休業仕り候には、余計な卑下がなくていい。客に対して、必要以上にこびていないところがいい。ところが、昭和初年ごろから、銀座の商家の門口に見かける休業の告示は、「させていただく」式のものが増えてきた。
本日、休業させていただきます。
本日、休ませていただきます。
させていただくというような、極度に自分を卑下した言い方は、かえって敬意を示すことからは遠くなると思うが、こういうところに、商人根性というものが露出しているわけなのだろう。
……中略……
こういう言い方に有力に働きかけて世の中に流行させたのには、新興宗教の信徒的発想があるようだ。「感謝教」とでも言うべき低俗宗教では、俗耳に入りやすく、ものへの感謝を説く。たくあん切るのも国のためというが、それこそ日常の行住坐臥暑いにつけ寒いにつけ、ありがたがっていて、神様のおめぐみを感謝していなければならない。その気持ちを言葉の上に示したのが、させていただく式発想だ。酒を飲むのではない、神様に感謝しつつ飲ましていただくのである。日本の行なう戦争は「聖戦」であるからして、戦わしていただくのであり、弾をうたしていただいて、敵を殺させていただき、敵弾にあたらしていただいて、死なしていただくのである。
Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。