こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。しばらく前にBSで放送された、戦前の記録映像を紹介する番組のなかで、関東大震災直後の東京の映像がありまして、隅田川に累々と死体が浮かぶ様子など、かなり凄惨な実態までも生々しく記録されていることにゾッとしました。これを撮影したのは白井茂というカメラマンで、当時のいきさつを本に書き残しているとのことだったので、読んでみました。
『カメラと人生』という回顧録です。震災時のエピソードは短めですが、かなり具体的に記述されていて非常に興味深い記録となってます。この本、たぶん少部数しか刷ってないんじゃないでしょうか。公立図書館でもなかなか置いてないようなので、内容を要約しておきます。
その日、白井はある劇団から撮影を依頼され、埼玉県の熊谷にいました。撮影前の昼食時に激しい揺れに見舞われました。東京からけっこう距離がある熊谷でも、ただごとではないとわかるほどの揺れだったみたいです。
撮影が中止になったので熊谷駅に行くと、大宮方面から逃げてきたひとたちが口々に、大宮では堤防が切れて大水に襲われているとウワサしています。これを撮らねば、とカメラマン魂に火がついた白井は、人々の流れに逆行し、東京に近い大宮へと向かいます。
しかし大宮に着いてみると、堤防が切れたというのはデマだったことがわかります。
白井も流言飛語の伝わる早さに呆れてますけども、SNSなんかがなくても口コミだけであっという間に広まるのだから、ホントにデマは恐ろしい。
大宮駅では、この先東京方面の汽車は不通であると告げられてしまいます。大宮の駅長が東京のほうをごらんなさいと指をさします。あの一面の入道雲みたいなのは、どうやら火災の煙ですよ。
白井はタクシーで東京に隣接する川口までなんとかたどりつきます。その後、通りすがりのひとにカネを払って重い撮影機材を運ぶのを手伝ってもらったりして、徒歩で東京に到着、翌日から被災地東京の状況を映像に記録する作業に取りかかりました。
死体の山の近くに立っていた警官に、後世のためにこの惨状を記録に残したいのです、と撮影許可を求めると、警官はよろしいと答えますが、そばの死体の山を見て、いうのです。この死体だけは撮らないでほしい、私の家族だから、と。
川に浮かぶ死体や、川岸に積み重なった多くの焼死体などからも目をそらさず、心を鬼にして撮り続けていると、棒を持った十数人の男たちが、朝鮮人だ、殺してしまえ、と叫びながら白井のほうへ近づいてきます。
いちおう説明しておきますが、白井は日本人です。関東大震災の直後、朝鮮人が暴動を起こしたり破壊工作をしているというデマが広まりました。実際にはそんな事例はなかったのに、デマを信じた連中が徒党を組んでうろつきまわり、だれかれ見境なくリンチを加える狂気の沙汰が東京中で頻発していたのです。
するとそこへ先ほどの警官がやってきて、みんなの空気がどうも面白くない様子だから、ここは引き上げたほうがいい、と忠告します。
白井はその場を立ち去るのですが、殺気だった男たちは、しつこくあとをついてくるではありませんか。いよいよ追いつかれる、と覚悟したとき、白井は数名の兵隊に取り囲まれて銃剣を突きつけられました。
事情を説明すると兵隊たちは、通りかかった警察のトラックを停めて交渉してくれました。おかげで、白井はそれに乗って窮地を逃れることができたのです。
しかし、ほっとしたのもつかのま、着いた警察署でなにかの容疑者と間違われたり、撮影フィルムを没収されそうになるなど災難が続きますが、結果的に撮影した映像はずいぶん売れて儲かったと、正直にふり返る白井なのでした。
[ 2021/05/03 20:19 ]
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