こんにちは。出版社の受付で名前を名乗ると、受付嬢に不審な顔をされるパオロ・マッツァリーノです。不審人物かと疑われたとき、「怪しいものではありません」と弁解する人って、現実にいるのでしょうか。怪しいヤツだって、怪しいものではありませんというに決まってます。「怪しいものです」と自ら申告するわけがないんだから。
さて、角川書店の担当者から連絡がありまして、昨年12月に実施した、角川文庫版『日本列島プチ改造論』プレゼント企画が締めきられ、当選者に本が発送されたのこと。当選者のかた、おめでとうございます。といっても、私は当選者の個人情報を知りませんから、だれだかわかりません。
私のプレゼント企画はいつも応募総数がたいして多くないので、かなりの確率で当たる穴場的懸賞です(たいした物をあげないからだけど)。いつも少数のファンによって支えられております。
だからといって、私はファンに媚びるような発言をするつもりはありません。読者やファンのご意見やご指摘には目を通しますし、参考にさせてもらってます。でもファンを失うことを恐れて、媚びるような意見をいうようになったらいけないと思ってます。ときに事実や真実は、聞く者の耳や心を痛くするものではありますが、それを伝えなければならないこともあります。
大事なのは意見の多寡でなく、真偽です。多数派の意見が正しいこともあれば、少数派が正しいこともある。だからポピュリズムだの大衆迎合なんて言葉による批判には、なんの意味もありません。大衆が正しいこともあるし、まちがってることもある。それは調べてみないとわからないのだから、ポピュリズムなんて言葉を使ってる時点で、そいつはなにもわかってないという証拠です。
事実かどうか調べるという作業を経ることではじめて、意見は理論になるんです。理論や予断が先に立つと、現実と真実をねじ曲げることになります。
根拠のない話をするな、としつこく私が繰り返すのは、なにより自分自身をだまさないためなんです。自分にだって予断や思い込みはたくさんあります。それを減らすために、ささいなことでもいちいち文献や資料を確認するんです。事実を覆すとか目からウロコとかいいますが、それを実現できる唯一の方法が、思い込みの再確認という作業です。
昨年6月に当ブログに書いた、西洋では電車内や人前で化粧するのは売春婦という説なんかがいい例です(このネタは加筆して『怒る!日本文化論』にも収録してあります)。これを鵜呑みにしてる日本人はじつに多く、ネットにも大量の書き込みがありますけど、誰ひとりとして、事実かどうかググってたしかめた気配はない。海外のサイトを軽くググっただけでも、それが日本だけで通用する作り話だとすぐわかるのに。
ちかごろはなんでもググっただけでわかったつもりになってると嘆く識者がおりますが、実態はもっと低レベル。じつはみんなググってすらいないんです。
なんてことを考えながら、先日来、フジテレビで再放送してる連ドラ『ストロベリーナイト』を見てましたら、苦笑してしまいました。これに登場する遠藤憲一さん演じる日下という刑事は、なにごとも徹底的に調べないと気が済まない。一切の予断を許さず、自分で調べた事実しか信用しないんです。だからことあるごとに、カンと推理に頼って捜査する主人公の姫川刑事と対立するという役どころ。
もし、私が刑事という職業を選んでたら、あんな感じになってて、周囲から疎まれてたかもしれませんね。
[ 2013/01/28 20:41 ]
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