こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。新刊『歴史の「普通」ってなんですか?』はおかげさまで高評価をいただけてまして、レビューもじょじょに増えてるようです。
私の本のレビューって、書きにくくないですか? じつは小難しい本のほうがレビューを書きやすいんです。小難しく書かれてる本を読み解いて、そのおもしろさをいかに伝えるかというところに、レビュアーの腕の見せどころがあるわけで。
私の本は難しくないです。読めばわかるおもしろさなんで、それ以上、読み解いたり噛み砕いたりする必要がありません。わかりやすいからこそ、自分が気に食わない事実を真正面から突きつけられるたひとは、反論できずに怒っちゃったりするんですけどね。
それでも誤読するひとがいないわけじゃないんで、まっとうなレビューをしていただけるのは、ありがたいことです。
さて、『歴史の「普通」ってなんですか?』発売記念、「伝統こぼれ話」第3回ですが、今回紹介するのは、岡本太郎の評論「伝統序説」
(『中央公論』1955年12月号)。評論というか、わかりやすくておもしろいコラムの名品といってもいいでしょう。
芸術家としての岡本太郎は有名ですが、芸術家目線で世相を鋭く切り取るコラムの名手だったことは、忘れられがち。
タブーをものともせず権威や常識に立ち向かう姿勢の小気味よさ。この「伝統序説」でも、奈良や飛鳥の伝統仏教美術をありがたがる亀井勝一郎や竹山道雄といった御大の評論に対し、美文なだけで中身がないとケンカを売ってます。
竹山道雄が法隆寺の中門を「人を通すようでもあり、通さぬようでもあり」などともったいぶって描写してるくだりも岡本太郎にかかれば、門っていうのはもともとそういうものだと一刀両断。
たとえば借金をお願いしに誰かの家に行くときは、その家の門が招くがごとく、しりぞけるがごときに思えたりする。そんなのは法隆寺のありがたい門じゃなくても同じことだ。こんなバカバカしい説明をしなきゃならないのか――。
岡本が龍安寺の有名な石庭を眺めていたときのエピソード。あとからどやどやと入ってきた観光客たちが「イシダ、イシダ」「イシだけだ」「
(拝観料が)タカイ、タカイ」と文句をいいました。評論家の先生なら、無教養な無礼者、みたいに一喝するのでしょうけど、岡本は、石はただの石であるという即物的な再発見が権威や伝統的価値を叩き割ってくれた、と大笑い。
戦争と敗北によって、明らかな断絶が行われ、いい気な伝統主義にピシリと終止符がうたれたとしたら、一時的な空白、教養の低下なんぞ、お安い御用です。
そう断言した上で、法隆寺の古い壁画が火災で焼失したなんてことを嘆くより、自分が法隆寺になれ、と岡本はハッパを掛けます。失われた伝統を悔いるより、もっとすぐれたものを作れば、それがいつしか伝統になるのだ、昔の夢によりかかっていても、おのれを貧困化することにしかならないぞ、と。
現存してる仏像などの多くは、いまでこそ年月を経て渋い色味になってるけど、作られた当時は金箔が貼られてピカピカだったり、赤や青の極彩色がほどこされてたものもあったといわれてます。伝統美術とされるものも、作られた当時はモダンアートだったのだという指摘には納得です。「伝統」と呼ばれるものは、はじめたときはみんな「革新」だったんですよね。伝統が革新のなれの果てだとしたら、なんとも皮肉な真理です。
プロの読み手や書き手は以前から岡本太郎のおもしろさに気づいてるので、岡本の著作集は多くの出版社から出てます。このコラムが収録されてる本も複数あるので、お近くの図書館で探せば簡単に読めると思います。
まあ、岡本太郎にいわせれば、死んだ者の言葉なんぞをありがたがってないで、新たなものを作り出せ、ってことになるのでしょうけども。