こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。最近また頭髪に関する理不尽な校則のことで議論になってました。髪型や髪色の規制のような無意味なことを、日本人は100年以上前から性懲りもなくやり続けてます。理由なんて昔からないんです。新たなヘアスタイルなどが登場すると、日本の中高年はとにかくケチをつけずにいられない。そのあたりのことは拙著『歴史の「普通」ってなんですか?』所収の「頭髪100年戦争」にまとめてありますので、ぜひお読みください。庶民史の事実を勉強せずに自分の偏見をがなり立てても、不毛な議論になるだけです。
こういう論争が起きると必ず、「理不尽な校則は、社会での理不尽さに耐えるための練習なのだ」みたいなことをいうひとが出てきます。
じゃあ、そのひとからは選挙権を剥奪しましょう。え、なんか文句あります? だってあなたは学生の時から理不尽な校則に異議も唱えずガマンして従い、練習したことで、どんな理不尽な法律や社会制度にも、黙って従う特殊能力を身につけたんですよね?
選挙というのは、社会の不合理・不条理・理不尽を政治の力で変えようとする意思を表明する手段です。だから、理不尽な法律や社会システムにガマンすればいい、ってひとには選挙権は必要ありません。
そもそも、理不尽な校則に自分ひとりで立ち向かおうと考えるから、絶対ムリだとあきらめてしまうんです。ひとりで権力に抗うのは無謀です。日本でも海外でも、理不尽な校則を変えさせた若者たちが現実にたくさんいますが、彼らはひとりで戦ってません。校則改正に賛同する仲間を集め、ときには親や地域のオトナたちも巻き込んで味方につけ、学校側と粘り強く交渉を重ねて、校則改正を勝ち取ってます。
それこそが、民主主義の社会でまともなオトナになるための正しい練習です。その練習をしないから、ガマンかテロかという両極端に流れてしまうんです。
ガマンで問題が解決したためしがありません。ガマンは問題解決を先送りしてるだけであり、誰かが解決してくれないかなぁ、と待ってるだけの、虫のいい行為です。
理不尽な校則にガマンするのが社会に出るための練習とかいってるひとたちは「自分は消極的で他者に依存してばかりの、問題解決能力ゼロの人間ですが、ガマンだけは得意です」と宣言してるようなもの。自分のことが恥ずかしくならないんですかね。
[ 2020/07/19 17:08 ]
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