるだろ、みたいな皮肉を効かせてる人もいます。そういう文章も削除を求めずそのまま載せてしまう度量と自由がこの時代の雑誌メディアには、まだあったんですね。

 テレビは活字メディアより一足先、60年代に自主規制が始まってました。著名な例としては、1962年に九州RKB毎日が製作したドラマ『ひとりっ子』が放送中止になった件。防衛大に合格した高校生が、母親からの強い反対に遭って悩んだ末に入学をやめるというストーリー(主人公には兄がいたが戦争で死んだのでひとりっ子になった)。スポンサーからの圧力で放送中止になったとされてますが、そもそも企画や脚本にスポンサーがオーケーしたから製作されたのに、完成してから放送するなってのもヘンな話です。

 で、73年の特集記事「消されたテレビ番組の全記録」ですが、時節柄、ベトナム戦争関連のルポやドキュメンタリーが局の判断でお蔵入りしたという証言が目立ちます。
 小田実、開高健など反戦文化人や自民党政治家などが参加して夜通し行われた討論会を東京12チャンネル(現・テレ東)が生中継したのですが、上層部の判断により途中で中継が打ち切られました。スタッフによると、外部やスポンサーからの圧力はなかったのに、局のおエラいさんが発言内容にびびって自主規制をしたそうです。
 この当時、東京12チャンネルは赤字経営に苦しんでいて、NHKの3番目のチャンネルとして編入される計画が真剣に検討されていたという余談にもビックリしました。

 NET(現・テレ朝)が土曜のお昼に放送してた『土曜ショー』は主婦向けの娯楽番組だったのですが、現場のディレクターたちが公害、憲法、天皇制など社会派のテーマをぶち込むようになったことで上層部からニラまれて番組が打ち切られてしまいました。
 ただ、最終的に打ち切りのきっかけとなったのは社会派テーマではなく、泉谷しげるさんの暴走だったそうです。
 放送禁止歌の特集で泉谷さんに「先天性欲情魔」という歌を歌ってもらい、放送音楽の審議員と議論をするところまでは問題にならなかったんです。ところが、スタジオに並べてあったスポンサーの鶏肉の缶詰を泉谷さんが指さして、「こんなもんうまいはずないじゃない」と暴言を吐いたことで、制作局次長が血相変えて飛んできてディレクターを叱責。番組は打ち切り、ディレクターは異動になりました。
 しかしのちにわかったのですが、この件でもスポンサーは怒ってなかったそうです。
 こういうケースが多いんです。誰も問題にしてないのに、テレビ局の上層部が先走って自主規制をしてしまうという。とりあえずやってみて、問題になったらやめればいいじゃん、じゃなくて、問題を起こすこと自体を極度に恐れて、ちょっとでも危ないものは自主規制するという事なかれ主義が常態化して、いまにつながっている感じがします。
[ 2022/12/31 08:08 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

書き下ろし新刊が2月に発売されます

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。版元ドットコムなどの新刊情報サイトではもう情報が公開されているようなので、私のほうからも新刊発売の予告をします。
 来年(2023年)2月上旬に書き下ろしの新刊が出ることになりました。
 『読むワイドショー』ちくま新書です。
 今回のテーマはテレビと芸能。もっとも身近な大衆文化なのに、知ってるようで知らないことが意外と多いのがこのジャンル。
 たとえば、テレビ画面隅にタレントやコメンテーターの顔が映し出される小窓を、みなさん普通にワイプと呼んでますけど、なんでワイプというのか、いつごろから使われはじめたのか、何がきっかけで定着したのかなんて、もろもろのことをご存じですか?
 テレビ好きの私も気にはなってたけど、ぼんやりとしか知らなかったんです。いつもの文化史調査の手法でワイプのルーツと歴史を掘り返してみたら、知られざるおもしろエピソードの宝庫でした。
 映画では古くから場面転換の技法として使われていたワイプを、日本のテレビが画面合成の技術として応用し始めたのは50年代。かなり早かったんですね。
 あのCMで、あのスポーツで、あのニュースで、そしてなんと、あのドラマでもワイプが使われていたのでした。
 日テレが予告した日本初の試みをフジテレビが先にやってしまったことに読売新聞記者が大激怒! しかしその日テレには日本映画監督協会から強い抗議が! そんな騒ぎをよそに我が道を行く東京12チャンネル!
 やっぱりなんでも調べてみるもんですね。ワイプなどという小さな文化ひとつとっても、これだけの歴史があるのだから、おもしろい。気になったかたは、ぜひ本を読んでいただきたい。
 他にも、歌手が逮捕されるとレコードが回収される不思議な慣例が始まった経緯。コメンテーターとは何者だったのか。略奪婚の歴史。昭和の芸能人たちによる過激すぎる政治批判と、政治家からのすさまじい言論弾圧など、硬軟取り混ぜた内容を新書の枠内にぎゅうぎゅうに詰め込んだ、とってもお得な本になっております。ご期待ください。
[ 2022/12/23 20:07 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

社会派ドラマの傑作の予感

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。サッカーに1ミリも興味がない私はいつもどおり映画やドラマを観ています。先日、アマゾンプライムビデオに再加入しました。
 今回のお目当てのひとつは『シン・ウルトラマン』。ちゃんとSFマインドみたいなものを感じさせてくれるのがよかったです。ただ、SF的な要素の説明は必要最低限で済ませてしまってるので、SFを囓ってきた人たちは、だいたいああいうことだなと察することができますが、わからない人たちはちょっと置いてけぼりをくらうかもしれません。
 『シン・ゴジラ』ほどのレベルには至らなかったけど、ありきたりなヒーローものとはひと味違う、オトナの鑑賞にも耐える作品にはなってます。

 『シン・ウルトラマン』では捕まって変身できないウルトラマンの救出に単身で乗り込んだり、巨大化させられたり(笑)と大活躍だった長澤まさみさんは、今期のテレビドラマでも活躍中。
 それが『エルピス』。いま私が観続けてる連ドラは『エルピス』と『PICU』の2本です。両方とも女性脚本家によるオリジナル作品で、最近は、女性脚本家のほうが社会問題に果敢に取り組んで、いい作品に仕上げてる気がします。野木亜紀子さんも『アンナチュラル』や『MIU404』ではけっこう社会性の強いテーマを盛り込んでました。
 中島みゆきさんの歌じゃないけど、ホントによのなか、戦わない連中が戦う者を嗤ってるケースばかりです。会社や社会の不正や不条理と戦おうともせず、怒りもせず、正しさとは何かと思考することさえ忌避して、「それがオトナだから」「よのなかそういうもんだから」「会社の方針には従わなきゃいけないから」みたいな薄っぺらい理由を免罪符にしてる体制順応ことなかれ主義者は、20代30代の若い人にも多いですからね。

 眞栄田郷敦さん演じるADの「正しいことがしたいなあ」ってセリフが刺さります。長澤さんが演じる落ち目のアナウンサーとともに、会社と、そして世間の理不尽に怒り、戦い、正しさとは何かを問うフィクションであると同時に、このドラマは制作陣の戦いでもあるんです。
 5年くらい前にTBSでボツにされた企画を、プロデューサーが関西テレビに移籍して実現させたと聞いて、ビックリしました。戦ってるなあ。
 なんでTBSはボツにしたんだろう。報道がウリのTBSこそ、こういう社会性の強いドラマをやるべきなんじゃないの。テレビ局がテレビ局の内情を批判するドラマはタブーなのかな。まあ、メンツとか忖度とか事なかれ主義とか、志の低い連中による自己保身なんだろうけど、そのあたりのテレビ局内の理不尽さへの批判も脚本にしっかり込められてます。会社内では上の男たちのメンツを傷つけないようにふるまわなきゃいけないとかね。
 TBSでボツになったときからすでに主演は長澤さんで決まっていたそうですが、期待にじゅうぶん応える演技をしています。アナウンサーとして画面に登場するときはアナウンサーの発声でしゃべってるし、弱さと強さの振れ具合の表現とか。
 ものまね芸人たちはいまだに、ハタチくらいの頃のヘラヘラしてた長澤さんのイメージをマネしてますが、いつのまにか、シリアスも笑いも演じられる凄い女優さんになってます。

 もちろん渡辺あやさんの脚本の素晴らしさはいわずもがな。プロデューサーや脚本家の戦いを、演出が凝った映像で後押ししてます。私は映像表現の専門家じゃないのでうまく説明できないんだけど、画面からは映画的な陰影というか色づかいというか、そんな印象を受けます。テレビドラマってけっこう、べたーっと撮ってるのが多いんですよね。テレビだと明るく見やすいほうがいいって配慮もあるのでしょうけど。

 『PICU』にもふれておかねば。ようやくこのテーマ、小児救急医療が取りあげられました。
 日本は乳児死亡率の低さでは世界トップレベルです。生まれて1年以内に死ぬ赤ん坊が極端に少ないことは誇っていい。でも、1歳から5歳までの死亡率となると、先進国のなかでワーストに近いという事実はずっと前から知られていたのに、長年無視されてきたんです。
 むかしの俗説では、弱い赤ん坊をムリに生かしてしまうから、その子たちが幼児期に亡くなって死亡率を高めているのだろう、なんていわれてたのですが、10年くらい前だったかな? 厚労省と医学者による研究班がその俗説が間違いであると立証し、真の理由を突き止めました。日本は他の先進国に比べ、小児救急がある病院も医師も極端に少ないから幼児死亡率が高いのだと。
 小さいお子さんをお持ちの親御さんたちは、覚悟しておいたほうがいい。あなたのお子さんが重病や重傷になったら、適切な治療を受けられずに亡くなる可能性が非常に高い。それが日本の現実です。なのに、小児救急医療を充実させようって気運は盛り上がらない。ドラマもその辺を描いてます。
 それは仕方ない? よのなかそういうもんだ? 少子化を問題視しておきながら、こどもが死ぬのはかまわないってのは矛盾してない? 不条理な現実に怒らず容認し、なんの改善も求めないのがオトナなのですか? 
 ドラマやフィクションは問題を提起することができます。でも、実際に問題解決に取り組むかどうかは、現実の人間の判断と行動次第です。
[ 2022/11/29 17:46 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
思考の憑きもの

サラリーマン生態100年史

偽善のトリセツ

歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告