こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
稲田さんが国会で「親孝行や、ともだちを大切にすることなど、教育勅語の精神を取り戻すべきだ」と発言しました。
てことは、教育勅語による教育を受けていない稲田さんは、親孝行もしてないし、ともだちも大切にしてないのですね?
教育勅語が出来たのは明治時代です。ということは、江戸時代の日本人は、親孝行もしなかったし、ともだちも大切にしなかったことになります。
逆の例もあげましょうか。戦時中、空襲を避けるため都会から疎開したこどもたちが、疎開先のこどもたちからヒドいいじめにあったという話はたくさんあります。おかしいじゃないですか。教育勅語で育ったこどもたちが、なぜともだちを大切にしなかったのですか。
親孝行や友愛といった道徳は、教育勅語が出来るずっと前から存在してました。教育勅語がなければこどもを教育できないといってる人たちは、江戸時代以前の日本人が不道徳だったと、先祖をディスっていることになります。
教育勅語がなくたって、親孝行や友愛を教えることはできます。教育勅語を知らない外国人も、親孝行するし、ともだちを大切にしてますよ。
日本の戦後教育だって、親孝行や友愛を否定してたわけじゃありません。戦後教育で育った稲田さんだって、親孝行や友愛がいいことだとご存じだったわけですよね。
戦前教育を賛美する人たちは、まるで戦後教育が普遍的な道徳を否定してきたかのような批判をするんです。それこそが「印象操作」なんですよ。
戦前戦後の庶民文化史を研究してきた私は、日本の戦後教育が必ずしもいいとは思いません。ダメなところ、批判したいところもたくさんあります。でもだからといって、戦前の教育が素晴らしかったとは、ちっとも思いません。いまの日本は歴史上もっとも犯罪が少ない時代といってもいいし、現代の日本人は、戦前の日本人よりもかなり道徳的です。それがすべて教育のせいだとはいいませんが、戦前教育にさほどの効果がなかったのも事実です。
戦前教育を理想化してる人たちは、戦前の日本の実像を勉強せず、勝手な妄想で美化してるだけなんです。
[ 2017/03/09 20:57 ]
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