こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。関東大震災が商店街ブームのきっかけになったという話は、あまり知られてないと思います。
日本最初の商店街を名乗ってるところは全国各地にあるのですが、伝聞による自己申告ばかりで、証拠となる資料がないんです。
町のなかに商店が建ち並ぶ一角があるのは全国共通の風景なので珍しくはありません。そういうのは江戸時代から存在し、見世などと呼ばれるか、あるいはとくに名前もないまま営業を続けてきたのです。
商店街という言葉自体は大正期の文献にちらほら見られるのですが、具体的に○○商店街と名乗って営業していた例というのが、大正中期まではまったく見当たらないんです。さらにややこしいのは、○○銀座と名乗るところはそれ以前からあったといわれてまして、商店街と混同して伝わってる可能性もあります。
なので問題は、「○○商店街」という名称を正式に最初に使ったのはどこか、という点に絞られます。そしてその根拠となる資料が残されているかどうか。
私が調べたかぎりでは、「商店街」を正式名称として採用した初の事例は、丸ビル商店街です。その開業は新聞記事として残っています。
丸ビルって、あの東京駅前にあるやつ? と驚いたかたも多いでしょう。そうです。現在のビルは全面改築された2代目です。初代丸ビルが完成したのは1923(大正12)年2月ですが、その1階部分が丸ビル商店街という商業施設だったのです。
当時ヨーロッパには、屋根付きの街路を挟んで商店が立ち並ぶアーケードと呼ばれる街区がありました。丸ビル開業に際して、1階にさまざまな店を出店させ、西洋のアーケードを模したものを作ろうと計画されたんです。でもアーケードという呼び名は日本人には馴染みがないので、「丸ビル商店街」という名前にしたのです。
『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史 上巻』によると、開館前に商店街への出店希望を募ったところ応募が殺到、倍率は8倍になったとのこと。
日本初の珍しい施設ということで、オープン時には各紙が記事で報じていて、開業すると大評判。丸ビル商店街の名は一気に広まります。
新たな商業施設がマスコミで報じられると大衆が殺到して人気スポットになるってのは、いまもむかしも変わらないんですね。
なお、丸ビルからほど近い帝国ホテルのライト館にも同時期に商店街があったと伝えられてますが、こちらの開業は1923年9月なので、帝国ホテルが丸ビルのマネをしたのでしょう。
そして開業から半年ほど経った9月に関東大震災が起きました。
当時の最先端の建築技術を駆使して建てられた丸ビルは、軽い損傷のみで地震を乗り切ったのです。しかし周囲のビルや近隣の家屋には、一瞬で崩壊したものも多く、死者やケガ人が多数出る惨事となりました。丸ビルで働いていた社員たちは家に帰らず、周辺の被災者の救護にあたったのだそうです。
震災による壊滅的被害からの再スタートに際して、東京駅周辺の商店主たちは、震災被害を受けなかった丸ビルと丸ビル商店街にあやかろうとしたようです。次々に「日比谷公園バラック東町商店街」「呉服町商店街」などと名乗る商店街が生まれたのです。
それをきっかけとして、東京中に○○商店街という名称を採用するところが増えていきました。いえ、増えたどころの話じゃなく、大ブームとなったようです。
その模様がうかがえるのが、1935年に実施された日本初の「全国商店街調査」。日本初の、ってことは、やはり以前はほとんど存在しなかったから調査もされなかったと考えられます。
この調査によると、丸ビル商店街開業からおよそ10年で、日本全国の主要都市すべてに○○商店街が多数誕生していたことがわかります。関東大震災の被害からの復興が、日本全国に予期せぬ商店街ブームを引き起こしたのでした。
[ 2023/09/01 19:18 ]
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