こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。先日、毎日新聞に掲載された「元気をもらう」という言葉への違和感の記事。私も取材を受けたのですが、それは2015年刊の『「昔はよかった」病』でこの現象について取りあげていたからです。
詳しくは本を読んでいただきたいのですが、若いみなさんがピンときてないようなので、簡単に説明しておきましょう。それと、出版後にわかった補足情報も少々あるので、それもまじえてお話しします。
もともとの日本語には、「元気になる」「元気を出す」といった表現しかありませんでした。それがいつのまにか「元気をもらう」が幅をきかすようになりました。
その変化がはじまったのは、どうやら80年代中頃だったようです。84年1月の『女性セブン』では八代亜紀さんがインタビューで、初詣にいって、母にもっともっと元気をくださいとお願いした、といってますが、これは「もらう」に変化する直前の状態だったのかもしれません。
86年4月の『フライデー』では竹久みちが、当時流行したカフェバーに通い、若い人に元気もらうの、といってます。89年ごろから「パリが私に元気をくれる」みたいな気取った表現がファッション誌などで使われはじめると一気に広まり、90年代前半には、元気をあげたりもらったりする表現が、完全に日本語として定着したのでした。
そういうわけで、おそらくこの変化に気づいているのは、現在40代以上のひと。30代は境界の世代で、20代は物心ついたときから「元気をもらう」が普通だったので、まったく違和感をおぼえないのです。
高橋秀美さんは、元気をタダでもらって喜んでるのが貧乏くさく見えると指摘してまして、なるほどと思ったのですが、金銭という切り口は、かなりいい線を突いているのかもしれません。というのは、「元気をもらう」の初期の用例には、アジアやアフリカの貧しい地域でボランティア活動をしてきたひとたちが、現地のひとたちから元気をもらった、なんて書いてる例がけっこう多いんです。要するに、お金の代わりに元気をもらった、カネじゃなくて気持ちだよ、って善意の表現が、日本の大衆のこころをつかんだのかもしれません。
ちなみにですが、戦前の新聞で元気という言葉をもっとも使っていたのは、相撲関連の記事でした。取り組みの結果を「力士の元気不元気」「力士はいずれも大元気」などと報じてます。相撲部屋の稽古の取材でも、それぞれの力士が元気かどうかという表現が多用されてます。でも、「力士から元気をもらった」とは書かれてません。
明治44年5月の読売新聞は、47歳でまだ現役だった立川という力士が、稽古場で若い者に負けずに奮闘してる様を取材してます。「年寄の癖に馬鹿な元気で幕内撫で斬りだ」って、バカにしてんのか、って思われそうな書きようですけども、これが戦前の読売独特のノリなんです。取りあげるネタも全般的に下町庶民的で、けっこうがさつで乱暴な筆致。私はその味わいが好きなんで、戦前のネタを調べるときには読売をよく使います。そういったむかしの読売のがさつさも、『「昔はよかった」病』でいくつか紹介してますので、よかったら読んでみてください。
[ 2019/06/27 10:49 ]
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