こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。時期的なこともあるので、今回は私の戦争観をお話しします。
私の戦争観は単純明快です。
戦争を肯定する資格があるのは、二等兵として鉄砲担いで最前線で戦う覚悟のある者だけである。
その覚悟がない人は戦争に反対しなきゃいけません。戦争を回避することにできるかぎり協力すべきです。自分が血を流して戦う気もないくせに戦争に賛成してるとしたら、その人は偽善者です。私の本を読んでくれてる人なら私が偽善を否定しないことをご存じでしょうけど、ここはあえて、日本のみなさんがイメージしやすい偽善者という悪口を使っておきます。
むかしからモヤモヤしてたのですが、若いころは何もいわなかったのに40代、50代くらいになると急に強気の戦争肯定論を唱えはじめる人がいるような気がしてました。自分が戦争に行かなくて済む歳になったから戦争に賛成しはじめたのかな? と疑ってしまいます。
むしろ、歳を取って自分がもう戦えないことを自覚したなら、戦争はやめようと止める側にまわるのがスジではないですか。自分は安全なところにいて若いもんに戦ってもらおうなんてムシが良すぎますよ。
日本は平和ボケだ、ぬるま湯につかってる、などと紋切り型の批判をする人たちもむかしからいます。彼らにも本気度を示してもらいたいですね。そうやって檄を飛ばしておのれの強さを誇示する人たちには、いざとなったら自分が最前線で戦うことを志願すると誓約していただきたい。まず自分が行くから、みんなついてこい、っていうのならホンモノだと認めましょう。でも、さあお前ら行け、オレは銃後で見守ってやる、なんてのはダサすぎます。
だいぶ前に読んだ本に書かれていたので詳細は忘れてしまいましたが、法哲学者の井上達夫さんが憲法9条削除論というのを提唱してました。護憲派も改憲派も矛盾だらけなのだから、いっそのこと憲法9条を削除してしまえというけっこう画期的な提案でした。国防は通常の法律でも運用できるから憲法で規定する必要はないとのこと。
なるほどそれも一理あるかと感心したのですが、ただし井上さんは同時に、徴兵制の必要性も提案してたはずです。誤解のないよういっときますが、井上さんは極右ではありません。むしろかなり強烈なリベラル派の人です。
ネット上の反応を見ると9条削除論には賛否両論ありました。ただ、賛否どちらの人も徴兵制の件には触れないようにしてました。
その気持ちはわかります。誰だって自分が血を流して戦争するのはイヤです。強制的に戦争に狩り出されるなんてイヤだ、というのが正直な気持ちでしょう。私だってイヤです。
だからみんな徴兵制の議論は避けたがるのですが、戦争を真剣に考えるとなれば、じつは避けて通れない問題なんですよね。戦争というのはある日突然、国民全員が暴力の当事者になることを強制される異常事態のことです。自分の意志と関係なく、暴力の加害者か被害者どちらかにならざるをえないという、きわめて不条理な状態、それが戦争です。だからこそ、こころの弱い人ほど恐怖に負けて、加害者になるほうを安易に選んでしまいがちです。
徴兵制が嫌われる理由もわかります。それは徴兵制が不公正なシステムだからです。若い人から徴兵されます。老人や中高年は徴兵されるとしても後回しです。でも、地位も名誉も財産もあるのは一般的に年齢が高い人たちです。本来、失うものが多い人ほど、必死に戦っていろいろなものを守らねばならないはずです。家族も財産もない人には戦う理由がありません。なのに現実の戦争では、何も持たない若者が命を賭けて戦うことを強いられてきました。不合理ですね。
そこで私は徴兵制の新たなシステムを提案します。そんなの実現不可能だとか不道徳だとか頭ごなしに否定せず、ひとつの可能性として、思考実験だと思って検討してみてください。
中学や高校の授業で議論のテーマにするのはいかがでしょう。生徒たちだって、戦争の悲惨さみたいなテーマは、こすり倒されてて興味が湧かないでしょ。徴兵制のように具体的で、しかも日本ではタブー扱いのテーマのほうが、思考のしがいがあるというものです。
私が提案する徴兵制は、年齢性別を問わず、所得と財産の多い者から順に徴兵し、最前線に最下級の兵士として送り込む、というものです。
ただし、その徴兵の義務は、一度かぎり金銭で譲渡することを認めます。その義務を買い受けた者は必ず最前線で従軍しなければなりません。
このやりかたなら、危険な任務に志願した者に対して多額の報酬が払われます。何も持たない若者にも戦う理由ができるのです。徴兵制と志願制を合わせ持つ仕組みといえましょう。
財産の多い者から譲渡されることがわかっているのだから、譲渡金額は数億円、それ以上になるかもしれませんが、上限を設ける必要はないでしょう。自分の命と引き替えなのだから全財産を与えても安いと考える人がいてもおかしくありません。
逆に、譲渡金額の最低限は決めておくべきです。財産や年収の何割以上みたいな感じで良いのではないかと。というのは、人道主義や自殺願望などを理由にタダで代わってあげますみたいな奇特な人が出てくると、その人たちはたぶん本気で戦わないので、このシステムの趣旨がぶれてしまうからです。
自分のこどもや孫に譲ることも可能ですが、死ぬ可能性が高い最前線に配属されることを承知で、はたして譲るでしょうかね。どちらかというと他人に譲るのでは? どんな心理でどんな選択をするのか、それを考察するのも興味深い思考実験のひとつです。
さまざまな不正が行われる余地がありますから、不正を防ぐために徴兵義務の譲渡を専門に担当する政府機関を作り、そこが一元的に管理する必要があると思います。
誰が誰にいくらで譲渡したかを記録して、譲渡金もその機関がいったん預かります。すぐに大金を渡したら国外逃亡するかもしれないので、譲渡金は戦争終結後に渡すこととします。もし日本が戦争に負けたらその金が紙くずになるのだから、必死に戦う理由になります。逆にいうと、日本が戦争に負けると思ってる人は譲渡に応募しないでしょう。
戦死した場合に譲渡金をどうするか。その規定がちょっと難しい。戦死したら譲渡金は没収されて国庫に入るってのも横暴ですよねぇ。でも普通に相続可能にしてしまうと、本人の希望ではなく、遺産目当ての誰かにそそのかされて、もしくは脅されて応募してくる可能性があります。
たとえ本人の希望だったとしても、さっさと戦場で死んで、家族に大金をのこせればいいや、なんて考えで応募されるのもこのシステムの主旨に反します。私がこのシステムを提案するのは、応募者に最前線で死んでほしいからではありません。
本来は、失うものが多い人たちが死ぬ気で最前線で戦うべき義務を、本当にやる気のある人に多額の報酬を支払って肩代わりしてもらうわけです。理不尽で不公平な要素が多い徴兵制を少しでも公正なものにする試みです。
私の試案を叩き台にして、自分がこれなら納得できるといえる徴兵制度をみなさんも考えていただきたい。中高生などの若者がどういう意見を出すか、興味深いところです。さて、はたして納得できる案が思いつくでしょうか。
おそらくそんな案は出ないでしょう。何をどれだけ考えても、結局、戦争は理不尽なものであるという結論に戻ってくるんです。戦争を合理的なものにすることは不可能だし、戦争で誰もがしあわせになるなんて、ありえません。それでも戦争をやりたがるヤツはいます。やりたいヤツだけでやればいいのに、そうはいきません。やりたがるヤツが始めたのに、やりたくない者までやらされる、それが戦争です。
[ 2023/08/15 20:30 ]
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