こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。『新潮45』5月号にコラムを書きました。怒らない、叱らない日本人というテーマです。『怒る!日本文化論』と論調は同じですが、本では書かなかったネタもありますので、興味があればお読みください。
その記事中で、永井荷風の『断腸亭日乗』を取りあげてます。むかしの人の日記というものは、その当時の世相と、それを日記の筆者がどう感じていたかを知ることができる貴重な資料です。
もちろん、おもしろいものもあれば、つまらないものもあります。以前、渋沢栄一の日記を読んでみたのですが、事務的な事実しか書いてなくて、まるで業務日誌でした。何月何日何時に誰と会った、みたいなことばかりで、個人的な意見や感想がほとんどない。妾を何人も作ったり、周囲がひくほど慈善事業に打ち込んだりした人ですから、おもしろいホンネが書いてあるかと思ったら、期待はずれでした。
荷風の日記は、大正・戦前昭和のところしか目を通してませんけど、個人的な意見や感情がつづられていて、かなりおもしろい部類に入ると思います。だから読み物として出版されているのでしょうけど。
『新潮45』の記事では、無礼なガキに怒りたくても面と向かっては怒れず、日記で憂さを晴らす気弱な様を取りあげましたが、それ以外で私が注目したのは、気温に関する記述です。
夏の盛りの昼間には、戦前の東京もかなり暑かったようですが、夜になると涼しい風が吹く、という記述がけっこう見られます。むかしは熱帯夜はめったになかったんですね。いまは都市部の夏は一晩中暑いんですから、やっぱり異常です。
そして、気温の記述が「華氏98度」などとなってるのが意外でした。むかしの日本は華氏表示だったの? それとも、荷風は西洋かぶれだったから華氏なんてのをきどって使ってたのか?
気象関係の資料を調べてみたところ、気象庁みたいなところの正式な記録では、明治時代から摂氏が標準だったそうです。しかし民間では、摂氏と華氏は混在して使われていたようです。
むかしの朝日新聞紙面で確認してみたら、大正期まではほとんど華氏が使われてます。昭和に入ると摂氏と華氏が混在するようになり、戦後になって、ほぼ摂氏で統一されたようですね。べつに荷風が西洋かぶれだったから華氏を使ってたってわけではなさそうです。
[ 2013/04/18 20:48 ]
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