こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。令和、って最初に聞いた瞬間、おそらく多くのひとの正直な反応は、「……ん?」とか、「これ……なのか?」などと違和感をおぼえるものだったんじゃないですか。私もそうでした。でも一日経ったら、もう慣れたでしょ。
なんでかというと、令和は可もなく不可もなく、地味で普通だからです。でも、元号はそれでいいんです。元号そのものに強い色やイメージや自己主張があってはいけないんです。
新元号は何になるんだろう、とみんなが事前にむちゃくちゃ盛り上がり、期待値マックスで、ハロウィンの仮装パレードかなんかみたいに、どんなヤツが来るんだろ、と待ち構えてたところに、地味な「令和」がやってきたから、「……ん?」と肩すかしをくらったのです。
でも元号って、発表されたからといって「イエーイ!」とかいうもんじゃないでしょ。サプライズを期待するのもおかしい。平成だって、最初聞いたときは、ふうん、くらいにしか思わなかったし、周囲でもそんな感じの受け止めかたでしたよ。
これから数十年もの日常を過ごすにあたって、もうだれも元号のことなど気にしなくなります。書類に日付を記入するときに、あれ、今年令和何年だっけ? と思い出すくらいで。
発表や改元直後は、元号はハレのものかもしれないけど、そのあとは長く使う日用品になるんです。だから華美なものや勇ましいものだと、日常では逆にうるさくなってしまいます。可もなく不可もなく地味で普通な令和は、みんなすぐに慣れるだろうから、元号にふさわしいんじゃないですか。
[ 2019/04/02 19:57 ]
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