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『日本列島プチ改造論』文庫本プレゼントのおしらせ

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。もうひとつおしらせがあるのを忘れてました。
 先日予告した、『日本列島プチ改造論』文庫本プレゼント企画ですが、角川書店のサイトのフェア&プレゼントコーナーで応募方法が告知されてますので、詳しくはそちらで。
 角川さんでは、個人情報保護などもろもろの社内規定があって、プレゼント関係はネットからの応募でなく、基本的にハガキでの応募になるそうなんです。
 ということなので、応募にはハガキ代50円がかかってしまいますがご了承ください。もし使わずにあまってしまった数年前の年賀状などがあったら、応募に使ってしまうチャンスかも?
[ 2012/11/30 22:39 ] おしらせ | TB(-) | CM(-)

悩めるお母さんのための読書案内が更新されました

こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。悩めるお母さんのための読書案内が更新されました。
 27日ごろに更新されてたのですが、しばらく家にいなかったもので、お知らせが遅れてしまいました。私はパソコンを持ち歩かないし、ケータイも通話とメールのみでネットにつながらない「スマートじゃないホン」なんです。
 先日アップした、赤ちゃんの泣き声の話には、いろいろ反響をいただきました。これに関しては、あとで補足を書きます。
[ 2012/11/30 08:42 ] おしらせ | TB(-) | CM(-)

ネット言論のエセヒューマニズム

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。本日はみなさんに、珠玉の心温まるストーリーをお話ししましょう。

 オレ最近、気の合う仲間4人で麻雀やるのにハマってるんです。こないだも行きつけの雀荘に集まりました。客は常連ばっかしで、いつもたばこの煙が充満してる場末の小汚い雀荘なんすけど、かえってそういうところのほうが、懐かしくて落ち着くっていうか。
 その日は、約束の時間に20分くらい遅れてAさんがやってきました。待ちくたびれたオレらの前に、Aさんは背中に1歳になる坊やを背負ってあらわれたんです。
「ごめんごめん。急に女房がカゼで熱出して寝込んじゃったもんだからさ。女房と一緒にしといてガキにうつすよりはと思って、連れてきちゃったよ」
 打ちたくてウズウズしてたオレたちは、メンツが揃ったのでさっそく始めました。コワモテのAさんが坊やを背負ったまま雀卓に向かってる姿は、妙に笑えました。けど、しばらくすると坊やが泣き出したんです。Aさんは必死に坊やをあやします。
「どうしたどうした。オムツもさっき替えたし、ミルクもあげたばかりだし、さっきまでおとなしかったのに、泣くんじゃないよ……みんな、すまんな、うるさくて」
 すると店のオヤジや他の常連客たちが口々にいいました。
「いいってことよ。赤ん坊は泣くのが仕事だ」
「なんでぐずるんだろうな。ジャラジャラうるせえからかな」
「たばこの煙が充満してて苦しいんじゃねえか?」
「いやなに、この程度の煙を小一時間吸ったからって、赤ん坊の健康にただちに悪影響が出ることはねえだろうよ」
 オレもいいました。「ウチのオヤジはヘビースモーカーだったから、オレはガキのころからずっとウチで煙を吸いっぱなしだったけど、なんともなってないっすよ」
 他の客たちもみんな、赤ちゃんが泣くのをガマンしてくれました。そういうオトナの余裕っていうか? いいっすよね。みんな、がさつで貧乏だけど、いいヤツばっかりだ。
 半チャン終わって1時間ほどたったところで、その日はお開きになりました。赤ちゃんはその間ずっと泣きどおしでした。オレは坊やに声を掛けたんです。
「坊や、苦しいのによくがんばったな。エライエライ」
 Aさんはニッコリ微笑むと、まだぐずっている坊やを背負ったまま、雀荘をあとにしました。


 ハイ拍手~。さあ、あなたのハートには、なにが残りましたか?
 え? 悪ふざけもたいがいにしろ? そいつらはみんな人間のクズだ! 親の勝手な都合で赤ちゃんを環境の悪い雀荘に連れて行き、1時間も泣き叫ぶままにしてたなんて、児童虐待だぞ!
 奇遇ですね。じつは私もまったく同感です。念のため断っておきますが、いまのお話はすべて、私が作ったフィクションです。
 とはいうものの、この話には元ネタが存在します。オリジナルは、つんくさんがツイッターでつぶやいた美談なんです。ええ、あのモー娘。とかのつんくさん。その数行のつぶやきを、私が設定を変えてふくらまさせてもらいました(私はつんくさんに対してなんの含みもありません。ファンでもアンチでもないとおことわりしておきます)
 もとの話というのは、こういうのです。つんくさんが15年くらい前に飛行機に乗ったとき、近くの席でずっと赤ちゃんが泣いていたのだそうです。赤ちゃんの母親がすまなそうにしてたので、つんくさんは降りるとき、「この子はよくがんばった。エライエライ」と声を掛けたところ、母親は涙ぐんだという思い出話。
 でも私には、それを美談だと単純に受け取ることはできません。私が抱いた違和感をみなさんにわかっていただくために、わかりやすくふくらませたのが、さっきのお話です。
 そもそもなんでつんくさんがそんな話をつぶやいたのかというと、先日ネットで起こった論争への反応だったのです。さかもと未明さんというマンガ家、なんですかね? 私、よく知らないんですけど、そのかたが国内線飛行機に乗ったとき、近くの席の赤ちゃんがずっと泣いてたのにブチ切れて、親と航空会社に激しく抗議したというコラムを書いたところ、ネットでさかもとさんに対する賛否両論が巻き起こりました。つんくさん、茂木健一郎さん、乙武洋匡さん、やまもといちろうさんといった、ネットでご活躍の識者・文化人のみなさんが、こぞってさかもとさんを批判し、赤ちゃんの親を擁護するコメントを発表したというのが、おおまかなことの次第。
 『怒る!日本文化論』という新刊を出した私は、これは格好の練習問題になるかもしれないと、論者たちの意見に目を通したのですが、彼らは揃いも揃って的外れな意見を述べていました。この問題の本質は、クレームやガマンとは無関係なところにあると私は気づいたのです。
 たしかにさかもとさんの怒りかたは過剰でヘタクソで理性を欠いてました。批判されてもしかたがない。でも一方、さかもとさんを批判し、泣いていた赤ちゃんの親を擁護した言論人たちの反応は理性的なのでしょうか。いいえ。彼らの意見もまた、表面的なヒューマニズムを振りかざしているだけの感情論にすぎません。
 彼らの議論は、泣く赤ちゃんの親vs.さかもとさん、両者のオトナの都合のどちらが優先されるべきかという点だけに終始しています。
 ちょっと待ってくださいよ。この問題のいちばんの当事者である赤ちゃんの意見に、なぜだれも耳を傾けようとしないのですか。
 赤ちゃんはしゃべれないから意見などいえない? なにいってんの、今回の場合、赤ちゃんは明白な意志表示をしているじゃないですか。飛行機に乗っていた小一時間、ずっと泣き続けてました。耐えられないほどの苦痛を感じていたからですよ。
 地上とは気圧や湿度がかなり異なる機内では、オトナだって耳や目が痛くなってツラいことがあります。赤ちゃんが苦しんでいたとしても不思議はありません。その子は「耳が痛い、目が痛いよー、ママー、助けてー、降ろしてよー」と1時間ずっと叫び続けていたという可能性はないのでしょうか。
 個人差があるから、何時間飛行機に乗っても平気な赤ちゃんもいます。でもその子は明らかに苦痛だったわけです。だから私の意見はこうです。飛行機に乗せて泣きやまないような赤ちゃんは、物心つくまで二度と飛行機に乗せてはいけない。それをやれば、理由はどうあれ結果的に虐待になるから。

 雀荘で遊びたいというオトナの勝手な都合で赤ちゃんを1時間苦痛に晒す行為は虐待だと考える人は多いでしょう。しかし飛行機に赤ちゃんを1時間乗せて苦痛に晒すのはかまわないと多くの人がいう。でもそれはオトナが勝手に決めた価値観です。
 赤ちゃんの立場からすれば、理由が遊びだろうと必要な移動だろうと、1時間ものあいだ、泣き叫ぶほどの苦痛を与えられたという事実に変わりはないのです。どちらも虐待ですよ。この場合、理由は行為の結果を正当化しません。赤ん坊からすれば、「よくがんばったね」といわれたところで慰めにもなりません。むしろ「やかましわボケ! ワシ、ずうっと、苦しいいうてたやんけ! なのにきさまらみんな、見て見ぬフリかい!」と毒づきたかったのかもしれません。
 もし、理由の如何によっては許されるのだとしましょうか。すると今度は、飛行機を利用した理由が問題になります。今回、泣いてた赤ちゃんの親は、いったいどんな理由で飛行機を利用していたのでしょうか。本当にやむを得ない理由があったのでしょうか。もしその理由が観光旅行だったとしたら、擁護派のみなさんはそれでも親の味方をしますか?
 あるいは実家への帰省だったら。ジジババに孫の顔を見せるためなら許される? また人情美談ですか。でもその場合、ジジババが飛行機に乗って孫の元へやってくる選択もあったはずですよね。
 もしくは陸路もあるでしょう。その子は飛行機だけでなく、電車でも泣き叫ぶのですか。電車は平気なら、そちらを選ぶべきです。飛行機のほうが早くて安い、なんてのはオトナの経済的価値観をこどもの苦痛より優先させてるだけ。
 赤ん坊が泣いてるときの親の態度によっても、周囲の反応はまったくちがってくるはずです。泣きやませようと必死になっていれば同情しますけど、ほったらかしにしてたらどうですか。こどもが泣いてるのに親がとなりでイヤホンつけて音楽聴きながら雑誌読んでいて、それを注意されたら「こどもは泣くのが仕事です」と開き直ったとしても、ガマンするのがオトナの対応なのですか。

 長々と書いてきましたが、これでもまだ足りないくらいです。考慮すべき点はたくさんあるのです。個々の事例・事情によって、親を擁護するか叱責するか、反応はまったくちがってくるんです。それをネットの言論人たちが、こどもが泣いてもクレームをつけずにガマンすべきだ、などと単純に一般化してしまってることに、私は強い違和感をおぼえたのです。
 怒る人をクレーマーと決めつけ叩き、こどもをもつ親には無条件に味方することで、彼らはおのれの「やさしさ」に満足しているだけなんじゃないですか。そのくせ、赤ちゃん本人の気持ちを汲み取るという、もっとも大事な論点を見失っているのです。
 ガマンと無関心がすべてを解決するわけではありません。ときには、積極的に他人に関わる、他人の事情に首をつっこむおせっかいも必要なんですよ。事情を知らずに決めつけでキレるくらいなら、関わってウザいと嫌われるほうを、私なら選びます。
[ 2012/11/24 20:59 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

文庫版『プチ改造論』と新マニフェスト

 こんにちは。最近、朝食のおかずは卵焼きとつくだ煮があればいいんじゃないかと思っているパオロ・マッツァリーノです。
 いよいよ今週発売予定の単行本『怒る!日本文化論』の内容解説ページを作りました。よろしければ左の著作一覧にある表紙画像をクリックして読んでみてください(なお『日本史漫談』にも解説があります。気づいてた?)

 さて、今日は、同時発売の文庫版『日本列島プチ改造論』のご案内。

 小さい画像だと、ごちゃごちゃしてよくわかりませんね。書店で実物を手にとって見ていただければ、細かく書きこまれたイラストであることがおわかりになるはずです。
 『プチ改造論』のほうは、いちおう、新党アルデンテのマニフェスト集というコンセプトで書かれております。ネット連載当時から4年ほど経過してますが、ほとんどのアイデアはいまでも通用するのでは。
 ちょうど世の中は選挙戦がスタートしたところですが、いまひとつ世間はシラケてます。総選挙というのはそもそも衆議院選挙のことをさすわけですが、いまや総選挙といえばAKBの代名詞になっていまいましたから、しょうがないのかもね。そりゃあ、加齢臭漂うジジイやババアを選ぶより、若い女の子を選ぶほうが盛り上がるのはあたりまえですよ。
 というわけで、わが党も新たなマニフェストを発表しましょう。
「70歳以上の議員は、無給のボランティアとする」
「親と同じ選挙区からこどもが立候補する場合は、相続税を支払う」
 まず最初のほうですが、もちろん狙いは政治家の若返りです。定年制を持ち出すと、ジジイ議員たちは、支持者がいるかぎりやり続けるとかだだをこねるんですよね。だったら百歩譲って、議員をやるのは認めましょう。その代わり、ボランティアでやってください。
 世の中の大部分の年寄りは、年金と貯金で生活してるんです。それで地域のボランティア活動とかをやってる人もいます。議員は莫大な報酬をもらわなければできないなんてわがままいうなら、やめてもらってけっこう。無給でもいいという心意気のある人だけにやってもらいましょう。
 次のは、世襲議員の制限です。世襲自体を禁止はしませんが、他の候補との公平性を考えれば、ある程度の規制は必要です。そもそも、莫大な富と権力を生み出す価値のある地盤というものを相続しても、まったく税金がかからないのは、かえって不公平です。
 算定方法が問題になりますが、一案として、親が議員として在職した期間に得た全報酬・歳費の一割なんてのはどうでしょう。これだと、長く在職した議員のこどもほど、出馬しにくくする効果があります。人によっては数千万円になる可能性がありますが、べつに出馬する本人が出す必要はありません。親が出してもいいし、後援会の人が出してもいい。
 要は、数千万円払ってでもこいつに議員をやらせたい、と思わせるくらいの器量がないようなら、後継者になる資格はないってことですよ。
[ 2012/11/19 20:40 ] おしらせ | TB(-) | CM(-)

新刊のカバーができました

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。都知事選には出馬しません。千葉県民だから。ていうか、任期の半分もいかないうちに議員や首長が辞職したら、次点だった人が自動的に繰り上げ当選で残りの任期を勤めるってことにしちゃえばいいんじゃないの? そうすればムダに選挙費用もかからないし、あいつに譲るくらいならと思えば、気安く辞められなくなって任期をまっとうするはずです。よし、これも新党アルデンテのマニフェストにします。

 さて、22日発売予定の私の新刊『怒る!日本文化論』のカバーができあがりました。

 これまでの本とはかなり毛色のちがうデザインです。私はパッとみてけっこう気に入ったのですが、いかがなものでしょう。パオロのキャラが表紙に出ていないはじめてのパターンです。『つっこみ力』は新書だからカバーイラストはなかったはず? じつは初版の帯にしっかりと吉田戦車さんのイラストが入ってたのでした。ホラ、左の著作一覧を見れば――とここまで書いて、大チョンボに気づきました。著作一覧に『つっこみ力』が入ってなかった。ブログを開設してから今の今まで気づかなかったとは……。すぐに追加しておきました。
 いろんなマンガ家さんにパオロのキャラを(想像で)描いてもらって表紙に使うパターンは、そろそろやめようと自分でも思ってたんです。それで今回、表紙デザインに関しては完全おまかせにしました。
 表紙の下のほうに、行儀の悪い子供も叱れない人に、天下国家を語る資格はありません! と挑発的なコピーが入ってます。これは私が本文に書いた文章とはちょいとちがうのですが、ほぼニュアンスは同じなので、文字通りの意味にとっていただいてもけっこうです。
「このままでは日本がダメになる」「日本は滅びてしまう」なんてデカい心配は無用です。日本がダメなのは何百年も前からのことだし、かといって日本は滅びてないのだから、心配するほどダメでもない。
 だから、デカい心配をする前に、自分の身のまわりの小さな問題や不満に目を向け、ひとつでもいいから改善する努力をしてみましょうよ、私もやってみましたから。で、そのための理論と実践を説いたのが『怒る!日本文化論』です。
 よそのこども、よそのオトナ、知らない他人とじかに関わることも大切なんじゃないですか。ふれあい、ふれあい、と口ではきれいごとをいうけど、じつは他人とのコミュニケーションを、必要以上に避ける傾向が日本人にはあるように思えてなりません。
 たとえば、お店で店員の対応が不満だったら、ツイッターで悪口雑言を流すのでなく、その場で本人にいうべきなんです。それでお互いちょっと気まずい思いをするのも、立派なコミュニケーションです。怒るのだって、ふれあいなんですから。
[ 2012/11/13 14:16 ] おしらせ | TB(-) | CM(-)

単行本と文庫本が発売になります

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。上の画像はおふざけで作ったバナーなので、いくらクリックしてもなにも反応しません。年に一度くらい、ウィキペディアに似たようなバナーが表示されることがありますが、偶然だと思います。
 今回、私のお願いといいますのは、新刊の発売が決定しましたので、買っていただけたらうれしいなぁ、という、つつましいお願いでございます。

 今月、11月下旬に、単行本と文庫本がほぼ同時に発売されることになりました。
 まずは単行本のおしらせから。こちらのタイトルは『怒る!日本文化論――よその子供とよその大人の叱りかた』。技術評論社より、税込み1554円で11月22日発売予定となっております。
 今作では、怒る、叱るというテーマを軸に、理論と実践の両面から考察し、日本人の教育や道徳やコミュニケーション文化について、あれこれあぶり出してみました。
 おっと、早とちりしないでくださいよ。社会の矛盾やマナー違反の人間を怒るといった、そんじょそこらに山ほど積んであるありきたりなコラム本とは全然趣旨がちがいますからね。
「むかしは近所のおじさんやおばさんが、よそのこどものことも叱ってくれたんだ。社会全体で子育てをしていたんだ」みたいな話は年寄りの思い出話の定番です。そして、こうした過去を美化する思い出話はたいてい、世の中の道徳心はむかしより低下し、人心は荒廃した。戦後の自由な教育がまちがっていたのだ、という結論に結びつきがちです。
 でも、それって本当なんでしょうか。むかしの人は本当によその子も叱っていたのでしょうか。戦前の日本人の道徳心は、本当にいまより優れていたのでしょうか?
 いつものように近現代の史料からそのあたりを検証してみると、年寄りの思い出話とはかなり異なる、戦前日本庶民の真の姿が浮かび上がってきました。
 電車内のマナーひとつ取ってみても、そう。戦前から電車内で化粧をする女は普通にいました。車内では小学生が走り回って騒ぎ、年寄りに席を譲らない若者もたくさんいたのです。なおかつ、そういったマナー違反を目撃して不快な思いをしながらも、乗り合わせた乗客はみな、トラブルを恐れ、なにもいい出せず見て見ぬふりをしてたのです。よその子を叱るおじさんなんて、むかしからほとんどいませんでした。それどころか、こどもを叱れない親や教師だって、珍しくはなかったのです。
 つまり、道徳という面では、戦前と現在の日本人のレベルは、ほとんど変わりありません。むしろいまのほうがほんのちょっと良くなってる可能性すらあります。少なくとも、戦後の道徳教育が日本人の道徳心を低下させたというのはいいがかりです。
 ウソだと思うなら、私の新刊『怒る!日本文化論』をお読みください。これまでの本と同様に、私は根拠となる史料などをすべて明らかにした上でフェアに論じております。

 と、いうあたりが理論編。今作がこれまでの本とちがうのは、理論だけでなく実践編があることです。物書きは、しばしばイジワルな読者から難癖をつけられます。エラそうな理屈をこねるなら、おまえがやってみろよ! はい、やりましたよ。私はここ数年、近所のこどもや、電車や図書館でマナー違反をしている他人に対して腹が立ったら、なるべくガマンせず、面と向かって注意してきました。
 知らない人に注意したりして、殴られる危険はないのか? 他人の注意なんて聞き入れてくれるものなのか? そして、どういうふうに注意したらより効果的なのか? そうしたみなさんの疑問にお答えしましょう。身をもって実践から学んだ、よそのオトナやよそのこどもを叱るコツと心構えを本書では公開しています。本文でも説明している重要なコツをひとつ、お教えしましょう。怒る叱る注意するのでなく、交渉すると考えること。本当に大切なのは、道徳心でなく、コミュニケーション能力なのです。
 というわけで『怒る!日本文化論』は実用書としてもじゅうぶんお役に立つはずです。怒りたいのに怒れずに悩んでいる人たちに、ぜひ読んでいただければと。

 そしてもう一冊の新刊は、『日本列島プチ改造論』の文庫版です。こちらは角川文庫から、税込み620円で11月22日発売予定とネットの新刊発売情報にありますが……てことは『怒る!日本文化論』とまったく同じ日に発売になるようですね。私もいま知りました。
 『日本列島プチ改造論』は、以前に単行本で出ていたものを文庫化したもので、内容はほとんど同じです。変化といえば、角川の広報誌に以前書いたショートコラムをおまけにつけたのと、表紙イラストがマンガ家の大石まさるさんの絵になったくらいです。
 なお、『プチ改造論』の文庫本ですが、日頃ブログを愛読してくださるみなさんに感謝の意を込めまして、抽選で10名にプレゼントする方向で調整してもらってます。日本の出版社の慣例として、本を出しますと、著者は見本として10冊もらえることになってるのですが、今回その私のぶんをプレゼント用に回すよう、お願いしてあります。
 ゴーサインが出れば、たぶん角川さんのサイトから応募していただくカタチになると思います。応募者の個人情報が私に伝わることはありませんのでご安心を。正式に決まりましたら、またお知らせします。
[ 2012/11/05 23:01 ] おしらせ | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
つっこみ力

読むワイドショー

思考の憑きもの

サラリーマン生態100年史

偽善のトリセツ

歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告