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エスカレーター片側空けの歴史を踏まえた提案

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。新刊の『読むワイドショー』はお読みいただけたでしょうか。ネットで検索しても出てこない貴重な情報が山盛り、てんこ盛りで収録されたお得な一冊となってますので、ひとつよろしくお願いします。

 さて、今日は全然べつのお話を。じつはしばらく前から、エスカレーターの片側空けの是非がかなり気になっていたので、調べてみました。
 近年、自治体や鉄道会社はエスカレーターを歩かず、立ち止まったまま乗ってほしいというキャンペーンを張るようになりました。すると思ったとおり、急ぐ人のために空けておくべきだ、立ち止まるのを強制するな、と反発する声がほうぼうから上がってます。
 でも改めて考えてみると、急ぐ人ってなんでそんなにエラそうにしてるんだろう。急ぐ人の権利を守るために多くの人が犠牲になってるいまの状況は、理不尽かつ不合理です。

 東京だと左側に立って右側を空けるルールが定着してます。しかしカラダが不自由で右側のベルトにつかまらないとうまく立てないって人もいるんです。それはかなり切実な問題です。そういう人たちが右側に立って乗る権利よりも、急ぐ人の権利が優先されるというのは、どういう価値観や倫理観、人間観にもとづいているのか、ヘリクツや詭弁抜きで納得のいく説明があるなら聞きたいですね。

 カラダが不自由でなくてもよく遭遇するのが、エスカレーターで歩きたくない人が左側に行列を作っているのに右側には誰も乗ってないシュールな光景。
 これ、あまりにも不自然だし非効率です。並んでる人が右側にも乗ってしまえば、全員が早く目的階に到達できます。社会全体の効率化が図れてみんながハッピー。
 なのに、いつやって来るのかわからない仮想VIP「急ぐ人」のためにつねに右側を空けておくことで、多くの人が不利益を被っているわけです。なんというバカバカしさ。
 そうとわかっていても、みなさんなぜ右に立とうとしないのか。誰も乗ってない右側にあなたが立ったときにかぎって、うしろから「急ぐ人」がやってきて、
「おい、突っ立ってんじゃねえよ、右側は歩くんだよ、バカ」
「うっせー、おまえが死ね」
 みたいな殺伐としたやりとりをしたくないからですよね。

 過去の文献を調べたところ、東京でエスカレーターの片側空けが定着したのは90年代後半だったと見ていいようです。参考までに70年代のエスカレーターの写真を探したら、左右バラバラに乗っているものばかりでした。
 この手の身近な庶民文化に関するテーマだと、読売新聞の投書欄と雑誌記事が頼りになることが多いです。とはいえまだ検索結果をざっくり見ただけなので、見逃したものがあるかもしれないと、おことわりしておきます。

 急ぐ人のためにエスカレーターの片側を空けたらどうかと提案する投書が読売新聞に最初に載ったのは、78年3月。
 数日後、賛否両方の反応が掲載されます。否のほうは、2人ずつ並ぶのは1人でも余計に運ぶためだ。急ぐのなら階段を使えばいい。
 はい、ここで早くも正解が出ちゃってます。じつは近年の検証でも、歩かずに2列で乗ったほうが全体の効率が上がることが示されてます。
(一例として https://www3.nhk.or.jp/news/special/lifechat/post_89.html
 まあ、検証を経なくても、ちょっと論理的に考えればそうなるだろうなとわかるはず。2000年3月の『週刊現代』のコラムでは、外科医の平岩正樹さんが思考実験だけで同じ結論を引き出してます。

 さて78年、初の片側空け提案に賛成の投書はというと、ロンドンでは片側空けのルールが徹底されている。日本もマネすべきだとのご意見。
 出ました、ロンドンではのかみ。片側空けに賛成する人たちって、なにかにつけて「ロンドンでは」というんですよ。
 このときは100通ほどの反響が投書欄に届いたそうですが、なんでそんなに急ぐ必要があるのか、と片側空けに否定的な意見がほとんどだったとのこと。

 80年代には投書は見あたらないのですが、雑誌のエッセイやコラムなどでは片側空けを推奨する提案が増えてます。90年代前半になると賛成派が過激化。片側を空けずに立ってるヤツにイライラする、止まってるヤツらは非常識でムカツく、ロンドンでは空けてるぞ、などと立ち止まってる人たちに対してかなり攻撃的な論調のコラムが目立つようになりました。

 あんまりロンドンロンドンいう人が多いので、92年7月に、雑誌『自由時間』が世界各地のエスカレーター利用状況を現地在住の人などに調べてもらってます。すると、片側空けを厳格に守っていたのはロンドンとモスクワだけでした。パリ・バルセロナ・ニューヨーク・ベルリンなどは左右バラバラに乗ってるんです。世界の主要都市でも多くは片側空けをしていなかったという意外な事実が判明しました。

 95年6月の『暮しの手帖』は東西の鉄道会社各社にエスカレーターの乗りかたについて問いあわせてますが、客の自由、じっと立って乗ってほしい、片側を空けてほしい、と対応はまちまちです。関西のほうが推奨する会社が多いけど強制はしてません。
 わけわからんのが阪急のアナウンス。「エスカレーターを走って上るのは大変危険ですのでおやめください。お急ぎの方のために左を空けてください」。やめて! でも空けて! どっち?

 97年3月には『週刊文春』で堀井憲一郎さんが東京・大阪の片側空け状況を調査しています。このとき東京では片側空けになってる率が75.5%に達してました。ところが大阪ではたったの34%です。浸透したのは東京のほうが早かったのか。
 なんか土地柄が出てる感じしますね。東京人って無言の同調圧力に弱いんです。もめごとを避けるためにみんなと合わせようとする。大阪は他人は他人、自分は自分みたいなタイプの人が多い……ような気がするなあ。知らんけど。

 読売の投書に戻りますと96年9月、義足なので右のベルトにつかまらないとエスカレーターを利用できないと訴える投書が載ります。右側を空ける東京の常識は健常者だけのための常識だ、とご立腹。
 2000年、2001年になると、幼いこどもと並んで乗っていたら、後ろから来た人に突き飛ばされて、左に寄れよ! と怒鳴られた。後ろから来た人がこどもに荷物をぶつけて追い越していったなどの恐怖体験がいくつも掲載されます。手足が不自由な人からの片側空け反対意見も増えていきます。片側空けを疑問視する人たちがついに声を上げ始めました。
 そうした世間の声を受けて、04年に名古屋市営地下鉄が、エスカレーターで歩かないよう注意書きを貼り出します。すると、片側空け強硬派の市会議員が市議会で噛みつきます。市営地下鉄側が、危険だからやめてほしいとの利用者の声を受けての対応だと説明すると、議員は片側空けに賛成の市民のほうが多いと反論、両者は真っ向から対立します。
 ホントに賛成派が多かったのでしょうか。2005年に読売の生活面で行われたアンケートでは、片側歩行をやめるべきとする意見が75%を占めてます。90年代後半から常識とされてきた片側空けでしたが、10年くらいやってみて、みなさんじょじょに非効率と危険性に気づいてきたようです。
 09年10月に読売新聞が全国31社の鉄道会社に問い合わせたところ、27社がエスカレーターは歩かないよう呼びかけていると回答しています。95年『暮しの手帖』の問い合わせでは対応がまちまちだったのに、09年には片側空けを推奨しない流れに完全に変わりました。
 しかし、両側乗りはなかなか定着しません。一度根づいてしまった習慣や常識は、それが間違いだとわかっても、変える勇気が持てずに続けてしまうのが人間です。
 希望がないわけじゃありません。2021年になって、埼玉県議会でエスカレーターを歩かないように勧める条例が可決されました。この条例を提出したのは自民党県議団です。常識を変えることに消極的な保守派も片側空けに反対するようになったのは、かなりの意識変化が起こりつつある兆しです。

 私からの提案ですが、まずは鉄道駅のエスカレーターで、ラッシュ時以外の時間帯で片側空けと歩行を禁止してみてはいかがでしょう。
 ラッシュ時は電車に乗り遅れたくないという人がまだまだ多いだろうから、とりあえずそれ以外の時間帯で禁止して様子を見ます。それでももちろん最初はイラつく人がいるでしょう。でも、何度かやれば慣れますよ。だって70・80年代まではそれが普通だったんだから、いまの人たちにできないわけがない。
 急ぐ人のために……というけれど、私が思うに、ホントに急ぐ用がある人なんて、ほとんどいないんです。本気で急ぐなら階段を全力で駆ければいいんでね。
 せっかちな性格の人がクセでついついエスカレーターを歩いてしまってるだけなんじゃないですか。だから、慣れの問題なんです。
 昼間の時間帯で両側立ちを経験すれば、待ちの行列がなくなることで、これ案外、効率がいいかも、と思い直す人が増えるはずです。慣れてくれば、そのうちラッシュ時にも、両側立ちのほうがみんなが早く移動できるとわかってくれる日が来るのではと期待が持てます。
 あるいは、同じ方向のエスカレーターが2台あるなら、1台を両側乗り・歩行禁止、もう1台を片側空け・歩行可にすれば、賛否どちらの人にも配慮できます。これで違いを体験してもらうのは、有意義な社会実験だと思います。
[ 2023/02/24 20:06 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

『読むワイドショー』著者解説

『読むワイドショー』著者解説



ちくま新書
税別860円
2023年2月発売


 今回のテーマは、テレビと芸能。身近なようでいて、じつは知らないことだらけ。
 でもそれを詳しく調べようとしても、ネットは使いものになりません。ネットには近年の情報はたくさんありますが、昭和以前の情報となると浅いものや個人の思い出話ばかり。個人が語る思い出話は調査の糸口にはなるのですが、記憶は年月とともに脳内で改ざんされてしまうので、必ず文献で裏を取る必要があります。
 私が書籍の書き下ろしを中心にやってるのは、納得のゆくまで調べた上で書けるからです。それともうひとつ、意外かもしれませんが、いまもっともタブーが少ない表現メディアが書籍だというのも理由です。雑誌やネットメディアには、スポンサーへの配慮と、炎上を極度に恐れる事なかれ主義が蔓延していて、書いてはいけないタブーがやたらと多いんです。
 テレビや芸能に関するどうでもいいようなことでも、あらためて調べてみると意外な事実が山ほどあるし、些細に思えることから、人間の本質や社会の闇が見えてきたりもします。

 さて、以前からの読者のかたなら、今回、私のプロフィールが「日本文化史研究家」というシンプルなものになってることに気づくかもしれません。
 ちょっと思うところがあって、デビュー以来ずっと使ってきた架空のふざけたプロフィールをいったんやめることにしました。
 というのは、読者もマスコミも含め社会全般で、そういうおふざけを受け入れてくれる余地がなくなってきたような感がするんです。反社会学講座をはじめたときには、現実のねじれみたいなものを表現しようと思いました。学者や有名人が実名で書いてる本に根拠のない憶測やデタラメが書かれてることもあるなかで、デタラメなプロフィールの無名の人物が根拠のある事実を書いていたらおもしろかろう、てな感じで。
 そういった知的な遊びごころを理解してくれる粋人といいますか、知性と理性に余裕のあるオトナが減ってしまった気がします。ふざけたプロフィールのヤツが書いたものは取りあげない、紹介しない方針のメディアもあるようです。そんなんで自分の著書が黙殺されてしまうとしたら、それは本意ではないですし。
 よのなかがどう変わろうが、自分のプロフィールが変わろうが、自分で調べてわかったおもしろい事実をみなさんと分かち合いたいという私の執筆スタイルは、これからも変えません。


どこから来たのか、どこへ行くのか、コメンテーター

 まずは、コメンテーターって必要なのか? という、誰もが思う素朴な疑問から。司会者に「どうですか?」と問われれば、自分の専門分野と無関係の事柄であってももっともらしく語ってしまう。そんなコメンテーターなる立場の人たちはいつごろ出現したのでしょう。
 無責任にいいたい放題のタレントコメンテーターのルーツは、某人気番組のレギュラーだったあの芸人?
 1950年代、評論家の福田恆存が「文化人」を批判した文章は、そのまま現代のコメンテーター批判として通用します。当時の大衆が文化人に求めていたのと同じ役割を現代人はコメンテーターに求めているようです。


画面隅の小窓はいつからワイプと呼ばれるようになったのか

 日常的にテレビを見てる日本人なら誰もが知ってる、ワイプという映像表現。小さな窓をのぞいてみれば、その向こうには興味深い文化史が見えてきます。
 もともとは、映画で画面切り替えに使われる手法でした。それをはめ込み窓として応用する手法は日本のテレビが独自に発展させたのです。
 技術的に完成の域に達したのは地デジ化後のことでしたけど、それ以前、50年代からテレビ各局がワイプ活用の試行錯誤を重ねていたことは、あまり知られてません。それはけっこう不評と失敗の連続で、フジテレビには社史にも書けない黒歴史があります。


逮捕された歌手のレコードが回収された最初の例と、ちょっと長めの後日談

 歌手やミュージシャンが麻薬などで逮捕されるとCDは店頭から回収され、配信も停止されます。そのたびに音楽ファンからは疑問と不満の声が上がりますが、そうなったきっかけまで調べた人はいませんでした。
 私が今回調べたところでは、殺人と死体遺棄で逮捕された歌手のレコードが回収されたのが最古の例でした。
 事件の重大性から、仮名やイニシャルにすることも考えましたが、ご本人が亡くなる直前に雑誌取材で獄中生活について語ってます。本人が事件のことをタブーとしてなかったことがあきらかなので、実名で書きました。
 しかしこのとき、レコード会社はレコードを一枚も回収できませんでした。事件報道直後から客がレコード店に殺到し、すべて売れてしまったのです。
 当時も逮捕者のレコード回収の是非は週刊誌などで議論されましたが、それより問題とされたのは、事件を報道するマスコミの過熱ぶりでした。お笑いの人たちは、むかしのテレビバラエティはむちゃくちゃだったとよくいってますが、むちゃくちゃだったのは報道も一緒。非人道的な取材攻勢も昭和史の悪しき一断面です。


あなたの知らない略奪婚の実態

 ちょっと下世話なネタも入れときましょう。みなさん、けっこうお好きでしょ? といっても私は民俗学的なアプローチでマジメに略奪婚の実態に迫りました。なんと80年代後半とそれ以前とでは、日本人にとっての「略奪婚」のイメージはまったく異なっていたんです。
 たとえば、黒柳朝(黒柳徹子さんのお母さん)は、自分の結婚は略奪婚だったと堂々と語ってます。でもその経緯を知れば、現代日本人が想像する略奪婚とは別物だったことがわかります。


ラジオからテレビへ ――新聞ラテ欄から見える歴史――

 先日、『ザ・テレビジョン』が週刊誌をやめて月刊誌だけになると発表され、昭和のテレビっ子世代にはちょっとした衝撃が走りました。
 テレビやレコーダーで番組表が確認できるし、ネットでも見られるいまの時代、仕方のない流れなのでしょう。むかしはテレビ欄があるから新聞をとっているという人もけっこういたんですけどね。
 そこで懐かしさもあって、新聞ラテ欄(ラジオ・テレビ欄)の変遷を軽く調べて見ました。
 新聞の最終面がラテ欄になったのは70年代。私はそれがあたりまえだと思ってましたが、自分のこども時代にようやくそうなったのだとはじめて知りました。それ以前は定位置がなく、流浪のページだった時代が長く続きました。
 さらに興味深かったのは、ラジオ開局当時のラジオ欄。多くの新聞がラジオを軽視・無視・敵視していたなか、読売新聞だけはラジオ欄を2ページぶち抜きで大々的に始めていたのでした。


ニュースショーが終わり、ワイドショーが始まった

 日本最初のワイドショーとされるのが『木島則夫モーニングショー』。この番組についての情報もネットには浅いものしかないので、文献を漁るしかありません。初代プロデューサーが書いた詳しい回顧録はテレビ文化史を知る上で一級品の資料です。それをさらに補完すべく、当時の新聞・雑誌での取りあげられかたや投書欄での一般人の反応、類似番組についても調べました。
 後発の『小川宏ショー』が17年続く長寿番組になったのに、元祖・木島則夫の番組はたった4年で終了し、司会者が交代します。両番組の違いはいったいどこにあったのかを探ります。


政治を語る芸能人

 近頃の日本では、芸能人がちょっとでも政治的な発言をするだけでムチャクチャ叩かれようになりました。「放送は政治的中立性を守らねばならない」という原則論が幅をきかせるようになったせいで、政治風刺漫才や風刺コントなどは事実上放送禁止扱いです。
 しかし政治的中立性なんてものは実現不可能な幻想にすぎないことを、むかしから多くの論者が指摘しています。なぜならそれを厳守する唯一の方法は「なにもいわないこと」だけだから。それは言論の自由という大原則に反します。
 1960・70年代には、芸能人が日常的に政治発言をしていましたし、大衆もそれを容認してました。テレビの公開収録でトップ・ライトの政治風刺漫才に観客が爆笑し、クレージーキャッツが毎日生放送で演じる政治風刺コント番組も高視聴率。ホームドラマのお母さん役イメージが強かった女優・森光子でさえ、三木首相との懇談会ではロッキード事件の真相解明をうやむやにしないでほしいと釘を刺してます。

 大衆が支持した一方で、政治家からの言論弾圧があったのも事実です。なかでも言論弾圧と戦った反骨の芸能人として有名だったのが、三木鶏郎。軽快な歌と政治風刺コントがウリだった聴取率70パーセント越えのラジオ番組『日曜娯楽版』が打ち切られるまでの詳しい経緯を知ると、言論弾圧の陰湿さに寒気がします。
 もう一人の反骨芸能人が、前田武彦。いまとなっては知る人も少なくなったし、知っていたとしても、共産党バンザイ事件でテレビから干された左翼タレント、みたいな偏見で語られがち。私もその程度の認識しかなかったのですが、調べてみるとバンザイ事件はかなり誤解・曲解されてました。
 前田武彦の人物像は、アンチの人たちが意図的に貼ったレッテルで歪められてしまいました。正当に再評価されることを望みます。
[ 2023/02/08 20:37 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
つっこみ力

読むワイドショー

思考の憑きもの

サラリーマン生態100年史

偽善のトリセツ

歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告