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『レコード芸術』の休刊と新時代のクラシック入門スタイル

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。図書館で『レコード芸術』の最終号を読んできました。
 『レコード芸術』は戦後まもなくの創刊以来、およそ70年にわたってクラシック音楽のレコード・CDの新譜情報やレビューなどを載せてきた老舗雑誌でした。といってもクラシックを聴かない人たちにとってはまったく縁のない雑誌だったことでしょう。
 ただ、歴史の長い雑誌ですから、数か月前に突如休刊が発表されると、新聞各紙で報じられました。

 私は10代のころは洋楽、20代からはもっぱらジャズを聴いてきました。クラシックのおもしろさがわかるようになったのは、ようやく40歳過ぎてからで、それ以来、クラシックの新譜情報に関しては『レコード芸術』にほぼ依存してました。
 でも買ったことは一度もありません。毎月図書館で読んで、興味のある新譜をメモっておき、iTunes StoreやSpotifyで試聴、気にいったものはCDやiTunesで購入、というのが習慣になってたんです。
 コロナ禍で図書館の利用が制限されたころ、auブックパスの雑誌読み放題で『レコード芸術』が読めると知って利用するようになりました。家で読めるので便利だったのに、去年の12月号を最後に『レコード芸術』が読み放題から突如消えたんです。
 がっかりしてブックパスを解約。また図書館で読む習慣に戻った矢先の休刊発表。そうか、去年末にはもう休刊が決まってたんだな、とそのとき悟った次第。

 私としては2010年にジャズCDの情報誌『スイングジャーナル』が休刊したときのほうがショックでしたね。『スイングジャーナル』は毎月買ってましたから。こちらも創刊は『レコード芸術』と同時期の老舗雑誌だったのですが、一足先に力尽きたのでした。
 ジャズもクラシックも音楽界では斜陽ジャンルなのでしょう。ファンは減る一方って気がします。『レコード芸術』はよくここまで持ちこたえたものです。

 そもそもCD自体が売れなくなってきた時代です。サブスクで新譜も旧譜も全部聴けちゃうだなんて、なんかもう、暴力的な革命ですよね。
 私もSpotifyを使ってみて愕然としました。これまで何十年、CDをコツコツ買い集めて自分だけのライブラリを作ってきた努力はなんだったのか、と。ジャズもロックもクラシックも、ほぼ全部Spotifyで聴けるじゃん。そりゃあ、CDショップもCDレンタルも廃業するわなぁ。

 さて、今後はクラシックの新譜情報をどうやって知るかが悩みどころ。クラシックファンが書いてるブログを検索して読んでみると、途方に暮れてるかたもけっこういらっしゃるようで。
 『レコード芸術』は国内盤レビューよりも、海外盤の新譜紹介ページを楽しみにしてた人が多かったんじゃないでしょうか。ジャズでもクラシックでも、ホントにおもしろいのは輸入盤なんですよね。
 ジャズの場合、『スイングジャーナル』亡き後も、ディスクユニオンなどのCD輸入販売店が熱心に海外盤新譜情報をネットで流してくれてるのでおおいに助かってます。
 でもクラシックには、そういう日本のサイトやショップが見当たりません。クラシックに詳しいマニアはどこから情報を仕入れてるのだろうとブログなどを探したら、イギリスのprestomusicというショップが紹介されてました。覗いてみるとたしかにかなり詳しい情報とレビューが満載なので、しばらくはここを頼りにしてみようかと思います。

 さて、これからクラシックを聴いてみようと思ってる奇特な人がいたら、迷わずSpotifyなどのサブスクをおすすめします。他のサブスクを利用したことがないので比較はできませんが、Spotifyにはクラシックの名盤といわれるものも新譜も、ほとんど揃ってます。
 たとえば、ベートーヴェンの「運命」の冒頭だけをさまざまな指揮者のバージョンで聴き比べるなんて贅沢な楽しみかたも、サブスクなら簡単にできてしまいます。

 ガイドブックとしておすすめしたいのが、『新時代の名曲名盤500+100』(音楽之友社)というムック。これは『レコード芸術』の恒例企画として、5年ごとぐらいに改訂されてきたクラシックの名盤CDガイドです。
 今年初めに改訂版が出たばかりですが、名盤の選定委員の平均年齢を下げたことで内容も刷新されました。以前は1950~70年代に録音された巨匠指揮者の古臭い演奏をありがたがる年寄り批評家の意見が幅をきかせてたのですが、選者が若くなったことで、今世紀に入ってから録音された名盤がランキングの上位を占めるようになったんです。
 過去の巨匠の演奏って、古臭くてつまらないと、ずっと思ってました。私は楽器も演奏できないし、クラシック音楽の理論についてもまったくの無知なシロウトです。だからどこがどうつまらないのか説明はできないのですが、最近の演奏のほうが聴いてて楽しいんです。この新たなランキングを見て、自分の感覚は間違ってなかったのだと嬉しくなりました。

 このムックを参考にして、サブスクで片っ端から聴いてみるというのが、それこそ新時代にふさわしいクラシック入門スタイルではないかと思います。
 『レコード芸術』は休刊になったけど、『名曲名盤500』の5年ごとの改訂は、今後も続けていただけませんかね、音楽之友社さん。
[ 2023/06/22 20:30 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

『読むワイドショー』のレビューについて思うところをお話しします 《後半》

前半はこちら
『読むワイドショー』のレビューについて思うところをお話しします 《前半》


●政治ネタへの言及を不自然に避ける批判レビュー

 さて、そろそろ批判的・否定的な意見を見ていきましょうか。
 『読むワイドショー』では政治圧力とそれに抗った芸能人たちの歴史について、もっとも多くのページ数を割いてます。賛否が分かれるなら当然ここだと予想してましたけど、実際の感想は「賛」か「無視」でした。
 批判的なレビュアーは、政治関連の話題への言及を不自然なくらいに避けて、抽象的な言葉で本全体をやんわり否定してきます。
 自民党の黒歴史ばかり取りあげないで、野党も批判しろ、みたいな定番の論点ずらしをしてくる人も、今回はいないようです。
 私が野党のことをあまり取りあげないのは、野党にはおもしろいネタがないからです。そりゃそうでしょ。権力を持つ与党だから、いいことも悪いこともできるんです。権力を持たない野党には、いいことも悪いこともできません。
 自民党や保守政治家の黒歴史をバラすな、と怒りのレビューを投稿してしまうと、かえって興味を持って本を読む人が増えるのではと警戒して言及を避けてるのかもね。まあ、これは私の邪推ということにしておきましょう。

●パオロはキレがなくなった?

 パオロは『反社会学講座』のころはキレがあったのに、最近はキレがなくなったみたいな感じのレビューが複数ありました。
 1件でなく複数あるってことは、キレがないというフレーズがSNSや掲示板で流行ってたりするのかな? まさか同一人物が書いたもの? そこまで手の込んだ批判活動をする意味はなさそうですけど。
 この手の批判もご多分に漏れず、どこがどうキレがないのか、逆に『反社会学講座』でキレがあるとはどの個所を指していってるのか、そういった具体的な指摘がまったくありません。
 具体的な批判ができないのは、議論においては負けです。具体的な根拠をもとに、ズバリと論破できる能力のある人を「キレがある」というんです。あいまいな言葉でしか批判できないのは「キレが悪い」のです。

●反則をしない覆面レスラー

 私は本を執筆する際に、大量の事実を調べ、わかった事実をお伝えしています。多くの事実を並べたなかに、事実にもとづいた自分の考察を織り交ぜてます。私は著書を通じて、事実という情報を伝えることを第一に考えてます。自分の考察は二の次です。それは、自分の考察や価値観、結論だけを押しつけるのでなく、読者のみなさんにも正しい事実にもとづいて正しく考えてほしいから。

 私は匿名の書き手ですし、名前もプロフィールもふざけてるので、イロモノ系の覆面レスラーみたいに思われがちです。匿名でものを書いてるヤツは信用できない、という批判もときどきあります。
 その点に関してはすでに前作『思考の憑きもの』で検証しておきました。匿名だからダメという判定基準は論理的にも歴史的にも間違いであることを論証しておきましたので、興味のあるかたは読んでください。

 覆面ではあるけれど、私は反則プレーをしない正統派のファイターです。出典をすべて明記して事実を伝えているのだからズルはできません。提示した事実が気に食わない、信じられないなら、どうぞ出典をたどって確認してください。
 根拠もないのにヘリクツや詭弁をまくし立てて相手をやり込める反則技を使うのでなく、地道に事実を調べて伝えるというストイックな正攻法で、私は本を書いてます。でも事実をただ並べるだけでは無味乾燥な本になってしまうから、文体や文章でおもしろく読ませる工夫をしているつもりです。
 そういった姿勢がまったく評価されず、匿名や文体を理由にイロモノと決めつけられてるなら、とても残念です。

 もっとも重要な点をいっておきます。私にキレがあろうがなかろうが、私が提示した事実は変わりません。だからキレがあるとかないとかいう評価自体、意味がないんです。私を揶揄しても嫌っても憎んでも、事実が事実でなくなることはないのですから。

●間違った印象を持ってしまう理由

 お言葉ですが、『反社会学講座』を書いた頃の私より、いまの私のほうが調査能力も思考力もだいぶ向上しています。これは自画自賛ではありません。たぶん専門の研究者が私の本を読み比べれば同意してくれるでしょう。
 実際、『反社会学講座』の出版当時、脇があまいみたいな指摘を学者から受けました。調査も考察も徹底していない、まだまだ浅いぞという意味だったのかと。自分でもその自覚はあったんで、努力しました。20年も続けてりゃあ、だらだらやってても、それなりに進歩しますよ。最近の著作は『反社会学講座』の頃よりずっと深掘りしてるし、情報密度も大幅に濃くなってます。

 なのになぜ『反社会学講座』はキレがあって、『読むワイドショー』や最近の著作にはキレがないと間違った印象を持つ人がいるのか? それは単に、『反社会学講座』では自分が気に食わないものが批判されてたから大喜びしてたのに、最近の作品では自分が嫌いなものを批判してくれず、どちらかというと自分が支持したいものが批判されているってだけのことでしょう。
 もし本当に私の本にキレがないのなら、読んでも何も感じないはずです。実際はそうじゃない。私が伝えた事実にキレがありすぎて、自分の価値観や常識が傷つけられてムカついてる。でも記述内容に具体的に反論できるほどの調査能力も論理思考力もない。かといって、パオロがいってる事実を認めて自分の中の常識を書きかえるのは屈辱的だ。そうだ、パオロはキレがなくなったんだ。やっぱ自分は正しいのだ。
 こんな感じでしょうか。これも邪推といいたいところですが、心理学でいう認知的不協和と自己正当化のプロセスにかなり近いと思われます。
 自分の価値観や常識と異なる情報に接すると、人間はとても不安になります。自分の正しさを守りたい欲求に負けると、自分の間違いを認めずに、ヘリクツや詭弁で情報のほうを否定してしまうのです。世界的に有名な学者でも、無意識のうちにこういう自己正当化をしてしまうことがあるんです。だから自分の正しさに自信を持ちすぎるのは危険です。
 これについては『なぜあの人はあやまちを認めないのか』(タブリス&アロンソン著 河出書房新社)という本が実例豊富で読みやすいのでオススメしておきます。

●歴史にこだわる理由

 『読むワイドショー』は自分が生まれる前の人物ばかり出てくるからおもしろくない、みたいなレビューもありました。
 そうですか? 現役の人物も登場してますけどね。現役の議員である三原じゅん子さんがタレント時代に自民党政治家をこきおろし、中曽根総理のハゲいじりをしてたなんてエピソードはお気に召しませんか?
 自分が体験してきた物事を再確認して、これあったあった、と懐かしむために本を読む。それも、もちろん読書の目的として間違いではありません。
 でも私は自分がすでに知ってること、体験したことしか書いてない本なんて読む気がしないんです。私は50すぎてますけど、まだまだ知りたいことがたくさんあります。私にとっての良い本とは、自分が知らない情報を伝えてくれる本です。だから自分も、他の人たちが知らないであろう興味深い情報をできるだけたくさん本に詰め込んでお届けしたいんです。

 私が歴史にこだわるのは、社会問題の根がすべて過去にあると気づいたからです。過去の歴史はすべて現在につながってます。
 社会問題はある日突然降ってくるものではありません。過去に必ずなんらかの原因・発端があるのですが、その時点では誰も気づきません。そこから問題の芽と根が伸びて、無視できないくらい成長した時点でようやく、社会問題として認知されるのです。
 ところが社会問題はなんらかの要因によって、一時的に収束し、見えなくなることがあります。
 戦争や災害の歴史は、風化させてはいけないと語り継ぐ人たちがいるのですが、社会問題は語り継ぐ人がいないんで、すぐに忘れられます。しかし社会問題の根は残り続け、いつかまたちょっとカタチを変えて芽を出します。すると人々はそれを新しい問題だと思ってしまうのです。

 以前の著書で検証した例ですと、電車内で女性が化粧をすることへの批判。みなさんこれを近頃の若者のマナー低下と決めつけてますが、これが最初に社会問題となったのは大正時代だったんです。100年前のギャルもマナー意識はいまと変わらなかったのです。
 保育園や公園でこどもが騒ぐのがうるさいという苦情。むかしはそんな苦情なかったよ、みんな寛容だったのに……って嘆くのも間違いです。1970年代の東京23区では、こどもがうるさいという苦情や訴訟が頻発し、どこの区も担当者が頭を悩ませてました。こどもに寛容じゃない人は、むかしも大勢いたんですよ。
 政治家・政党による放送・報道への圧力だって、いまに始まったわけじゃなく、60年以上前からずっと繰り返されてきた社会問題のひとつです。

 社会問題はいまだけを見てもそのメカニズムはわかりません。いましか見ずに自分の感情・印象をもとに歴史を「誤読」してるから、的外れな対策を取ってしまうのです。
 正しい過去の事実をもとに、いまの社会を考える基本姿勢は『反社会学講座』のころから変えてないつもりですし、何をいわれようと変えません。これからも社会の不合理・不条理や歴史の美化・捏造を批判していきます。
[ 2023/06/10 21:05 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

『読むワイドショー』のレビューについて思うところをお話しします 《前半》

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。地方紙に『読むワイドショー』の書評が出たりしたおかげか、ネット上のレビューや感想がだいぶたまったようなので、ざっと目を通してみました。書いてくれたみなさん、ありがとうございます。
 読んだかぎりでは、私の意図をきちんと読み取ってくれた読者が多いようなので、ほっとしています。
 今回から2回にわたって、『読むワイドショー』の感想やレビューについて思うところをお話しするのですが、その前置きとして、いっておかねばならないことがあります。

●誤読され続ける『反社会学講座』

 私の著作に対するレビューや感想だけでなく他の作品に対してもですが、広い意味での批判や炎上といった事例は、誤読がもとになってることが少なくありません。どこをどう読めばそんな解釈ができるの? と、批判してる側、炎上させてる側の読解力を疑ってしまう事例をしばしば見かけます。
 思考力の乏しい人はその欠如を信念で穴埋めしてしまいがちです。思考力と読解力は密接に関連する能力なので、思考力がない人には読解力もありません。
 その文章に何が書かれているのか、何を主張してるのかを客観的に読み取る能力が読解力です。誤読するのは、最初から自分の価値観・主観・信念に思いっきり引き寄せて文章を読んでしまうからです。つねに自分の価値観の正しさを証明したいという気持ちが強すぎて、文意を自分に都合よく勝手に読みかえてしまうんです。いい方向にも悪い方向にも。
 『反社会学講座』は社会学を全否定している、なんてのが誤読の最たる例でして、そんな解釈をする人たちがいまだにあとを絶たないのは残念です。

 説教じみた小難しい話はできればしたくないし、おもしろかったドラマとか本の話をしてるほうが楽しいですよ。でも、あまりにも思考力・読解力に問題のある人が多すぎて、放置しているのはさすがに無責任だと思うようになってきたので、教育的観点から、ここらでダメ出しをしておきます。

 『反社会学講座』は社会学の悪いところを批判しつつも、社会学的なものの見かたを伝える入門書にもなってます。だから出版当時、そこをちゃんと読み取ってくれた本職の社会学者のみなさんから、おもしろがってもらえたんです。
 ある学問をまるごと全部否定できるなんて、本気で思ってます? それ、異世界転生と同じくらい非現実的なことですよ。
 自分が好きなマンガやアニメがフェミニズム社会学者に批判されたことでアタマに来て、社会学を全否定して溜飲を下げている、という程度の人が多いのでしょう。でも相手を否定すれば自分の正しさが自動的に証明されるわけではないんです。相手もあなたも間違っている可能性があるのですから。
 そこがわかってないなら論理学の基礎だけでもいいから勉強してください。自分は絶対正しいという信念だけではなんの証明にもなってません。他人が提示した事実にフェイクだと難癖つけるだけでは否定したことにはなりません。自分の正しさは、自分で証拠を揃えて自分で証明するしかないんです。

 私は社会学もフェミニズムも全否定などしてません。それらを否定することを私に期待して著書やツイッターやブログを読んだら、必ずがっかりするよ、と予告しておきます。それどころか、自分が望む答えをくれない私を嫌ったり憎んだりするようになるでしょう。
 私はブログやツイッターから収益を得てないので、読者が喜びそうなウソを書いて媚びる必要はありません。政治も宗教も伝統も常識も特別扱いはしません。間違いが確認できれば批判します。これからも自分で調べた事実と、事実にもとづいて思考したことをお伝えしていきます。

●批判に反論しない理由と反論できない理由

 今回、私としては珍しく、批判的なレビューへの反論・ダメ出しもしようと思います。
 私は自著のレビューや感想にいちいち反応しないことにしています。むかしは批判に反論してたけど、それをやってると、おい、お前らの批判はいつも見張ってるからな、みたいな威圧感を醸し出してしまいそうなので、自由に感想を書いてもらうためにも、反応しないことにしたんです。

 批判に反応しない理由とはべつに、反応できない理由もあります。私への批判はほぼすべて、抽象的な印象論・感情論に終始しています。表面上はクールなレビュアーを気取っていても、私が突きつけた事実のどれかに自分の価値観を傷つけられて、はらわた煮えくり返ってる本心が透けて見えます。
 だけどその不満の正体をあきらかにしてくれないのがズルいんです。どの記述、どの事実が気に食わないのか、なぜ気に食わないのかを具体的に教えてくれないと、まったく参考になりません。何に怒ってるのかを具体的に説明してくれない人に対しては、反論のしようがないんです。
 具体的な反論もたまにあるんですけど、手持ちの弱~い手札を1枚か2枚振りかざすだけで論破したつもりになってたりすると、それはそれでムカつきます。
 こっちはいろいろ調べた上で、100の事実を並べ、それにもとづいて考察しています。あなたはそのなかのひとつを引っかいたくらいで、あとの99の事実には反論も否定もできてませんよね。正しさの質も量もこちらのほうが圧倒してるんです。あなたは100対1でコールド負けしてますよ、くらいのイヤミをいいたくもなります。
 でもそれをあまりおもてには出さないよう自制してるんです。ほら、たぶん、いまくらいの反論でも、うわ、パオロぶち切れてんじゃん! と思った人がいるんじゃないですか。この程度の軽いジャブでたじろがれてもねえ。ちょっとした意見の応酬にもおびえて、議論や対話を極度に避ける人にも問題があります。
 批判をダイレクトにこころで受けとめてすぐに傷つくのはやめましょう。批判はまずアタマ(知性)で受けてから、こころに落とし込む練習をしてください。それから調べて反論しても遅くないんです。条件反射で反論できる人は、カッコよさげに見えますが、あとでよくよく考えると論点ずらしの詭弁だったりします。

●ラジオ黎明期の話への反響

 とりあえず批判は後回しにすることにして、まずは賛意のほうから。
 新聞のラジオ・テレビ欄の変遷について書いた章で、ラジオ黎明期の話をちょっとだけしたのですが、ここに興味を持ってくれたかたがけっこういました。
 テレビが家に来たときの話は、昭和ノスタルジーの定番テーマなんで飽きるほど聞いてますが、ラジオが家に来た話って聞いたことなかったんです。まあ100年前のことなんで、話せる人がもういないってのもありますが。
 だから開局当時のラジオは人気がなかったのだろうと決めつけてました。ところが当時の新聞記事などを読むと、ラジオは開局当初から想像以上の盛り上がりを見せていたことにビックリしました。
 早く放送を始めろと開局前の放送局に連日詰め寄るラジオマニアたち。ラジオを敵視する新聞社が多いなか、読売新聞だけが他紙に先駆けて紙面を2ページも割いてラジオ欄を設けます。ラジオ受信機が売れまくり、製造が追いつかないとメーカーが嬉しい悲鳴を上げる裏で、売上が激減した蓄音機メーカーはリアルな悲鳴を上げてました。
 こんなに社会を盛り上げていたラジオですが、数年後には戦時体制で放送の自由を奪われ、大本営発表のための道具になっていきます。放送の自由が民主国家にとっていかに大切なものであるか。そして、その自由はいとも簡単に奪われてしまうのだと、歴史が教えてくれてます。
 ラジオ黎明期の悲喜こもごもを群像劇のドラマやマンガにしたら、けっこうおもしろそうですけどね。

●放送・報道にかけられた政治圧力の歴史への反響

 しかし、やはりというか狙い通りではあるのですが、感想でもっとも多かったのは、ラジオ・テレビ放送への執拗な政治圧力・政治介入の歴史について言及したものでした。はじめて知った、こんなヒドかったのか、などと、みなさん衝撃と憤りを感じたご様子。
 と同時に、政治圧力や介入にひるむことなく、政治批判や政治風刺を続けていた骨のある芸能人が、昭和時代までは大勢いたという事実にも驚いたようです。

 本書の発売後に放送法問題が取り沙汰されましたけど、あの際に、戦後の日本で放送がどれだけの政治圧力と戦ってきたか、あるいは自主規制がどうやって進んだのか、その歴史を詳しく検証した報道番組は、なかったように思います。放送されるなら参考のためにぜひ見たいのでテレビ番組表を毎日チェックしてましたが、私が知るかぎり、東京圏の放送局でやってた様子はありませんでした。
 自由というものは権力によっていとも簡単に奪われてしまうし、いったん奪われたら取り戻すのは非常に困難です。それは過去の歴史が教えてくれてるし、数年前にも香港で起きたばかりじゃないですか。
 自分たちの首が絞められようとしてるのに、日本のテレビ局には強烈な正常性バイアスがかかっているのか、問題を平気でスルーします。放送の自由が奪われた歴史の事実を視聴者と共有し、一緒に考えようなんて気概もないようです。
 だから『読むワイドショー』を読んで、歴史の事実を初めて知って驚いた、って人がけっこういたとしても、不思議ではないのでしょう。
 テレビを観ないネット派の人たちにとっても他人事ではないですよ。いまや独裁政権が放送だけでなくネットの言論も規制するのは世界の常識なんですから。

 後半は明日アップします。
[ 2023/06/09 21:14 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
つっこみ力

読むワイドショー

思考の憑きもの

サラリーマン生態100年史

偽善のトリセツ

歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告