こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
今日は何の日(4月22日)。戦争末期の1945年4月22日付読売新聞で、火事場泥棒が多発していることが報じられた日。
空襲でみんなが防空壕へ避難していたり、火災の消火活動をしている隙に、家に置いてある食料や燃料などが盗まれる事件がこの時期、東京では頻発していたのです。
22日の記事では宮内省侍医の西川氏が、空襲の避難中に自宅と近隣の家が盗難被害に遭ったことを怒りを込めて語ってます。腹いせに「戦災者の所有物を盗るものは日本人にあらず」と貼り紙をしたそうですが、翌23日の記事で、西川氏がたまたま不運だったわけじゃなかったのだとわかります。直近10日間に警視庁に報告されたものだけでも、都内各所の火事場泥棒はほぼ毎日のように起きてます。
まあ、べつに驚きはしません。明治時代から災害時には火事場泥棒がつきものでしたし、義援金サギや義援金着服の例も必ずといっていいほど報道されてます。いつの時代にも、困ってる他人に手を差し伸べるひとがいる一方で、ひとの弱みにつけこむ悪いヤツもいるんです。なので、戦時中にもないわけがなく、むしろこれまで戦争映画やドラマの空襲シーンに火事場泥棒があまり登場してないのが不思議なくらい。
23日の記事でも「これが果して日本人の仕業であろうか」と嘆いてますが、犯罪をすべて外国人の仕業にしたがるみなさんには残念なお知らせです。6月3日付の記事。犯行現場を押さえられた男が電柱に縛り付けられ、「戦災地で窃盗を働いたる人非人なり、みせしめのためさらしものにす」と貼り紙をされているのを目撃した記者によると、この男は正真正銘の日本人であった、とのこと。仮に朝鮮人などが犯行に及んで捕まってたら、不逞鮮人に注意、みたいに書き立てられたはずですが、そんな記事は見当たりませんし、取り締まりの強化を約束した東京地方検事局非常検察隊司令も、外国人の仕業をほのめかす発言はしてませんから、やはりほとんどが日本人の犯行だったのでしょう。
4月28日付の朝日新聞では、鉄道の不正乗車などの違法行為が目立って増えたことを伝えています。でも私はこのとき火事場泥棒や不正乗車をしてた連中を責める気にはなれません。犯罪の急激な増加は、度重なる空襲と窮乏生活に耐えかねて、日本人のこころが荒みきっていたことを示すなによりの証拠です。責められるべきは、食うや食わずの状態に国民を追い込んでもなお、戦争を続行していた指導者層の見識のなさです。
歴史にタラレバを持ち込んでもしかたのないことですが、もしもこの4月の時点で、国民の疲弊が限界を迎えていることを認めて戦争をやめていたら、どれだけのいのちが失われずに済んだだろうと考えずにはいられません。
[ 2018/04/22 13:50 ]
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