こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。ヘアケア製品のブランド・パンテーンが、新学年がはじまる時期に合わせて「この髪どうしてダメですか」というキャンペーンをはじめたとのことで。
https://pantene.jp/ja-jp/brandexperience/school-hair 髪の色や髪型を校則で決めることは本当に必要なのか。中高生や教師やその他オトナたちに問いかけるもので、私のところにも協力の依頼が来ました。あ、べつに金品などは一切もらってないですよ。
なんで私に話が来たかというと、昨年発売した『歴史の「普通」ってなんですか?』という著書で、茶髪・長髪・パーマが日本で迫害を受けてきた歴史を取りあげたからです。
ぶっちゃけ、この本読んでください、学校の図書室に購入依頼を出してください、で終わらせたいところですが、今回は中高生のみなさんが不毛な議論で潰されないためにも、本の内容から抜粋して講義をしておきます。
むかしの日本人は地味で保守的だったと思ってるなら、それは誤った歴史認識です。江戸時代、江戸の庶民のあいだでは、男女ともに髪の結いかたにむちゃくちゃたくさんの流行がありました。当時のファッションリーダーは歌舞伎役者と花魁
(おいらん)。彼らが新しい髪型を披露すると、江戸の若者はこぞって髪型をマネしたものです。
みなさんの先祖の日本人は、髪のおしゃれが大好きな民族だったのです。もしも江戸時代にヘアカラー剤があったら、いろんな色に髪を染めるひとがいて、マンガの『銀魂』みたいな世界になっていたかもしれません。
明治時代には画家・文人の淡島寒月が、日本ではじめて茶髪にチャレンジしています。灰汁
(あく)で脱色したといってますが、だれもマネしなかったところをみると、うまくいかなかったようです。
その後、日本では長いこと髪染めはあまり行われませんでした。パーマやマニキュアは戦前からけっこう流行ってたけど、髪染めは戦後になってもマイナーなままでした。
その理由は、日本人の髪質にあう品質の良いヘアカラー剤がなかったからです。手間がかかるわりにきれいに染まらなかったので、染めたくてもあきらめてたひとが多かった。
でも、ヘアカラーメーカーの開発者たちはめげずに研究を続けました。その結果、1980年代後半にはヘアカラーの品質はかなりのレベルに達しました。そこで、メーカーや美容室が、サッカー選手や芸能人をモデルに起用して茶髪普及キャンペーンに力を入れたところ、90年代前半にようやく茶髪ブームが到来したのです。
なんか『下町ロケット』や『陸王』のような感動的な展開です。社長、ついにやりましたよ! みたいな。
しかし、そういうドラマには必ず、主人公たちのジャマをするキャラが登場します。若者の間で茶髪がブームになると、現実の世界にも、それを敵視するおじさんが登場しました。1996年ごろが茶髪批判のピークで、週刊誌などにはアンチ茶髪記事が頻繁に載りました。とりわけ、中高生の茶髪に対してはおじさんたちの批判が集中します。
でも、なぜ茶髪や髪染めがいけないのかという理由は不可解なものばかり。生まれつきのままにしろというのなら、生まれつき茶髪の子に黒染めを強制するのもいけないはずです。茶髪にすると不良になる? 茶髪にすると勉強せずにバカになる? カネがかかるから万引きをするようになる? 逆に髪を染めない子がダサいといじめられる?
どれも根拠がありません。歴史的にも統計的にも間違ってます。茶髪ブームが起きたのは90年代でした。じゃあそれ以前は不良はいなかったのですか? とんでもない。むしろ以前のほうが多かったし、むかしの不良はみんな黒髪でしたけどね。勉強しないヤツも、万引きするヤツも、茶髪が流行る前からたくさんいました。髪の色が目立つほうが、店員の注意を惹きやすいから、犯罪はやりにくくなるじゃないですか。陰湿なイジメは戦前から普通にありました。つまり、茶髪にすることで非行や犯罪が増えたというデータはないのです。
勉強をサボる生徒や万引き、イジメをする生徒は、キビシく指導するべきです。でも、生徒が髪の色を変えたことで、世間のおじさんや先生たちは、なにか迷惑を被ったのですか? うるさいとか臭いとか目が痛いとかカネを盗まれたとか、具体的な被害を受けたのなら、禁止する理由になりますが、なんとなく気に入らないってだけでは理由になりません。
私は中高生の髪の色や髪型なんて、好きなようにさせればいいと考えてます。それは、規制する正当な理由がないからです。
自由に理由は要りません。自由を規制する側に、その理由を説明する義務が生じるのです。この基本理念が無視されたとき、法治国家は崩壊します。支配者によって無制限に自由が奪われる社会になってしまいます。
もちろん、すべてが自由ってわけにはいきません。社会には法律やルールで自由を規制しなければならないことがいろいろあります。ただし、他人の自由を奪うからには、理由がなければいけません。理由のない理不尽・不条理なルールは存在してはならないのです。
だから生徒のみなさんには、自由を規制するルールがなぜ存在するのか、その理由を問う権利があります。学校側には、説明する義務があります。規則だから、昔からそうだから、なんてのは説明になってません。
でも、それは裏を返せば、生徒のみなさんも、自由を規制する理由をきちんと説明できるオトナになることが求められるわけです。そのために必要な、論理的・科学的思考力や、調査力、文章力、コミュニケーション力などをきちんと身につけて、賢いオトナになってください。