こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。時事ドットコムの連載が更新されました。
「表現の自由」、知られざる戦いの歴史 【政治・社会 ことばの歳時記】 今回のテーマは表現の自由。これまで日本で表現の自由が問題にされてきたのは、ほぼエロか政治風刺です。でも、エロ表現に関しては自由を守れ、と威勢よく味方してるのに、政治絡みの話となると、途端に腰がひけて無口になる人が多いんですよね。
表現の自由を掲げるなら、それなりの覚悟を持ってください。たとえ自分の価値観と合わない意見であっても、それが権力や暴力で潰されそうになってたら異議を唱えること。それができない者には、自由を語る資格はありません。
こんなことをいうと、じゃあヘイトスピーチにも表現の自由を認めるのか、と突っかかってくる人がいますけど、ヘイトスピーチはダメですよ。なぜならあれは内容が事実無根のウソばかりだから。反論を一切無視して、気に食わない相手をウソで攻撃し続ける自由などありません。そんな行為は表現の自由に優先しません。
さて今回の連載記事ですが、今回の記事では懐かしい芸人たちの写真が何枚も使われてます。といっても私がリアルタイムで見てたのは牧伸二くらいですけど。
むかしの芸人はテレビ・ラジオで政治風刺ネタを平気でやってたんです。いまなら放送できないようなヤバい言葉でディスってた例もかなりあります。それを視聴者も普通に笑ってたのだから、そういうもんだと思ってました。
だけど調べてみると、裏ではけっこう、本人やテレビ・ラジオ局のスタッフが政治家に呼び出しくらって注意されてたのだとわかり、ああ、やはり昭和だったのだなあと妙に納得。
最近は昭和レトロブームとかで、平成世代のみなさんは昭和を人情味あふれるいい時代と思ってるかもしれません。でも昭和世代の私からいわせてもらうと、昭和はおもしろい時代だったけど、いい時代だったとは言い難い。昭和って時代のコワさ、倫理観の希薄な時代性、人権もへったくれもなかった闇の部分も少しは感じてもらいたいのです。密室で相手を恫喝するようなことを、ヤクザも政治家もサラリーマンもみんな平気でやってたんですから。
いまと違うのは、むかしの芸人たちやテレビ局は、圧力にめげず政治風刺を続けてたという点です。少なくとも、続ける努力をしてました。いまどきは、危うきに近寄らず、を徹底してる感じですね。
そういえばむかしは政治家のものまねが定番の芸でした。テレビでもしょっちゅうやってたから、小学生も意味もわからず田中角栄のものまねとかやってましたよ。
近ごろはほとんど見なくなりました。安倍さんなんてとても特徴のあるしゃべりかたでマネしやすいのに、テレビでやってたのは松村さんとサンド伊達さんくらいじゃなかったかな。
なんだろ、いまテレビで政治家のものまねすると、「馬鹿にするな」「不快だ」「反日だ」なんて苦情の電話をテレビ局にしつこくかけてくるヤツがいるのかな。
政治風刺の弾圧と戦った人たちについては、次に出版予定の書き下ろし本でさらに詳しく掘り下げて取りあげますので、お楽しみに。こういう例もあったよ、みたいな情報をご存じのかたがいたら、教えてくださるとうれしいです。
今回の参考文献
三木鶏郎『冗談十年』駿河台書房
三木鶏郎『三木鶏郎回想録2 冗談音楽スケルツォ』平凡社
『読売新聞』1970年3月22日付
『自由新報』1968年10月9日号
『世界』1979年12月号
『サンデー毎日』1968年7月28日号