こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
作家の渡辺淳一さんが亡くなったというニュースを聞いたとき、えっ、と思ったのは、べつにファンだからというのではなく、ちょうど書き上げたばかりの原稿に渡辺さんが登場していたからでした。
その原稿「むかしはよかったね?」が掲載されている『新潮45』最新号が発売中です。
今回のテーマは「美人」。戦前の美人贔屓が、いまでは考えられないくらいあからさまだったことをいつものように実例をたっぷりと詰め込んで検証しております。
美醜による差別が戦前戦後の日本社会に厳然として存在したことは、庶民文化史の事実です。いまでもなくはないですよ。でも、むかしと比べたらずいぶん他人に優しい社会になってます。むかしは、こんな立場の人がこんなドイヒーなことを平気で口にしてたのか、と笑っちゃいますよ、ホントに。さんざん私はいってますよね、倫理道徳はいまの人のほうが、むかしより格段に優れているのだと。
そういう人間の下世話さが伝わる記事を、70年代までの読売新聞はけっこう載せていたんです。ちょっとタブロイドっぽいところもあって、そこが庶民には魅力だったのに、80年代にナベツネさんが社を牛耳るようになってから、読売は庶民派路線を捨てて、自民党と大企業にへつらうご立派な新聞になっちゃったんです。
さらに今回の記事では、「美人○○」が1987年以前と88年以降でどのように変化したのか、大宅壮一文庫目録の記事見出し登場回数から検証しています。
いやあ、今回も盛りだくさんの内容でおもしろすぎますね。筒井康隆さんがコラムで、原稿はおもしろすぎるとダメなんだ、みたいなことをいってました。おもしろすぎると世間には受け入れられないのかもしれません。そういえば、お笑いなんかもそういうところありますよね。
今回、記事には載せなかった「美人○○」の順位表を、ブログ読者のみなさんだけに、特別にお見せしましょう。
完全なデータではありません。私が考えつくものだけを検索したので、抜けもあるでしょう。大宅の検索は分類上の都合で、同じ記事がダブってヒットすることもよくあるんです。それをいちいちはじかず、ヒットした総数のみでカウントしています。詳しい解説は掲載誌をお読みください。
なぜこの表を雑誌に載せなかったか? 『新潮45』の原稿料は毎回、文字数で決まるため、表やグラフを入れると原稿料が安くなっちゃうからという、私の懐事情が理由です。