こんにちは。スマートじゃないホンを使ってるパオロ・マッツァリーノです。スマートなんだったら、図書館や劇場や電車内に入ったら、それを感知して自動的にマナーモードになる、あるいは強制的に電源を切るような機能くらい、そろそろ搭載してほしいものです。
さて、「
悩めるお母さんのための読書案内」第9回が更新されました。アップ直前になって、ちょこっと修正をお願いしたくてわがままいったら、まにあわずにアップされてから直してもらったりとゴタゴタしてしまいました。
さて、今回取りあげたのは『寺子屋式古文書手習い』。興味のない人にはまったく意味のない本かもしれません。私も江戸時代の古文書を読むところまでハマってはいませんが、明治時代くらいまでの資料を読むには、印刷資料や新聞記事であっても、変体仮名のような古い文字の知識と、基礎的な漢文が読める素養がないとつらいです。
私はここのところ、近現代の文化史・庶民史みたいな小さな歴史ばかりに興味を持って調べてますが、それは庶民目線で現代と過去を比較することでしか見えない真実がたくさんあるからです。
たとえば電車や汽車でのマナー問題なんてのは、いまにはじまった話でなく、明治時代からすでに新聞で取りあげられてるんです。
大正時代、すでに「近頃はあたしみたいな婆さんが電車で立ってても、若い人は本を読むふりなんかして、席を譲ってくれない」とマナー低下を嘆く新聞投書が見られます。マナーや道徳はむかし高かったのがだんだん低下したわけではなく、ずっと底値安定のままなんですね。
もっと驚いたのは、この数日後に「あんたみたいに物欲しげにしてるババアには、こっちも席を譲る気がしなくなるんだよ」と、いまならネットでしか見られない罵詈雑言が、新聞投書として堂々と載るんです。
小さな歴史を見ていれば、戦前・戦後を通じて、日本人の道徳心・公徳心は向上も低下もしていないとわかるのですが、デカい歴史ロマンばかりを追いかけて、小さな庶民史をないがしろにする人は、「むかしはよかった」というんです。