『思考の憑きもの』著者解説
二見書房
税別1600円
2021年12月発売
お憑かれさまです。あなたの思考、なんだかイビツに歪んでますね。何かに憑かれてるのではないですか?
その憑かれ、クリティカルシンキングで落とせますよ。
3年ぶりの書き下ろし新刊は『思考の憑きもの』と題しまして、クリティカルシンキングの実践をテーマとしております。
といいましても、今回やってることも、『反社会学講座』から一貫してやってきたこととなんら変わりありません。何事もイチから調べ直し、得られた事実をもとに考える。そうこころがけているのは、自分が持ってるはずの思いこみや偏見を排除して、くもりのない思考をしたいからです。
正しい材料と正しい手順を用いたときにのみ、正しい思考ができます。ちまたにあふれる腐った材料や間違った手順のような要素を「思考の憑きもの」とたとえまして、それを落とすにはクリティカルシンキングが有効であることを数々の実践例でお伝えしよう、ってのが今回の狙い。
クリティカルシンキングとはなにか。私なりに噛み砕いて説明すると、こうなります。
「自分が常識と思ってること、正しいと信じてることが、誤った前提や偏見で歪められていないかどうか、つねに疑いながら、正しい客観的根拠と正しい論理によって、対処法や解決法を考える現実的な思考法」
「自分を疑う」こと、そして「現実的」であること。この2点がクリティカルシンキングにとっては非常に重要で、そこが普通の論理思考との違いだと私は考えてます。自分の間違いを絶対認めない人には、まともな思考はできません。空理空論や観念論のような現実を無視した知的遊戯もクリティカルシンキングとは呼べません。思考実験は、最終的に現実にあてはめられるところまでやらなければただの妄想で終わります。
執筆は理論編から取りかかったのですが、やってるうちに、これは自分のスタイルじゃないなと思えてきました。やはり私は具体的な事例にしか興味がない。事実をもとに現実を分析した実例を読み進めてくれれば、理屈は自ずとわかってもらえるだろう。だから「論より実践」なんです。
理論編は短くまとめて、あとがきとして巻末に残しておきました。理屈が好きなかたは、そこから読んでいただいてもかまいません。
これまでは漫画やイラストを使うことが多かった本のカバーデザインも、今回は方針を変えました。パソコンやスマホの画面ではちょっと見づらいかもしれませんが、文字と線だけで、思考がなにかに絡め取られてる感じがうまく表現されてます。デザイナーがあげてきた候補のなかから、私と編集者がともに推したのがこれでした。
氷河鬼が来る! の巻
本書の方向性をもっともよく表せている章なので、これを巻頭に持ってきました。
寺田寅彦はお得意の科学コラムでこう警告しています。自分の思考に自信のある人は、自分のアタマで考えたことと自然現象が一致しないとき、自然が間違っていると結論を出しがちであるよ、と
これが実際に起きたのが、温暖化懐疑論でした。近年の夏の猛暑と暖冬を体感してれば、温暖化は疑いようがないのに、いまだに氷河期が来るといってる人たちがいます。氷河期到来説は私がこどもだった頃にブームになりました。当時のブームをいまの目で見直すと、なんでこんなの信じてたんだろ? と笑ってしまうと同時に、科学とオカルトの違いも見えてきました。
哲学小僧はトロッコ問題で現実逃避する の巻
お待たせしました。トロッコ問題なんて倫理的ジレンマをちょろっと聞きかじっただけでわかったような口をきく哲学小僧どもにお灸を据えるときが、ようやくやってきました。
以前、当ブログでトロッコ問題はバカらしいと書いたら、哲学小僧やシロウト思想家が泣きべそかいてケチをつけてきました。彼らは客観的な事実を調べもせず、何の材料もないまま、自分のアタマの中だけで妄想するのを思考実験だと自慢します。しかし彼らはトロッコ問題を現実にまったく応用できてないのだから自己満足でしかありません。
そんな彼らに本物の思考とはなにか、そして私が考えた現実的な応用法についてもレクチャーいたしましょう。
敵か味方か、出羽守 の巻
ではのかみ、ってもう死語なんですかね? 以前は北欧の福祉とかの話題で「北欧では」というやいなや、北欧出羽守はうざい、とインネンつけるヤツがあらわれるのが風物詩でした。でもあらためて考えてみると、渋沢栄一が西洋出羽守だったおかげで、明治の日本は臆面もなく西洋のマネをして急速な経済発展を遂げたのです。そろそろ出羽守の功績を再評価してみませんか。
匿名が諸悪の根源なのですか? の巻
学術書だったら、日本における匿名文化の近現代史、みたいな堅いタイトルがついていたことでしょう。戦前の日本では、投書はほとんど匿名での掲載だったことは以前から指摘してきました。戦前に匿名を批判してたのは、一部の文芸評論家だけでした。
今回は匿名文化をもう少し深掘りします。匿名だからウソをついてる、実名だから事実をいってる、とはかぎりません。匿名でいいことをやってる人もいるのに、匿名だけを批判するのはヘンですよね。
余談ですが戦前の朝日・読売の投書欄を比べると、インテリ志向の朝日、庶民ウケを狙う読売というカラーがはっきりしていておもしろいです。
議論に勝ちたがるひと の巻
議論に勝つことは、じつは簡単なんです。それよりも重要なのは、なんであなたは議論に勝ちたいの? というところ。議論に勝ってどうするの? 議論に勝てばなんでもあなたの思い通りにできるわけじゃありません。むしろ逆に、論破された側は暴力や権力であなたを潰しにかかります。
議論と交渉の区別がついてない人が多いのも問題。本来、議論に勝ち負けはありません。おそらくあなたが必要としてるのは議論でなく交渉なんです。
妖怪自己責任は、自由には責任が伴うと囁く の巻
自己責任の歴史をひもとくと同時に、「自由には責任が伴う」という、日本人だけがやたらと好きなフレーズの謎にも迫ります。外国人がその警句を使ってるのをあまり聞いたことがありません。
自由に責任が伴うなら、自由がありあまっているニートには責任があるけど、自由がほとんどない総理大臣は無責任でいいってことになっちゃいます。たしかに無責任な政治家が多いよなあ、って風刺はさておき、実際には逆のケースがほとんどです。責任の重い人ほど自由がないのが普通。つまり自由と責任は無関係。では、本当に責任を伴うのは、なんなのか。
劇場版名探偵パオロ 万が一の魔術師 の巻
久々にコント仕立て、ストーリー仕立てにしてみました。
黒ずくめの男たちにクスリを飲まされてイタリア人にされてしまった中年探偵が数々の謎を解き明かし、万が一の魔術師を追い詰める痛快娯楽巨編! またの名を悪ふざけ。文体はふざけてますけど、検証内容は極めてマジメにやってます。
万が一というフレーズは、何の客観的根拠もデータもなしに、ご都合主義で使われることが非常に多いんです。万が一の危険を防止するという名目で、必要のない対策が講じられたり、逆に、明らかに危険なのに万が一のリスクを無視する行動を平気で取ってたり。
リスクはデータでしか評価できません。自分の好き嫌いで決めるのは愚かです。
集団登校、災害避難訓練、喫煙、貧困などについて、そのリスクが万が一より高いのか低いのか、そしていま行われている対策に現実的な効果があるのかを、印象論でなくデータと歴史の事例から再検証します。
夫婦別姓反対論は理由なき反抗 の巻
なにやら一部の人たちのあいだでは、私はフェミニズムや社会学者と戦う勇者かなにかと思われているようです。そんな私が選択的夫婦別姓に賛成だといったら、ビックリされるのかな。
私はフェミや社会学者の敵でも味方でもありません。正しいことは正しいと認めるし、間違いがあれば指摘する。強いていうなら、私は正しさの味方です。
もしも全員に夫婦別姓が強要されたら反対します。でも自由に選択できるのなら、反対する理由はありません。
夫婦同姓は日本の伝統でも文化でもないし、別姓にすると家族の絆が壊れるなんてヨタ話に至っては、完全なる都市伝説です。夫婦同姓のいまだって、不倫も離婚も家庭崩壊も、普通にあるじゃないですか。夫婦同姓はなんの抑止力にもなってません。
憑きものとしての政治思想 の巻
70・80年代に育った私ら世代は政治にシラケてました。政治家なんて与党も野党もみんな嫌いでした。野党のことも小バカにしてたけど、自民党の腐敗ぶりも軽蔑してました。政治家がまともじゃないのだから、よのなかに政治風刺や政治批判が存在するのは当然です。だから近ごろ、「政治批判をするな!」と政治家の味方をする若者が増えたことには、心底驚いてます。
批判をタブーとするのは思想でなく信仰です。政治が思想でなく信仰に寄っかかるようになったら危険なサイン。シラケ世代としても、さすがに見過ごすわけにはいきません。
世にも奇妙な「反日」 の巻
日本を敵視する外国人を反日と批判したくなる気持ちは、百歩譲って、わからんでもない。でも日本人が、自分と意見の合わない日本人に「反日」とレッテルを貼るのは意味不明としかいいようがありません。わからないことや奇妙な現象は、いちおう調べてみる。テーマが政治だろうと、そこは変わりません。私は政治もタブーにせず、歴史社会学の俎上に載せて、なかなか語られることのない、反日の歴史をひもときます。
リベラル保守と憑きもの保守 の巻
保守と対立する概念は革新であって、リベラルではありません。「リベラルな保守」が実在するのですから、保守を自称する人たちがリベラルを目の敵にするのは誤爆です。
リベラルと左翼を同じものだとみなすところからカン違いがはじまるのでしょう。私に批判的な人が、「パオロは読売新聞に恨みを持った残念な左翼」なんてレッテルを貼ってたりするのですが、名前以外はすべて間違ってます。私はリベラルな人間ですが、読売を恨んでなどいないし、残念な左翼でもなければ立派な左翼でもありません。
私が尊敬に値すると認めたリベラル保守の先人のエピソードを読んで、認識を改めてください。
パオロ流クリティカルシンキング論――あとがきに代えて
冒頭でもふれましたけど、最初に書いた理論編を凝縮し、最後に持ってきました。クリティカルシンキングの重要性に改めて気づかされた経緯。クリティカルシンキングは他人を論破するための技法ではなく、自分の思いこみ(憑きもの)に気づき、正しくぶれるための技法であること。前提警備隊になるな、なんてことをつづっております。
正直に申しますと、憑きもの思想に脳を完全に乗っ取られてしまった人たちのことは救えないとあきらめてます。自分は絶対正しいと信じてる人から憑きものを落とすのは、たぶんムリ。本書を読んで怒り狂ったり、私を左翼と決めつけて背を向けたりするような人たちには、異論について考えたり、資料を調べたり、他人と議論をしたりする能力がないのだから、首根っこひっつかまえて説得しても、それこそ逆恨みされるだけです。
だから私は、いま思考の道に迷っている人たち、憑きものにかどわかされて暗い森に足を踏み入れかけてる人たちを救うほうに力を尽くしたいのです。迷っている人たちが正しい思考の道に復帰できるよう、目印のパンくずを投げておく。そのために本書を書きました。