こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。ネット上の迷探偵たちの華麗なる推理によると、私の正体はイジメに詳しい社会学者なのだそうです。だとしたら、やっぱり小山田圭吾さんのイジメ引責辞任の件について、私見を述べることを期待されてるんでしょうか。わかりました、述べましょう。でも、私の意見が気に食わなかったとしても、その社会学者に文句つけるのはやめてくださいね。
すでに議論百出なので、いまさら後出しで私が何をいっても、さほど目新しい意見にはならないと思います。ネットでさまざまな人の意見を読んでみたところ、私の考えに一番近いのはカズレーザーさんでした。
カズレーザーさんの発言を簡単にまとめると、小山田さんは自分が関与したイジメについて過去に謝罪や反省をした様子がまったくない。だから蒸し返されて批判されても自業自得ではないか。
私は小山田さんとほぼ同年代です。彼の若き日の音楽活動もリアルタイムで知ってますし、過去のイジメを偽悪的に告白した記事があることもずいぶん前に聞きました。それを知ったときから、私は小山田さんのことをクソ人間だなとずっと軽蔑してました。
それから現在まで、小山田さんがイジメの件で謝罪や反省をしたという話を耳にしたことはありませんので、カズレーザーさんの認識はたぶん正しい。一応確認のために過去の雑誌記事検索をざっとしてみましたけど、謝罪・反省をした様子はなさそうです。
だから、長年謝罪も反省もしなかったのに、先日ツイッターであっさり謝罪文を公表したのにはちょっと面食らいました。それを読むと、やはりイジメた本人に対して謝罪はしていないことをご自分で認めてます。
ちょっと気になるんですが、あの謝罪文は本当に小山田さんの言葉なんですかね。なんか気持ちがこもってないわりに、なるべく事を荒立てぬよう注意深く言葉を選んでる印象があって、いかにも弁護士か誰かが代筆したような文章だな、っていう気もしなくもないです。まあ、少なくとも添削はしたでしょう。
小山田さんを擁護する人たちは論外として、「イジメはたしかに悪いことだけど過去の罪を蒸し返して責めるのもどうなのよ」みたいに中立的な立場を取る人も、間違ってます。過去の罪を責めるべきではないというのは、加害者が謝罪や贖罪を済ませている場合と、冤罪が疑われる場合に限られます。小山田さんの場合、自ら武勇伝のごとく罪を認めてるのだから冤罪ではありません。そして、刑に服してもないし、被害者に謝罪もしてない、反省すらしてなかった。ですから、蒸し返しではありません。いまだに償われていない罪を償えと批判されるのは仕方がないことです。
だからといって、リンチは許されませんよ。本当は法で解決されるべきなんです。小山田さんが刑事罰を受けていれば、何十年後にこれほどこじれることにはならなかったはずです。でも当時未成年ですから、なかなかそれも難しかったでしょう。次善の策としては、民事裁判で金銭による賠償が命じられることです。
そのどちらもなかなかできない、法の正義が届かないのが、イジメの最大の問題点。イジメは暴行・傷害・恐喝・脅迫など、れっきとした犯罪です。なのに被害者が死なないかぎりはほとんど表ざたになりません。
加害者はなんのお咎めもなく成長し、社会人になり、親になる。イジメを悔いて反省してる人もいるでしょうし、まったく反省してない人もいる。そのどちらも真人間のようなツラをして生きているから区別はつきません。
誤解のないよう、つけ加えておきますが、私は小山田さんに音楽活動を自粛しろなんていうつもりはありません。クソ人間だから音楽活動をしてはいけない、ってことはないです。芸術作品の価値と芸術家の人間性は、別個に評価すべきものです。
ただ、今回の場合はパラリンピックもあることを考慮すれば、わかった時点で完全にアウト。擁護する余地はなかったはずです。私はそもそもオリンピックにまったく関心がないので、小山田さんが起用されてたことすら知りませんでした。でもスタッフのなかには過去のイジメについて知ってる人が絶対いたはずですけどね。知ってて起用したとなると、それはそれで問題です。
起用する際に過去の行状を調べ尽くすのはムリだといいますが、だからこそ、あとでイベントの理念に相応しくない人間だと発覚したら即、契約解除しますよ、クビですよ、という契約に最初からしておけばよかったのです。
[ 2021/07/20 23:21 ]
未分類 |
TB(-) |
CM(-)