こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。こどものころ、「将来なにになりたいですか」と質問されたり、作文を書かされたりするたびに困ってました。私は、なんにもなりたくなかったからです。
たとえば現在、不動産屋で働いてるひとたちは、こどものころから土地建物が大好きで、将来は不動産屋で働きたいです、と作文に書いてたの? たぶん、そんなひとほとんどいませんよね。たまたま仕事を探していたとき、不動産屋の求人があって、たまたま応募したら採用された、って感じじゃないですか。
特殊な資格を必要としない業界なら、だいたいの仕事はそんなもんです。たまたま就職して、その仕事が向いてればプロになれる。向いてなくたって、続けていればいつのまにかプロになってたりする。
こどもに将来なりたい職業なんて聞くことに意味があるんでしょうかね。幼いころから将来の目標を明確に設定し、それに向けて研鑽・努力に励まねばなりませぬ、みたいな悲壮感あふれる指導をする必要はないんじゃないの。
こどものころから始めなければならない職業は、子役とスポーツくらいでしょ。子役はオトナになってから始めるわけにいきません。スポーツは非情な世界です。どれだけ経験と実績を積み重ねた名選手でも、年とると必ず若い才能に負けて引導を渡されます。逆にいうと、10代で芽が出なければプロになるのはまず不可能です。
むかしは音楽も3歳からやらなきゃダメとかいってましたけど、必ずしもそうじゃなさそうです。中学生くらいで楽器をはじめて、プロのミュージシャンになってるひともいますから。
現実には、こどもの頃なりたかったものになれたひとのほうが少数派なんじゃないですか。たいていのひとは、オトナになってから仕事を探し、たまたま就職してますが、べつにそれが不幸な人生ってわけじゃありません。むしろあまりに目標を絞っていると、挫折したときに軌道修正ができなくなるかもしれません。
いま私は肩書きもなく、どこの組織や会社にも所属せず、何者でもなく、なんの保証もなく、たまたまもの書きをやって細々と暮らしてます。こどものころには、将来こうなっているなんてまったく想像もしませんでした。
自分の本が思ったほど売れないのは不満ではあるけれど、高級なものを食べたいとか、高価なものを所有したいって欲求がほとんどないので、いまの状態をさほど不幸だとは思ってません。なにより、こどものころから大嫌いだったイバってるオトナのケツをなめずに生きていけてるのは、ありがたいことだと。ある意味、なんにもなりたくなかったこどものころの夢を叶えたのかもしれません。
[ 2018/05/05 21:13 ]
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