こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。7日夕方にNHKの首都圏ニュースを観てたら、小学生の柔道全国大会が廃止になったという話題を詳しく取りあげてました。
私はこのニュースではじめてその件を知りました。検索してみると、先月発表されて一部で賛否の議論が起きてたみたいですね。スポーツへの興味ゼロの私は、スポーツ関連のニュースをほぼスルーしてるので初耳だったんです。
コーチや親が過剰な勝利至上主義に走る傾向が強すぎて、こどもたちのためにならないというのが理由とのこと。常識的な判断です。でもそれ、何十年も前からいわれてたことですよ。スポーツ性善説の幻想を広めたい人たちが批判論を押さえ込んでたんです。ようやくフタを開けましたか。
番組ではこの件について視聴者から寄せられた賛否の声をいくつか紹介してました。批判的な意見の例が、こちら。
「勝利を目指さないで何が競技なの?」
「戦い抜くことから得られる大切なものを奪ってしまうのでは?」
その意見を投稿したかたに、こちらから逆にうかがいたい。スポーツを戦い抜いて得られる「大切なもの」って、いったいなんなの? 具体的に教えてもらえますか。
小学生の柔道全国大会を観戦した人たちの証言によると、コーチが審判に罵声を浴びせたり、勝つために危険なズルい技をこどもにやらせたりなんて行為が横行してたそうです。それが「大切なもの」なんですか?
相撲部出身の理事長とアメフト部出身の理事が大学を恐怖政治で支配して私腹を肥やしてた事件が報じられたのはつい最近ですが、もうお忘れでしょうか。彼らはスポーツから、金と権力の大切さを学んだようです。
プーチンは柔道から何を得たのでしょう。彼は柔道をやることで、勝利至上主義を学んだようです。祖国を世界一強い国にするためなら、どんな残虐な手段を使ってもかまわん、とにかく勝利を目指せ!
それは柔道の教えではない? プーチンが間違った教えを勝手に引き出したのだ? だとしても、彼を正しい道に導くだけの力が柔道にはなかったという事実は、否定できませんよね。
日本で勝利至上主義が根強く残り続ける原因のひとつが、「負けず嫌い」って性格の讃美にあると思います。
私の著書『思考の憑きもの』で検証してるので、詳しくは読んでいただきたいのですが、負けず嫌いな性格は古来、ねたみなどを伴う悪しき性質とみなされてきました。その感覚は1970、80年代くらいまで続いてたんです。
昭和の新聞・雑誌には「うちの子が負けず嫌いで困ります」みたいな教育相談が寄せられてますし、回答する教育専門家も、負けず嫌いは直さないと困ったことになりますよ、なんてアドバイスをしてます。
負けた悔しさをバネに正しい努力をするのならいいのですが、負けず嫌いのこどもは、ズルをしがちです。正々堂々勝負して負けるよりも、ズルをしてでも勝つほうに喜びを見出すようになってしまうんです。
いまの親たちって、「うちの子、負けず嫌いなんですぅ~」と、それが美徳であるかのように自慢しますよね。いつのまにか、負けず嫌いは良い性格とみなされるようになってしまいました。正しい努力をうながす指導を伴わなければ、負けず嫌いは勝利至上主義に走ってしまいます。
もういいかげん、スポーツに幻想を抱くのをやめませんか。
スポーツから学べることはすべて、スポーツ以外からも学べます。努力、友情、正義、協調性、ルール遵守……どれもスポーツ以外の活動からも学べます。
スポーツからしか学べないことなんて、なにもありません。だいたい、スポーツを長年やってても、何も学んでない人もいるじゃないですか。
スポーツを熱心にやったからといって人間性が向上するわけではないし、まったくやらなくても人間性が劣化することもありません。
スポーツにスポーツの楽しさ以上の何かを期待しても、幻想になるだけです。
[ 2022/04/08 17:56 ]
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