FC2ブログ

反社会学講座ブログ

パオロ・マッツァリーノ公式ブログ
反社会学講座ブログ TOP > 2018年10月

伝統こぼれ話(1)洋楽と伝統

 1979年8月15日未明、金沢市のあるお寺に泥棒が忍び込んだ。本堂のガラスに、水で濡らした美濃紙を貼り、音を立てずに割るという古式ゆかしい伝統的技術を駆使して侵入を試みたものの、最先端の赤外線防犯装置にひっかかり、捕まった。(『週刊朝日』1979年9月14日号より)

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。『歴史の「普通」ってなんですか?』発売記念としまして、「伝統こぼれ話」を何回かお届けしようと思います。
 今回の本では「伝統」をテーマのひとつとして取りあげてます。執筆にあたり、伝統に関する資料を大量に読みましたが、本で取りあげられたのはごく一部でしかありません。使わなかった小ネタのなかには、お蔵入りさせるには惜しいものがたくさんあるので、いくつかご紹介します。
 冒頭にあげた記事は、伝統の技がテクノロジーにあっさり負けたという、なかなか皮肉が効いた記事です。

 1969(昭和44)年9月28日号の『朝日ジャーナル』。「洋楽は〝新しい伝統〟か」という記事見出しに惹かれました。
 80年代に青春を送った世代にとっては、洋楽という響きに懐かしさをおぼえます。当時、いかした音楽といえば欧米のロックやポップスでした。日本の音楽は演歌や歌謡曲といったダサい音楽とみなす風潮が強く、全部ひっくるめて邦楽と呼んでました。
 そういうわけで、69年の記事で、洋楽は新しい伝統かとあれば、きっとビートルズなどの話なのだろうと興味を持って読んでみたんです。
 ところが記事の内容は、まったく予想を裏切るものでした。クラシック音楽のレコードの売上が絶好調で、ベートーヴェン全集、ショパン全集といった高価な個人全集ものも各社から続々発売されている。西洋音楽、洋楽はもはや日本の新たな伝統となろうとしているのだ……。
 いわれてみれば、たしかにクラシック音楽は「洋楽」なんですよね。本来の邦楽ってのは、琴や尺八みたいなのですから。60年代の日本では、洋楽といえばクラシックだったんですね。

 ロックやポップスと伝統についての考察がかなり早い段階で見られるのは、『ニューミュージックマガジン』71年12月号。「ぼくたちにとっての伝統の問題」という、意識高い系の特集が組まれてます。
 そのなかで、当時はっぴいえんどのメンバーだった松本隆さんはこう書いてます。

「日本のロックは、埃のかぶった黴臭い伝統なんか最初からない。要は自分が、これからやることが新しい伝統になるのだ」

 その言葉どおり、松本さんたちは日本語の歌詞によるロックという、新たな道を切り開きました。当時は、日本語ではかっこいいロックは歌えない、絶対ムリだといわれてたんです。
[ 2018/10/27 20:41 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

夏ドラマ評と秋ドラマのおすすめ

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。先日、新刊が発売になりました。『歴史の「普通」ってなんですか?』(ベスト新書)。ブログ左の「パオロの著作」欄の表紙画像をクリックすると、私が書いた内容紹介ページが開きます。アマゾンとか販売サイトへ誘導するリンクじゃないので、ご安心を。
 今回、電子版も書籍版と同時発売となっております。本が売れないと、健康で文化的な最低限度の生活ができませんので、よろしくお願いします。私が大学に勤務して給料もらってるなんてのはフェイクニュースですから。私は怠け者なんで、そんな安定収入があったら本なんて書きません。

 さて、ちょっと時間がたってしまいましたけど、夏ドラマの総括と、秋ドラマの序盤評を。
 夏ドラマは、序盤の評価が最後まで変わりませんでした。変態性とヒューマニズムを合わせ持つ『高嶺の花』、いのちの問題に真摯に向き合う『透明なゆりかご』、地味だけど的確な脚本と演出をほめたい『健康で文化的な最低限度の生活』。この3本がベスト。

 なにより意外だったのは、『ギボムス』の評判がやたらとよかったこと。私は綾瀬はるかさんの大ファンなので、もちろん初回はチェックしましたよ。でも、いかんせん、こんなキャリアウーマンいねえよ、とリアリティなさすぎで興醒めだったので、初回だけでやめてしまいました。
 逆に、私は石原さとみさんに女優としての魅力を感じたことは一度もないです。『高嶺の花』の演技も、期待には応えてたけど、期待を越えてはいないって感じで。でもドラマ自体は評価します。
 このドラマが視聴率でふるわなかったのを石原さんのせいにしてる批評がけっこうありましたけど、それは違いますね。個性的でトガってるドラマのおもしろさを理解できない視聴者が多かったというだけのこと。

 やはり視聴率がいまひとつだった『健康で文化的な最低限度の生活』についても、擁護しておきましょう。
 生活保護制度を悪用するのはごく一部の人間にすぎません。利用者のほとんどは、さまざまな不幸・不運によって貧困に陥ってしまった、ごく普通のひとたちです。そして担当職員もヒーローではない、ごく普通のひとたち。
 そういうメッセージを伝えるため、きれいどころの吉岡里帆さんに、あえて地味で普通の人間を演じさせてます。そして、受給者を演じる毎回のゲスト俳優に実力ある演技派を揃えることで、物語の説得力をあげるという方針をとっていて、成功してました。このドラマの主役は毎回のゲスト俳優であって、吉岡さんは狂言回しなんです。
 いちばん印象に残ったのは、アルコール依存症患者を演じた音尾琢真さん。ホントに味のある役者さんですよね。いつも感心します。

 さて、はじまったばかりの秋ドラマを何本か観ましたが……今期は一択です。その一本とは、『昭和元禄落語心中』。控えめにいって、傑作。ひょっとしたら、ドラマ史上に残る名作になる可能性すらあります。
 観た人はおそらくみなさん、同じことに驚いたんじゃないですか。岡田将生さんって、こんなに芝居できるひとだったんだ! なんかいままで、告知でバラエティ番組に出て先輩俳優にイジられるひと、くらいの印象しかなかったのですが、初回では老齢の落語家を見事に演じてました。高座のシーンにも不自然さがなかったんで、相当、落語の特訓もしたんでしょうね。
 となると、逆に第2話からの青春編はどうなのよ、と心配になったけど、杞憂でした。ついでに、ライバル・親友役の熱い男を演じた山崎育三郎さんも文句なし。
 もともと落語は嫌いじゃないんで、落語マンガのおもしろいのがあると評判を聞きつけて、原作マンガも以前に読んでます。でもなんかノリがあわなくて、1巻だけでやめてしまったんですよねえ。そんな先入観もあって、ドラマも期待せずに観たのですが、すっかりやられちゃいました。毎週楽しみです。
[ 2018/10/21 18:12 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

私と『新潮45』

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。アメリカのトランプは、他人の悪口をいうのを日課にしてるくせに、自分が批判されて議論に負けそうになると「魔女狩りだぁ~」と被害者ぶるのを得意技としています。
 日本では、議論に負けそうな連中が「言論弾圧だぁ~」と泣きごとをいうのが常套手段になってるようです。「沖縄の新聞潰せ」「朝日新聞死ね」などと汚い罵り言葉を吐き出しているのと同じ口から、「新潮45休刊は言論弾圧だ」なんてアカデミックな言葉が突然出てくるんだから驚いちゃいます。ケツの穴からクラシック音楽が聞こえてきたようなもんです。

 いちおう私も以前『新潮45』に連載してましたから、広い意味では関係者のひとりといえます。まったくの部外者よりは有意義な指摘ができるはずなので、この機会に思うところを書かせてもらいます。

 『新潮45』休刊の理由は長年にわたる部数低迷という会社側の説明は、ホンネだと思いますよ。もうずっと、いつやめてもおかしくない状態だったのだから、起こるべくして起こったというだけ。今回の件は西洋のことわざでいうところの、最後の一本のワラだったんです。言論弾圧なんて非難は、的外れもいいところ。

 一方で、新潮を責めるひとたちからは、理由や経緯の検証をせずに休刊したのは無責任だ、みたいな批判も相次いでますが、「説明責任を果たせ」ってのもまた、紋切り型の批判なんですよね。『新潮45』が載せていた杉田水脈さんとその仲間たちの文章は、論にも満たないたわごとです。読むだけでも不愉快なのに、そんなもんの理由や説明をあらためて聞きたいのですか?

 私は2013年から14年にかけて、『新潮45』で連載してました。それを本にまとめたのが『「昔はよかった」病』(新潮新書)です。
 連載終了後、編集部とのつきあいはなくなりましたけど、毎月ずっと『新潮45』は送られてきてたんです。以前はパラパラと拾い読みしてましたが、数年前から『WiLL』の二番煎じみたいな特集ばかりになったことで読む気が失せました。そして2017年の3月号をきっかけに、読まずに捨てるようになりました。
 そのきっかけとなったのが、杉田水脈さんが書いた記事だったんです。どういう人物なのかまったく知らずにたまたま読んで、呆れかえりました。文章・論理・歴史知識、すべてめちゃくちゃで、「論」にすらなってない。
 念入りに下調べをして書いた私の原稿にも疑問点を指摘してくるほど仕事熱心な新潮社の校正者が、杉田さんのデタラメな原稿をスルーするわけがありません。おそらくびっしり赤を入れたはずですが、編集部が無視して掲載したのでしょう。
 根拠と論理があるものを「言論」といいます。根拠と論理があるからこそ、「議論」ができるんです。根拠も論理もない個人の感情論や偏見、悪口は、議論の対象になりません。それこそまさに、なんの生産性もない偏見に反論して論破したところで、こちらが得るものはなにもないのだから、むなしくなるだけ。
 本来ならボツにすべき低レベルな杉田さんの駄文を載せた時点で、私は一足先に『新潮45』に見切りをつけてました。

 以前、『WiLL』がIS(イスラム国)のテロをどう考えてるのか興味を持って、大宅壮一文庫で検索してみたことがあります。ご存じないかたのために説明すると、大宅壮一文庫は、日本の主要な雑誌を収集し、記事見出しをデータベース化し続けている団体です。私も資料調査でよく利用するのですが、そのときはじめて、大宅は『WiLL』を検索の対象に含めてないことに気づきました。『Sapio』『Voice』『正論』といった保守系雑誌は対象にしてるので、大宅が保守の言論を弾圧してるわけじゃありません。たぶん『WiLL』の内容は言論に値しないと判断したのでしょうし、私もその判断は妥当だと思います。『新潮45』は、そのレベルにどんどん近づいてたんです。
 だから今回、新潮社が『新潮45』の休刊を決めたことには、なんの驚きもありません。言論以下の偏見、たわごとを載せるところまでレベルが低下した雑誌に引導を渡すのは、出版社としては当然の対応です。

 まともな議論の対象にできない言論以下のたわごとを何度も載せたという点において、『新潮45』は批判されて当然ですし、同じ理由で編集長は責任を問われるでしょう。
 ただ、今回の一連の報道で、ビックリしたことがありました。『新潮45』をゴリゴリ保守路線に変えた責任者として、多くの論者からやり玉にあげられた編集長ですが、じつは私に連載の執筆依頼をしてきた編集者だったんです。編集部とのつきあいが途絶えてたので、彼が編集長になってたことを私は知りませんでした。
 え、あのひとが? と正直、意外でした。というのは、連載当時、彼がゴリゴリの保守だなんて印象は受けなかったからです。もちろん、直接会って話したことは2回くらいしかないので、人柄や政治信条まではわかりませんよ。でもゴリゴリ保守の編集者だったら、私なんかに原稿を依頼してこないんじゃないの?
 しかも私は毎回、過去の日本人のダメッぷりを嗤い、保守が美化した歴史観を覆す事実をつきつけてたけど、連載中、原稿内容の修正を迫られたおぼえはありません。
 なので、編集長がゴリゴリの保守だとする批判が正しいのか、私には判断がつきません。もともとゴリゴリ保守だったのかもしれないし、最近そうなったのかもしれない。あるいは部数を上げるため、ビジネス保守に徹していたのかもしれません。実際会ったことのある私にも本当のところはわからないのだから、部外者が決めつけで責めるのは乱暴でしょう。

 さらにいえば、新潮社はゴリゴリの保守だ、みたいに、メディアに右か左かレッテル貼って決めつけて、さもわかったようなつもりになってるひとが多いことにも幻滅してます。レッテル貼りは便利ですよ。思考力や読解力がないひとでも手軽に相手を断罪できるんだから。
 もちろん、メディアごとにおおまかな政治的方向性みたいのがあることは否定しません。でもそれはトップが決めたことであり、従う社員もいるでしょうけど、意見を異にする社員もいて当然です。
 実際、今回の件でも新潮社の内部から批判の声があがったことで、新潮社の社員が全員ゴリゴリ保守ではないとわかったでしょ。
 朝日の社員が全員左翼なんてこともありえないし、産経や読売にもリベラルな社員は必ずいるはずです。
 書籍の出版社って意外と節操がないんで、同じ出版社が保守っぽい本もリベラルっぽい本も出してるのが普通ですよ。むしろ、どちらかにガチガチに偏ってる出版社のほうが特殊なんじゃないですか。世間のひとたちがメディアに貼ってるレッテルは、じつはあまりあてにならないと思ったほうがいいです。
[ 2018/10/01 21:42 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
偽善のトリセツ

歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告