こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。「ここ数年流行語大賞」を発表します。
今年1年だけではなく、ここ数年という長いスパンで、よく耳にするようになったなあ、最初違和感あったのに、いつのまにか定着したなあ、と私個人が気になっていた流行語を3つ大賞に選出いたしました。
政治部門大賞
「であります」 これは以前にも指摘しました。(
https://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-394.html)
ここ数年、政治家がしゃべるとき、語尾にやたらと「であります」をつけるようになって、なんか聞き苦しいという現象。
なんでこの語尾にムカツくのだろうと考えて、ようやくわかりました。これ、丁寧なように聞こえますが、じつは暗に自分の権威を強調する言い回しだからです。
もしも、飲食店で注文の品が運ばれてくるときに店員にいわれたらどう感じるか。
「チョコレートパフェであります」
「え、なにこの店、軍人カフェ?」
丁寧なようでいて、なんか高飛車な態度で断定的に、自分の主張の正しさを相手に強要する感じがあります。
政治家が「であります」を使うと、私は権威だぞ、権威ある私が発表したことだから正しいのだ、主張内容を疑うのはまかりならん、みたいに牽制する押しつけがましさがにじむんです。
「てか、オレが頼んだのは生姜焼き定食なのよ。どこをどうしたらパフェと間違えるの」
「チョコレートパフェであります」
「違うっつうの。強情だな」
言葉の語尾はシンプルに「です」か、もう少し丁寧さを出したいなら「ございます」でいいじゃないですか。「であります」なんてご大層な言い回しは必要ないでしょ。
「です」だと短くてぶっきらぼうに思われそうですか? 政治家は「ございます」というと自分が国民にへりくだってる感じになるのがイヤなのかな。
コメント部門大賞
「そうですね、」 これは、あなたの意見に同意するという意味ではありません。むかし「いいとも」でタモリさんが「今日はいい天気ですね」などとつぶやくと、観客がみんなで声を揃えて「そうですね」と答えるお約束がありましたけど、あれは同意の言葉です。私が今回大賞に選出したのはこれとは違います。
最近、発言を求められたコメンテーターが、「そうですね、」といってから本題に入ることがかなり多くなりました。
この「そうですね、」には何の意味もありません。「え~と」と同じで、自分の考えや言葉を頭のなかでまとめる時間を一瞬もらうための前置きです。
なにかを質問されたとき、ちょっと考えてから答えても全然かまわないはずですし、むしろそのほうが誠実により良い回答をできそうなんですが、会話に一瞬でも間があくことへの恐怖感が先に立ってしまうんですよね。即答しなきゃいけないというヘンなプレッシャーをなくして、もっとゆるやかな対話ができないものでしょうか。
スマホゲーム部門大賞
「個性豊かな」 スマホゲームの広告や紹介文で、「個性豊かな」キャラをウリにしてるものが目につくようになったのも、ここ数年の流行だと思います。むかしは個性豊かな、なんてあまりいわなかった気がします。これは、いずれ確かめようと思ってます。
まがりなりにももの書きのプロをやってる立場からいわせてもらうと、キャラにそれぞれ個性があるのはあたりまえなんです。ゲームにかぎらず漫画でも小説でも、キャラに個性がないのはダメな作品です。書き直せっていわれます。個性豊かであることは、作品が成立する上での最低条件、いわばあたりまえのことであって、プロのクリエイターがそれをウリにしていいものなのか。
「個性豊かな」が特別視されることに、私はちょっぴり不安をおぼえます。それは裏を返せば、現実の日本社会が個性を尊重していないってことですから。
「多様性」って言葉が流行ることへの不安と重なるんです。現実の日本社会が個性と多様性を尊重しているのなら、強調する必要はありません。それがことさら連呼されるのは、やっぱり現実の日本社会ではまだまだ同一性や同調を強要される傾向が強いって証拠なんですよ。
個性が否定される現実の息苦しさから逃避するために、個性豊かなゲームが求められてるとしたら、なんかヤだなあ。現実のほうを変える努力をしましょうよ。