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戦争の理不尽にあらがってみる

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。今月頭に、確定申告書を提出しに自転車で税務署に行ったついでに調子のって久々に少し遠出したら、翌日から足腰すべてが筋肉痛。歩くたびに「痛たた……」とうめく情けない状態で、日頃の運動不足を反省。そればかりか筋肉痛が治るのにも1週間近くかかったことで、老化が進んでいることも思い知らされ、へこみました。

 とまあ、そんなちっぽけな苦労話がふっとぶくらいに大変な事態が、世界ではいまも進行中です。
 戦争ほど理不尽なものはありません。戦争は、やりたいヤツが始めるのに、やりたくない者まで巻き込まれます。そして往々にして、やりたくない者が先に死んでいき、戦争を始めたヤツはヘリクツでおのれを正当化しつつ、のうのうと生き続けるのです。
 戦争をやりたいヤツだけでやるのなら、どうぞご勝手にといえるけど、そうじゃないから、理不尽に対しては異議申立てをしなければいけません。黙ってガマンしていても、見て見ぬフリをしても、理不尽は決してなくなりませんし、黙っていると、それはあなたが理不尽を容認したものとみなされます。
 なので、戦争に反対する声をあげるのは、理不尽を容認しないぞという意思表示として、論理的にも倫理的にも意味のある行為です。決して無意味ではありません。

 戦争反対のデモをやったり反戦の歌を歌ったりしても戦争を止められるわけないだろ、とシニカルに嗤っているあなたには、スローターダイクさんの『シニカル理性批判』をおすすめします。近所の図書館にあったらぜひ読んでみてください。シニシズムがファシズムを助長する仕組みを論じた名著です。
 たしかにデモで戦争は止められないだろうけど、それをいうならシニシズムだって、世界を1ミリも変えられない無力さでは一緒なんですけどね。自分の無力さに気づかず、他人を嗤っているとしたら、その人はシニカルなのではなく、単純にアタマが悪いだけ。

 私は永田町の国会図書館によく行きます。国会議事堂が近いこともあって、周辺でデモ隊があげるシュプレヒコールがときおり聞こえてきますし、右翼系政治団体がメッセージ性の強いクルマを転がしてるのも目にします。
 数年前、「日本はトランプとプーチンを見ならえ」みたいなメッセージを掲げたクルマを見かけてビックリしました。えっ、彼らにとってプーチンは敵ではないのか?! 暴力や戦争を容認・賞賛する人たちは、同類に共感してしまうようなのです。
 戦争や暴力を容認する人はどこの国にもいつの時代にも少なからずいます。それは残念ながら事実です。戦争がなくならないのは、戦争と暴力を容認する人が一定数いるからです。
 だからこそ、戦争や暴力に反対なら、その態度を明確にしないといけないのです。あいまいにしていると、結果的に暴力を容認する方向へ引きずられてしまいます。

 私の考えは明確です。私はすべての暴力を否定します。なので戦争にも死刑にも反対です。
 こういうことをいいますと、すべての暴力を否定するなんてムリだ矛盾だ、といわれるのですが、じゃあ一部の暴力の必要性を認めれば論理的整合性がとれるのですか?
 そうはなりません。良い暴力と悪い暴力の線引きをすればそこに必ず矛盾が生じます。警察は必要な暴力なのか、なんて単純な問いですら、すっぱりと割り切れません。
 どちらに転んでも矛盾は避けられないのなら、私はすべての暴力を否定するほうを選びます。なにより、自分が暴力を振るいたくないからです。暴力で他人を押さえつけて、あとからその暴力を正当化するヘリクツをひねり出すようなクズにはなりたくない。私はトランプにもプーチンにもあこがれません。

 今回、確信を持てたことがあります。自分で自分を笑えるのって、とても大事なことなのだと。
 『思考の憑きもの』でも論じたのですが、「自虐」は悪いことではありません。自虐史観というヘンテコな造語が広まったことで、自虐をいけないものとカン違いする人が増えてしまいました。でも本来、自虐といわれてる行為のほとんどは、自分を客観視してダメなところを笑える、健全な自己愛の表明なんです。
 もしも本当に自分自身に絶望し、自分を全否定してしまったら、その人は自虐でなく自殺します。自虐を口にできる人は、ダメな自分が好きなんです。自分のダメさ加減や間違い、失敗を認めて客観的に自分を見ることで、精神のバランスをとれているのです。むしろ自虐を絶対認めない人こそ、自己肯定感とプライドでパンパンに膨れたモンスター。
 プーチンは、おそらく自分のダメなところも間違いも認めようとしないだろうし、自虐的なジョークもいわないと思います。そもそもプーチンは「笑い」というものをまったく解さない人なんじゃないかって気もします。
 プーチンやラブロフ外相の一連のコメントは、ことごとくウソばかりで呆れかえります。
「ウクライナが大量虐殺をしていたのを止めたのだ」
 私は毎日、海外ニュースに目を通してますが、そんな話は初耳です。そんなおそるべき事実があったなら、西側諸国のメディアが放っておくはずがないのに。
 原発を攻撃した理由は、ウクライナが原発でダーティーな兵器を開発していたのを阻止するためだったとか、なんの根拠もないこどもじみたウソを並べたかと思えば、あげくのはてに、
「ロシアはウクライナを攻撃していない」
 って、じゃ、いま攻撃してるのは誰なんだよ!
 よくそんなウソが、次から次へとすらすら出てくるもんだと感心します。まるでコントです。少しでも自分を客観的に見られる人間なら、おかしくて吹き出してしまうと思いますが、それを真顔でいえてしまうのが恐ろしい。自分を絶対の正義だと信じてる者だけが為せる狂気です。
 プーチンの一連の言動を見れば、戦争の大義なんてものが、ウソで固めたロマンにすぎないとわかります。プーチンが語る「真実」も、事実をねじ曲げて解釈したロマンです。
 戦争がロマンたり得るのは、フィクションのなかだけです。現実の戦争は、演者も観客も本当に死んでしまう、とことん悪趣味で笑えないコントです。
[ 2022/03/15 20:18 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
つっこみ力

読むワイドショー

思考の憑きもの

サラリーマン生態100年史

偽善のトリセツ

歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告