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『会社苦いかしょっぱいか』第3回が更新されました

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 Web春秋で月一連載中の『会社苦いかしょっぱいか』が更新されました。
 第3回は「秘密の秘書ちゃん」。すげえ適当なタイトルですが、原稿を送った際に仮でつけといたタイトルを、あとで変えればいいやと思ってたらすっかり忘れてそのままになってしまいました。
 今回はタイトルどおり、秘書をテーマにしております。昭和26年、愛人を議員秘書にする国会議員が増えて国会内がケバい女だらけになった件やら、男性社長秘書座談会、昭和30年代なかばの女性秘書ブームの様子などなど、今月も盛りだくさんの内容でお届けします。

 会社の文化史がテーマの連載なのですが、初回のプロローグに続いて、前回いきなり社長と社員の愛人・浮気という下世話なネタからはじめてしまいました。で、今回は秘書。
 普通の学者やライターだったら、こんな構成にはしないでしょう。ちゃんと全体の構成を考えてネタの順序を決めるはずですが、私は自分が興味のあるところから掘りはじめてしまうので、構成とか考えるの苦手なんです。だから私の本はいつも、できあがりがごった煮みたいな感じになります。でも、読みにくいかというと、そうでもないでしょ? むしろ読みやすいんじゃないかと思いますが。ごった煮なんていうとイメージ悪いかもしれないけど、ラタトゥイユもカポナータもごった煮みたいなもんだけどうまいでしょ。
 あ、文中の数字が漢数字になってるのが不自然で読みにくいと感じたかたもいるかもしれませんが、連載終了後に本になる予定があるので、最初から縦書き対応の漢数字にしてあります。
 それと訂正をひとつ。第2回の文中に出てくる資料名で『実業の世界』となっているのは、『実業の日本』のまちがいです。
[ 2016/06/09 21:20 ] おしらせ | TB(-) | CM(-)

寛容と鈍感

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 いろんな立場、いろんな考えの人間がいるのだから、意見が対立するのはあたりまえです。そこで、議論をして互いの考えをすり合わせていく作業が必要となるわけですが、相手のいいぶんをろくに聞かず、「ちかごろの人は寛容でなくなった、寛容さが失われた、むかしのようにもっと寛容になるべきだ」と安易に決めつけて納得してしまう風潮があるのは、よろしくないです。
 私はこれまで何度も、当ブログや書籍などで、現代人が不寛容になったと決めつけるのはまちがいであることを論証してきました。最近読者になったかたは、ためしに「寛容」で当ブログを検索してみてください(読んで腹を立てる人もいるでしょう)
 現代人は不寛容という論調がはびこるのは、脳でものごとを考えず、脊髄反射だけでコメントするコメンテーターにとって、不快な意見をバッサリ斬り捨てられて便利だからです。不寛容と決めつける態度こそが不寛容だ、というところまでアタマがまわらないんですね。

 仮に、ちかごろの人が不寛容になったのだとしたら、むかしの人は寛容だったことになりますね。でもその前提を当てはめると、さまざまな矛盾や疑問が生じます。
 それこそ、のどぐろ女子高生(私のツイッターに登場するキャラ)に、「むかしの人が寛容だったなら、なぜ戦争をしたのですか?」と皮肉をいわれたら、なにも反論できません。
 意見が対立する相手を武力で制圧するのは、極めつけに不寛容です。
 むかしの日本の軍隊では、ささいなことで上官が兵隊を殴ってました。むかしの親も、ささいなことでこどもを殴ってました。街を歩けば、肩が触れたとささいなことで殴り合いのケンカ。
 むかしの人がいまより寛容だったとは、とても思えない事例ばかりです。

 寛容=道徳的=善、と単純に考えてる人も多いのですが、寛容はかなりいいかげんな概念なので、いいほうにも悪いほうにも使えてしまいます。
 むかしの人は暴力や死に寛容だったのだよ、という見かたもできてしまうんです。
 いま、保育所に預けたこどもが保育士の不注意で死んだら大変な騒ぎになります。でも戦前は、国家資格もなにもない10代の女の子を低賃金で子守りに雇うのが普通でした。当然、不注意(あるいは故意)による乳幼児の事故死はけっこう起きていて、新聞記事にもなってます。
 でもむかしの人はそれをおおごとにはしなかったわけです。子守りが業務上過失致死に問われることもなかった、っていうか、未成年だからそもそも罪に問えないことは承知の上ですか。
 こういう事例に対して、「むかしの人は寛容だったなあ、現代人は見習うべきだ、こどもが死んでも騒がず、寛容になろう」などとコメンテーターがいったら、批判の嵐に見舞われるでしょう。

 そこで私は、こう考えることにしました。「むかしの人は寛容だったのではない。むかしの人は鈍感だっただけだ」。
 むかしは、自分の痛みや苦しみにも、他人の痛みや苦しみにも、鈍感な人が多かったんです。それがいまは、鈍感な人が減って、敏感・繊細な人が増えました。ただ、それも必ずしもいいことばかりではなく、べつの問題が生じるようになった、と考えたほうが腑に落ちるんです。
[ 2016/06/06 21:27 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
つっこみ力

読むワイドショー

思考の憑きもの

サラリーマン生態100年史

偽善のトリセツ

歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告