こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
パオロ・マッツァリーノのおもてなされ散歩。今日は、東京の下町におじゃましています。おい、来てやったぞ! だれか私をもてなせ!
東京の下町を歩くと、民家の玄関先に小汚い植木鉢が並んでます。じゃまくさいですねぇ。東京オリンピックまでには、どかしてください。
もうひとつ、東京の景観を汚してるのが、「誰か見てるぞ!」と書かれた防犯祈願の厄除けステッカー。民家の玄関ドアや門扉にべたべた貼ってあってありますが、あの言葉、なんかヘンじゃないですか?
あの言葉を文法的・言語学的に解釈すると、「誰か見てるぞ! オレは見てないけど……」という意味にとれます。
もしも自分が見てるなら、「オレが見てるぞ!」じゃなきゃおかしいわけです。「誰か見てるぞ」ってことは、オレは見てねえんだよ、と監視をサボってることを堂々と宣言し、そのうえ、他のヤツ誰か見てろよ、と他人に義務を押しつける、なんとも無責任でずうずうしい態度が垣間見えます。人間のクズといっても過言ではありません。
はい、反論。「オレ」は「誰か」に含まれるんじゃないですか? オレも見てるのではないですか?
ほほう。じゃあ「誰か助けてー!」と叫んで助けを求めてる人は、「誰か」に自分も含めてるのでしょうか? ちがいますよね。「誰か助けてー! 自助努力ではムリそうだから……」と主張してるわけです。
てことは、「誰か」に自分は含まれないと考えるのが妥当であって、やっぱり「誰か見てるぞ」はオレは見てないぞ、と解釈するべきでしょう。
いやあ、散歩っていいもんですね。散歩で脳のリフレッシュ。パオロ・マッツァリーノのヘリクツ散歩、また次回(番組名変わっとるぞ)。
[ 2014/06/13 20:36 ]
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