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冬ドラマのベスト3

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。この冬に最後まで観た連ドラは6作品。私としてはかなり多いほうです。そのなかからベストの3作を選びました。

 世評もよろしかった『ミステリと言う勿れ』。私もこれが文句なしのベストだと思います。最初から最後まで、つなぎのようなエピソードまで全話おもしろい。原作がある強みをフルに活かしてます。
 最終話の新幹線内でのエピソードなんて、感動的ないい話で終わりそうにみせかけておいて、感情や常識に流されず知性をはたらかせる整くんが暴いた真相に寒気がしたでしょ。このひねりがミステリの魅力なんですよ。
 この作品はだいたいどのエピソードも、犯人の動機をひねって異様にしてあります。犯人は常識のボタンをどこかで掛け違えてしまい、おぞましくゆがんだ考えに取り憑かれた末に人を殺す。そしてその殺人行為を自分のなかで正当化してしまうのです。
 バスジャック事件の真犯人が意外な動機を語ったときの、風呂光刑事が犯人を見る表情ね。驚きと嫌悪感が入り混じった、なんともいえないあの表情。伊藤沙莉さんの一瞬の演技が見事でした。

 ネットでの圧倒的な賛辞のなかで、目立った批判的意見は、風呂光のキャラに関してでした。原作マンガでは刑事たちはあまりキャラづけがされてなくて、印象も薄いんです。そこでドラマでは、何人かのキャラの役割を風呂光にまとめて、オリジナルキャラにしてありました。そこが一部の原作ファンの不興を買ったようですが、小説やマンガを実写化する際に、キャラを整理して減らすのはよくある手法ですし、今回の風呂光に関しては、私は違和感なく受け入れられました。たぶん原作者の了解も得た上での改変だったのではないでしょうか。
 風呂光が整くんに淡い恋心を抱くという、原作にはない恋愛要素を入れたことへの批判が多かったけど、これにしても、もともと恋愛感情の薄い整くんのキャラからいって、風呂光にともだち以上の感情を抱くことはありえないし、ドラマでも実際そういう展開だったんだから、原作の世界観は崩されてないと思いますよ。

 私が選んだ今期の第2位はダークホースの『おいハンサム!!』でした。最初ノーマークで観てなかったんですけど、おもしろいと勧める人がいたので、第3話から観始めました。幸運なことに、どうやら第3話が神回だったようで、観てた人はみなさん、この回を激賞してますね。
 吉田鋼太郎さん演じる父親と妻と3人の娘が、家族や職場の同僚と繰り広げるコメディなんですけど、脇役のキャラまで全員ひと癖ある人たちなのがいいんです。
 30秒くらいのごく短いエピソード、演劇やコントの用語ではスケッチなんていったりしますが、これを積み重ねていって、ひとつのストーリーを作る。なかなか日本では観られないタイプの作品です。
 ネタ自体は原作マンガのおもしろエピソードを拾ってきてるようだから考えなくていいとしても、脚本全体の構成を組み立てるのは大変です。短いシーンが多いと、撮影も手間がかかるはずだし。

 で、その構成がもっともハマったのが、第3話。主婦はいつも冷蔵庫の食材をムダなく使い切ることばかり考えてる、なんて話には、週に2、3日しか自炊しない私も共感しました。冷蔵庫内の食材をつねに意識してないと、結局傷んで捨てるハメになったり、まだあるのに同じものを買ってしまったりして、なんかそれスゴく悔しいんですよ。
 そこから父親は職場で定年退職した同僚がやり残した仕事を片付けたり、娘たちもそれぞれの職場や家庭で細かすぎる(けど笑える)スケッチを重ねていき、ラストは父親が家族の前で、何事も使い切ろう、やり切ろうとすることだけにとらわれるな、やり残してこその人生だ! とマジメに力説するのがおかしいのだけど、なぜか不思議と感動しちゃうんです。

 第3位は『恋せぬふたり』。NHKのドラマは、テーマで攻めてるものが多いです。ドラマを通じて、社会や人間のさまざまな問題を伝えようとしてる感じで、まあ、公共放送の使命をきちんと果たしていると評価すべきでしょう。
 テーマ性の強い作品は好き嫌いがわかれるので、民放だと敬遠されそう。もしかして、民放ではじかれた企画がNHKに持ち込まれてたりするのかな?

 このドラマは、恋愛感情や性的欲求がほとんどない男女が共同生活をする話なんですが、私は当初カン違いしてました。そういう2人が同居することで恋愛感情が芽生えるんじゃないか、なんて予想してたのですが、芽生えないんです。ホントに恋愛感情がない人たちだから。それはおそらく生まれつきで、病気だとか異常だとかいうわけでもありません。だから矯正する必要もない。とはいうものの、家族でもなかなかそれを理解できないし、受け入れるのも難しい。ひょっとしたら、『ミステリと言う勿れ』の整くんもこれかもしれません。
 女性に復縁を迫ってくるストーカーっぽい元カレが、ある事情からふたりと同居生活をすることになり、彼らの理解者になっていくという、中盤の突飛な展開も無理なくまとめた脚本が秀逸。
[ 2022/03/30 17:52 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

戦争の理不尽にあらがってみる

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。今月頭に、確定申告書を提出しに自転車で税務署に行ったついでに調子のって久々に少し遠出したら、翌日から足腰すべてが筋肉痛。歩くたびに「痛たた……」とうめく情けない状態で、日頃の運動不足を反省。そればかりか筋肉痛が治るのにも1週間近くかかったことで、老化が進んでいることも思い知らされ、へこみました。

 とまあ、そんなちっぽけな苦労話がふっとぶくらいに大変な事態が、世界ではいまも進行中です。
 戦争ほど理不尽なものはありません。戦争は、やりたいヤツが始めるのに、やりたくない者まで巻き込まれます。そして往々にして、やりたくない者が先に死んでいき、戦争を始めたヤツはヘリクツでおのれを正当化しつつ、のうのうと生き続けるのです。
 戦争をやりたいヤツだけでやるのなら、どうぞご勝手にといえるけど、そうじゃないから、理不尽に対しては異議申立てをしなければいけません。黙ってガマンしていても、見て見ぬフリをしても、理不尽は決してなくなりませんし、黙っていると、それはあなたが理不尽を容認したものとみなされます。
 なので、戦争に反対する声をあげるのは、理不尽を容認しないぞという意思表示として、論理的にも倫理的にも意味のある行為です。決して無意味ではありません。

 戦争反対のデモをやったり反戦の歌を歌ったりしても戦争を止められるわけないだろ、とシニカルに嗤っているあなたには、スローターダイクさんの『シニカル理性批判』をおすすめします。近所の図書館にあったらぜひ読んでみてください。シニシズムがファシズムを助長する仕組みを論じた名著です。
 たしかにデモで戦争は止められないだろうけど、それをいうならシニシズムだって、世界を1ミリも変えられない無力さでは一緒なんですけどね。自分の無力さに気づかず、他人を嗤っているとしたら、その人はシニカルなのではなく、単純にアタマが悪いだけ。

 私は永田町の国会図書館によく行きます。国会議事堂が近いこともあって、周辺でデモ隊があげるシュプレヒコールがときおり聞こえてきますし、右翼系政治団体がメッセージ性の強いクルマを転がしてるのも目にします。
 数年前、「日本はトランプとプーチンを見ならえ」みたいなメッセージを掲げたクルマを見かけてビックリしました。えっ、彼らにとってプーチンは敵ではないのか?! 暴力や戦争を容認・賞賛する人たちは、同類に共感してしまうようなのです。
 戦争や暴力を容認する人はどこの国にもいつの時代にも少なからずいます。それは残念ながら事実です。戦争がなくならないのは、戦争と暴力を容認する人が一定数いるからです。
 だからこそ、戦争や暴力に反対なら、その態度を明確にしないといけないのです。あいまいにしていると、結果的に暴力を容認する方向へ引きずられてしまいます。

 私の考えは明確です。私はすべての暴力を否定します。なので戦争にも死刑にも反対です。
 こういうことをいいますと、すべての暴力を否定するなんてムリだ矛盾だ、といわれるのですが、じゃあ一部の暴力の必要性を認めれば論理的整合性がとれるのですか?
 そうはなりません。良い暴力と悪い暴力の線引きをすればそこに必ず矛盾が生じます。警察は必要な暴力なのか、なんて単純な問いですら、すっぱりと割り切れません。
 どちらに転んでも矛盾は避けられないのなら、私はすべての暴力を否定するほうを選びます。なにより、自分が暴力を振るいたくないからです。暴力で他人を押さえつけて、あとからその暴力を正当化するヘリクツをひねり出すようなクズにはなりたくない。私はトランプにもプーチンにもあこがれません。

 今回、確信を持てたことがあります。自分で自分を笑えるのって、とても大事なことなのだと。
 『思考の憑きもの』でも論じたのですが、「自虐」は悪いことではありません。自虐史観というヘンテコな造語が広まったことで、自虐をいけないものとカン違いする人が増えてしまいました。でも本来、自虐といわれてる行為のほとんどは、自分を客観視してダメなところを笑える、健全な自己愛の表明なんです。
 もしも本当に自分自身に絶望し、自分を全否定してしまったら、その人は自虐でなく自殺します。自虐を口にできる人は、ダメな自分が好きなんです。自分のダメさ加減や間違い、失敗を認めて客観的に自分を見ることで、精神のバランスをとれているのです。むしろ自虐を絶対認めない人こそ、自己肯定感とプライドでパンパンに膨れたモンスター。
 プーチンは、おそらく自分のダメなところも間違いも認めようとしないだろうし、自虐的なジョークもいわないと思います。そもそもプーチンは「笑い」というものをまったく解さない人なんじゃないかって気もします。
 プーチンやラブロフ外相の一連のコメントは、ことごとくウソばかりで呆れかえります。
「ウクライナが大量虐殺をしていたのを止めたのだ」
 私は毎日、海外ニュースに目を通してますが、そんな話は初耳です。そんなおそるべき事実があったなら、西側諸国のメディアが放っておくはずがないのに。
 原発を攻撃した理由は、ウクライナが原発でダーティーな兵器を開発していたのを阻止するためだったとか、なんの根拠もないこどもじみたウソを並べたかと思えば、あげくのはてに、
「ロシアはウクライナを攻撃していない」
 って、じゃ、いま攻撃してるのは誰なんだよ!
 よくそんなウソが、次から次へとすらすら出てくるもんだと感心します。まるでコントです。少しでも自分を客観的に見られる人間なら、おかしくて吹き出してしまうと思いますが、それを真顔でいえてしまうのが恐ろしい。自分を絶対の正義だと信じてる者だけが為せる狂気です。
 プーチンの一連の言動を見れば、戦争の大義なんてものが、ウソで固めたロマンにすぎないとわかります。プーチンが語る「真実」も、事実をねじ曲げて解釈したロマンです。
 戦争がロマンたり得るのは、フィクションのなかだけです。現実の戦争は、演者も観客も本当に死んでしまう、とことん悪趣味で笑えないコントです。
[ 2022/03/15 20:18 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
つっこみ力

読むワイドショー

思考の憑きもの

サラリーマン生態100年史

偽善のトリセツ

歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告